怪しい来訪者
赤い背びれが、波間から一瞬だけ突き出る。
眠りこけるモンスターどもを一掃しようとしていたトールは、とっさに右足を引いて半身になってマントをひるがえした。
次の瞬間、飛沫を上げながら、大きな魚が水面から跳び上がる。
空中で身をひねったモンスターは、その尖った口先を岸辺へ向けた。
そして続けざまに真っ赤な水の塊を、凄まじい勢いで撃ち出した。
握りこぶしほどの水弾の一つを、トールはマントで受けとめながらいなす。
さらにソラたちを狙ったもう一つを、真下から斬り上げ軌道を変える。
だが最後の一つは間に合わず、手前の地面に直撃する。
勢いよく水滴が飛び散り、トールの周囲で眠りをむさぼっていた蛙どもに降りかかった。
即座に目を覚ましたモンスターどもは、耳障りな鳴き声を上げて動き出す。
「霧り、塞げ――<凍晶>」
聞き慣れたユーリルの声に、トールは足元の砂利を蹴り飛ばして逃げる。
飛んできた石の破片に少しだけ動きを止めた赤毒蛙どもへ、凍えた空気が襲いかかった。
パリパリと音を立てながら、モンスターの体表から水分が急激に失われる。
トールが知る<凍晶>とは桁違いの威力だ。
皮膚を毒の粘液で覆う蛙どもには、氷系魔技は強力な効果を発揮したようだ。
たちまち動きが鈍った一匹へ距離を詰めたトールは、スッパリとその頭部を斬り落とす。
だが二匹目に取り掛かろうと向きを変えた瞬間、残った蛙どもがいっせいに渾身の力で跳ねた。
トールへではなく、元いた場所へ。
体を半ば凍らせたまま、蛙たちは次々と背後の川へ逃げ込んだ。
続けざまに水音が上がり、モンスターの群れは赤黒い川面へ消える。
追いすがろうとしたトールの前に、またも赤い背びれが水中から現れ水弾を撒き散らした。
一つをマントで弾き、もう一つは剣の腹で叩いてそらす。
最後の一つをソラにまかせてトールは川へ視線を戻すが、すでにモンスターたちの気配は消え失せていた。
「もう、また逃げたー」
「残念ですね。もっと徹底的に干からびさせたほうが良かったかしら」
「ゲコゲコめ、ムーがこわくてにげたな!」
最初の狩りはスムーズに終わったのだが、それから三度の戦闘で、ちゃんと倒せたのは今の一匹だけであった。
地面に落ちた蛙の死骸を拾い上げながら、トールは小さく息を漏らした。
この毒まみれのモンスターは、当然だが食用には向いていない。
討伐部位である舌を切り取って大きめの石の上に置くと、体部分はその横に投げ捨てて積んでおく。
毒で汚れたナイフと手袋を<復元>したトールは、仲間たちへ呼びかけた。
「じゃあ、休憩にするか。ユーリルさん、お茶を入れていただけますか?」
新たな狩り場は、どうも思っていたより大変そうな場所だ。
というのが、トールたちの現在の気持ちである。
難点その一は、モンスターの数が少なすぎること。
一時間に群れ二つというのが、この場所の平均的な様子である。
確かに角モグラ時代よりはマシであるが、獲物が少なくても森の中を歩き回っていれば気晴らしにはなる。
しかしここでは赤黒い石が転がる陰気な河原で、延々と待ち続けるしかないのだ。
ご機嫌なのは、石積みを堪能しているムーだけである。
難点その二は、モンスターが面倒な点だ。
先ほど、いきなり現れたモンスターの名は血吹き魚。
体長はトールの腕の長さほどで、赤い鱗に覆われた体は横から見ると細長い三角形をしている。
そして川の中から水弾を撃ってくるだけという、なかなかにいやらしいモンスターである。
しかも魚と蛙のくせに仲間意識でもあるのか、他のモンスターの手助けもしてくるのだ。
赤毒蛙のほうは、死んでからも厄介だ。
ネバネバの毒液は死後もそのままなうえ、触れていると衣服にも毒が染み込んでしまう。
なので毎回、片付けのたびに<復元>の使用可能回数が減ってしまうという有り様である。
薄く湯気の上がるカップを受けとって、トールは椅子に腰掛ける。
すぐに駆け寄ってきたムーが、背後からその首に抱きついてきた。
それを見たソラも楽しそうに笑うと、椅子を寄せてトールの腕にもたれかかる。
「あらら、仲良しさんなのね」
「はい。イライラしたら、トールちゃんにくっついて解決ですよ。ユーリルさんもどうですか?」
