再びの宴
トールの膝が一瞬だけたわみ、最大限に地を蹴りつけた。
同時に抜剣しながら、最高時の切れ味を一瞬で引き出す。
ムーを首にぶら下げたまま、トールは疾風と化して動き出したモンスターへ急迫する。
だが。
それでも少女との距離は詰めきれなかった。
ほんの髪の毛一筋ほどの隙間を空けて、トールの剣先は空を切る。
届かなかった刃の先でモンスターの腕が伸び、逃げようとしたソラの髪を掴んで引き寄せた。
生き返った迷宮の主は、そのまま捕まえた少女を宙吊りに持ち上げる。
盾のごとく突き出された少女の姿に、トールは急激に動きを止めた。
その脳裏に、一つの光景が記憶の層を泥のようにかき分けて急速に浮かび上がってくる。
九年前。
押し寄せてきた小鬼の群れが外壁を破り、住民たちに襲いかかる事件があった。
逃げ遅れた一人の少女がモンスターに捕まり、その時、偶然近くに居合わせたのはトールだけだった。
あとはよくある話である。
結果としてトールは左手の握力を失うほどの怪我を負い、少女の背中には一生消えない傷が残った。
剣を構えたまま動けないトールの前で、みるみる間にモンスターの頭部が再生されていく。
人質の有効性を確信したのか、迷宮の主はもとに戻った口からくぐもった笑い声らしきものを漏らした。
その腕に髪の毛だけで吊り下げられたまま、ソラは身じろぎもせず仲間を見つめていた。
苦痛や怯えを一切見せず、ただ信頼に満ちた眼差しを向けてくる少女の姿に、トールは即座に落ち着きを取り戻す。
「ムーちゃん!」
「らいらい!」
ソラの呼びかけの意味を瞬時に悟ったムーが、紫の蛇をその身に呼び寄せた。
たちまちその効果は少女に伝わり、髪を掴むモンスターの手と激しく反発する。
<電棘>の電撃を浴びて麻痺した腕から、ソラはするりと抜け落ちた。
苦悶の表情を一瞬だけ浮かべた迷宮の主だが、再び少女を捕まえようと生え変わった右手を伸ばす。
――<反転>。
腕が予期せぬ方向へ動いたことに、モンスターの注意がわずかにそれる。
その寸刻だけで、トールには十分であった。
息がかかりそうなほどの距離に、いつの間にかトールは踏み込んでいた。
斬り上げ。
斬り下げ。
横薙ぎ。
そして突き。
さらに斬り飛ばし、最後は真っ直ぐに振り下ろす。
一連の動作をほぼ一拍子でやってのけたトールは、下がりながら軽く刃を振って血糊を飛ばす。
極限まで切れ味が上がっていた剣は、汚れ一つない状態に戻りながら鞘へ収まった。
次の瞬間、全身がバラバラになったモンスターは、地面へその中身をぶちまけながら崩れ落ちた。
大きく息を吐いたトールは、駆け寄ってきたソラを優しく抱きとめる。
胸板に顔を埋めた少女は、すぐに嬉しそうな表情を浮かべた。
「…………大丈夫か?」
「うん、へいき。ありがと、トールちゃん」
「もう、おなかがヒエヒエしたぞ!」
「心配かけてごめんね。ムーちゃん」
「謝るな。今のは俺の不注意だ。すまなかった」
「でもトールちゃんは、ちゃんと助けてくれたよ。うん、ホントにありがとね、トールちゃん、ムーちゃん!」
ソラの感謝の言葉に、トールは黙って少女を抱きとめる腕に力を込めた。
「でも髪の毛ひっぱられても、あんまり痛くないんだねー。あ、もしかしてさっきの特性のおかげ?」
「たぶんそうだな」
「じゃあ、すごく運が良かったんだね、わたし」
目を合わせて小さく笑いあう二人を置いて、何かに気づいたムーがトールの背中から広場の奥を指差す。
「トーちゃん、トーちゃん」
「どうした、ムー?」
「また、フタできてるぞー」
ムーの言葉通り、瘴穴は再び石の蓋に覆われてしまっていた。
警戒しながら近づいたトールは、そっと手を伸ばして触れてみる。
そしてまたも流れ込んできた力に、少しだけ目を見開く。
トールの技能樹に、新たに<筋力増強>の特性が増えていた。
「この石の蓋を<復元>すると、迷宮自体が制覇される前に戻るようだな……」
「え、そうなの?」
「二人とも、石に触ってみろ」
「あ、ピリリってきた!」
「むむ、さっきとおんなじだぞ! トーちゃん」
ソラには<回復促進>が、ムーにはなんと<魔力増大>がついていた。
<魔力増大>――魔力をより引き出し高める。
発動:自動/効果:小/範囲:自身
「お、ムーは当たりだな」
「また、つよくなってしまったか」