「それはいい考えですね。では、私もご相伴にあずかってと」
反対側に椅子を寄せると、銀髪の美女もソラの真似をして身を預ける。
甘い香りと柔かな感触に挟まれたまま、トールは黙ってカップの中身をすすった。
「トーちゃん、いま、まゆ毛がちょっとだけさがったぞ。なんでだ?」
「気にするな。男ってのはそういうもんだ」
「そうか、もしかしてムーがかわいいせいか?」
甘みのある香草茶で気持ちをほぐしながら、トールは状況の打開を考えていく。
「狩場を変えるのは、今からじゃ難しそうですね」
「ええ、美味しいところは、他の皆様が使ってらっしゃると思いますよ」
「あの魚がくせ者だよねー。とおすぎてとどかないし」
「攻撃自体は対処できるが、蛙を起こされるとな……」
「あ、起きてももう一回、寝かしつけたらいいんじゃ?」
「それはかなり難しいお話ね」
ハマれば強力すぎる効果を発揮する阻害系魔技であるが、意外な弱点もあったりする。
短時間に同じ相手に何度もかけようとすると、成功率がいちじるしく下がってしまうのだ。
これは危険から学んだモンスターの内部に、抵抗力のようなものが働くのではと言われている。
「ムーがあの水にとびこんで、ちょいちょいっとやっつけてこようか? トーちゃん」
「それはムーがもうちょっと泳ぎが上手くなってから頼もうかな」
「まだ危ないよ、ムーちゃん。お風呂でもっと練習しないと!」
「そっかー、キレイキレイしなきゃだめか」
適当な石を投げ込んでおおよそを測ってみたが、血流しの川の水深は浅いところでもトールの胸ほどまでありそうだった。
さらに赤く濁った水のせいで、視界は最悪だろう。
水に入るという選択肢は、まずあり得ないというのがトールたちの判断だった。
少々行き詰まってしまった状態だが、その割に全員の顔は少しも曇っていなかった。
逆境に慣れているトールにとって、この程度は問題にならない。
むしろそれを楽しんでいるほどである。
それはユーリルも同様であった。
しばらくぶりの実戦で魔技を放てる心地よさを、女性は心から楽しんでいた。
それにながらく強敵と相対してきた女性にとって、ちょっとしたおじゃま虫など気に留めるような相手ではない。
実は本気を出せば何とかできたりもするが、トールたちの成長を優先するべきだと密かに我慢までしていた。
ソラはソラで、今の状況を前向きに捉えていた。
トールやユーリルが困ってるこの時こそ、自分になにかできることがあるかもしれない。
それを探し出すことに、少女はこっそりと熱中しはじめていた。
ムーは何も考えてなかった。
子どもの最大の関心は、今日のおやつと晩ごはんのメニューだけである。
のんきにあくびをしたムーは、大好きなトールの背中にべったりと身を預けた。
ぴったりと体をくっつけあって、互いの温もりを感じながら休憩時間は過ぎていった。
やがてカップは空になったが、なぜかトールは座ったまま動こうとしない。
もしかして離れたくないのかなとソラが頬を緩ませていると、いきなりトールが誰かに話しかけた。
「ところで、いつまで覗いてるつもりなんだ?」
その問いかけに反応したのは、天幕の後ろ、土手の向こうにいた連中であった。
慌てた様子で、トールたちを覗いていた三つの金髪頭が引っ込む。
身を低くした男たちは、隠れたままひそひそと相談を始めた。
「チッ、やっぱり気づいてやがったか」
「兄貴が頭を出しすぎなんだよ!」
「だって、いつおっぱじめるか気になってな」
「うん、それは仕方ねえ。あんな美人初めて見るしな」
「俺は可愛い系のほうが好みだぜ。こう守ってやりたくなるというか」
「いやいや、一番は包み込む大人の魅力だろ!」
「なんだとてめぇ! 控えめな胸の良さがわからねえのか!」
「おう、聞き捨てならねえな! 大事なのは尻の肉付きだろ」
最初は小声であったが、興奮したのかその声は次第に大きくなっていく。
やがて殴打音と小さな罵声が響き出すが、それも少し経つと静かになった。
そしてトールたち四人が見守る中、目の周りに青あざをつけた一人が土手からヒョイと顔を出す。
照れくさそうな笑みを浮かべたその紫色の瞳の男は、何もなかったかのように話しかけてきた。
「邪魔して悪かったな。さ、続きをしてくれ」
「するか!」