「いいなー、ムーちゃん」
ソラにつむじをグリグリされて、だらしなく頬を緩める子どもの顔を見ながらトールは素早く考える。
現在の<復元>の残り使用可能回数は六。
試してみようとは思うが、おそらく石の蓋が出てくる直前で止めるのは無理だろう。
迷宮の主が復活することを込みで考えるなら、鉄剣の切れ味を最大にしておく必要もある。
帰り道に避けきれない群れに会う危険性もあるので、試せるのは二回が限度だが、それで十分なはずだ。
心を決めたトールは、バラバラになったモンスターの位置を確認しながら二人に告げる。
「よし、あと二回試してみるか」
「なんかするのか? トーちゃん」
「あ、またフタをあけるの?」
「その予定だ。ムー、<電棘>と<雷針>を頼む。ソラはムーについていてくれ」
今度は準備と心づもりをしっかり整えたトールたちは、瘴穴を再び開く。
先ほどと同じく復活しかけるホブゴブリンチーフに近づいたトールは、立ち上がるのを待ってサクサクと切り刻んだ。
三回目はトールに<苦痛緩和>、ムーに<回復促進>、ソラには<筋力増強>がつく。
そして四回目、全員に四つの特性が揃ったことを確認して、トールは満足気に息を吐いた。
「なんかスッキリしたな。よし、帰るか」
「はーい。ね、ちょっと腕太くなってないかな?」
「おなかすいたぞ、トーちゃん!」
「気を抜くなよ。上に戻るまでが迷宮探索だからな」
しかし帰り道は特に問題も起こらず、トールたちはあっさりと地上にたどり着いた。
待ち構えていた鉱夫たちや若者四人組、それとなぜかベッティーナたちからも祝福を受ける。
その後しばらく待って、洞窟の崩壊を確認した鉱夫長を護衛しながらトールたちは街を目指した。
すでに他の鉱夫たちは、シサンたちに付き添われて帰路についている。
街へ戻る頃には日はかなり沈みかけていた。
査定受付で出迎えてくれたのは、顔馴染みのエンナ受付嬢であった。
今日の狩りで集めた耳と魔石を差し出すトールに、いつもの穏やかな笑みで応対する。
「無事にお戻りですね、トールさん。いかがでしたか?」
「ああ、なんとか終わったよ。きつい二週間だったな」
「ご苦労さまでした。そちらは制覇証明の?」
「ああ、ちゃんと洞窟が消え去ったのを確認したよ。この仕事は長いが、正直驚いたね。初挑戦で成し遂げちまうとはな。しかもたった三人で、その内の一人は俺の娘よりも幼いと来た。いやはや、ほんとたいしたものだよ。彼らみたいなのが、正真正銘の冒険者ってやつだな」
「非常に高い評価を頂き、ありがとうございます」
「いやいや、礼を言いたいのはこっちさ。一緒に仕事ができて楽しかったよ。あんたらの今後に期待してるぜ」
差し出された手をトールは強く握りしめた。
ムーやソラとも握手を交わした鉱夫長は、討伐証明書にサインをすると大きく手を振りながら去っていった。
「では改めて、祝福の言葉を。おめでとうございます、トールさん、ソラさん、ムーさん」
「どういたしまして」
「てへへ、なんか照れますね」
「えっへん。ほうびにおやつとかないのか?」
「窓口は飲食禁止なの、ごめんね」
「そっかー。トーちゃん、ごはんまだか?」
「じゃあ急いで帰るか。今日はユーリルさんが、ご馳走を作ってくれているはずだぞ」
トールの言葉に、ムーは紫色の瞳を輝かせる。
「それでは明日、新しい冒険者札を用意しておりますので、局内の窓口にお越しください」
「ありがとうございます、エンナさん。うしし、楽しみだなー」
「あ、ソラさん、今日で三十日目ですね。冒険者生活を無事一月経過、おめでとうございます」
「あ、まだ一月なんだ。これまでお世話になりました。では、これからもどうぞ、よろしくです」
にこやかな顔のまま頭を下げるエンナに別れを告げて、トールたちは住み慣れた下宿へ向かった。
今回の小鬼の洞窟で稼げた金額は銀貨百六枚、大銅貨五枚、銅貨四十枚となった。
出費は装備品の銀貨十六枚と魔石灯のレンタル代大銅貨7枚と中銅貨一枚。
差し引き、銀貨八十九枚と大銅貨七枚、銅貨九十枚の儲けである。
スキルポイントの獲得点はトールとムーが二千四百ていど、ソラが千七百ほどであった。
帰宅した三人は、ユーリルの猪肉を使った煮込み鍋を存分に楽しむ。
この日、夜遅くまで笑い声が絶えることはなかった。




