振り回される大人たち
こちらの時系列は三章中のお話となります。
「ほ、本気で仰ってますか?」
境界の街ダダンに建立された法廷神殿。
その財務部門の統括官を務める男性は、目の前の老人をまじまじと見つめながら問いかけた。
「うむ、もちろんじゃよ」
あっさり答えてみせたのは、この神殿の最高責任者たる神殿長のザザムだ。
胸元まで覆う白いひげに、未だ鋭さを失わない紫の両眼。
背筋もピンと伸びており、相変わらず威風たっぷりといった佇まいである。
若かりし頃から金剛級の冒険者パーティー"紫雷嵐"の一員として名を馳せてきただけあって、その身にまとう空気は常人とは一線を画していた。
もっともそんな近づき難い雰囲気とは裏腹に、ザザム本人は意外と気さくな人柄だったりする。
統括官の男性と職務の話をする際も、終始和やかな口調で声を荒げたことなど一度もない。
それにわざわざ足を運んでまで頼んでくる内容も、ささやかな品ばかりときた。
ここ最近のものだと有名な菓子店で毎日、クッキーを買い付けたり、ややお高めの果物を取り寄せたりといった程度だ。
しかし今回のはそれまでとは違い、かなり値が張りそうな話である。
こめかみに手を当てて押し黙ってしまった男性に、ザザムは期待に満ちた声で尋ねてきた。
「で、いつごろ出来そうじゃ?」
「えー、あー、その……」
「なるべく早くがいいんじゃが。一月もあれば十分かのう」
「本気なのですね? 冗談ではなく?」
浮かれた口調で話を進めようとする老人の様子に、男性はつい同じ問い掛けを繰り繰り返してしまう。
困惑しきったその声に軽く眉をひそめたザザムは、しっかりと頷いてみせた。
「うむうむ。大真面目に話しておるぞ」
「そうですか……」
「で、どうなんじゃ?」
「あー、えー……」
「なんじゃ、歯切れが悪いのう」
「その……、今季の予算はすでに割り振られておりまして……」
「そうか、金が足りんか」
白ひげを数度しごいた老人は、諦める素振りも見せず会話を続けた。
「先々月に大口の喜捨があったはずじゃが?」
「それは聖堂の長椅子の改修費になりましたよ。硬くてお尻が痛くなると苦情が多かったですしね」
「ああ、確かにのう。じゃあ今月の献納はどうじゃ? ちょいとばかし余っとらんか」
「そちらは祭具の代金の支払いでぎりぎりの予定です。奮発して二つも発注したのをお忘れですか?」
「おお、そうじゃったな。うむむむ、ならばここは寄進を募って……」
「それはご遠慮ください」
法廷神殿で働く審理師たちは、雷神から授かった技能樹の力を以て事の真偽を明らかにする。
が、注意点が一つあり、その審査の結果を正しく伝えないと雷神の教えに逆らう行為となり加護を失ってしまう恐れが出てくるのだ。
なので、いくら金銭を積まれようと虚偽がまかり通る心配はないと断言している。
けれども、いくら賄賂が無駄とはいえ、中立の立場を取らねばならない法廷神殿がおおっぴらに寄付を募るのは何かと勘ぐられても仕方がない。
しかも、名目もちょっと首をひねる代物である。
統括官の真剣な制止に、ザザムはまたも考え込んでしまう。
が、わずかな沈黙の後、さらっと言い放った。
「そうじゃな、金がないならギギロ様の積立をちょいと回していただくしかないのう」
「ええっ! 本気ですか?」
「うむうむ、至極真面目じゃよ」
雷神ギギロの立像は、この法定神殿の参詣者の一番の目玉である。
が、すでに造られてから二十年近く経っており、そろそろ男神様を御直しすべきという声が信徒からも上がってきていた。
そこで毎月、ある程度の金額をこつこつと積み立ててきたのだが……。
「そこまでしてですか?」
「ギギロ様は寛大なお方じゃて、少しばかり遅れても大目に見てくださるはずじゃ」
きっぱりと言い切るザザムの姿に、統括官の男性は再びこめかみに手を当てた。
こうなってしまうと、神殿長は梃子でも動かなくなるのは過去のやり取りで経験済みである。
「わかりました。早急に手配いたしましょう」
「おお、楽しみじゃのう!」
「では、改装内容をもう一度確認しますけど……」
子どものように目を輝かせる老人に、男性はやれやれと内心で思いながら問いを発した。
「階段の手摺を、今の三倍の太さに替えるということでよろしいでしょうか?」
§§§
同じような頃、探求神殿でも一人の女性が同様にこめかみを押さえていた。
低年齢の学部の教導師主任を務める彼女は、今年で勤続二十年目を迎えるベテランである。
負けん気の強い子、話が聞けない子、集団に馴染めない子。
様々な幼子と接してきた経験を持つ。
しかしながら、この短い間でこれほど話題になった子どもは初めてであった。
「主任、大変です! ムムメメさんが!」
「またですか!?」
ムーの愛称で呼ばれる少女は、入学前に神殿学部の規則の変更に関与したことですでに大きな話題となっていた。
階段の手すりを滑る危険行為を、あの神殿長が直々に許可したと聞いて女性は目を丸くしたものだ。
雪色の美しい長髪に透けるような白い肌など、年齢を一切感じさせない美貌とスタイル。
加えて穏やかな口調や柔和な物腰などで、生徒の保護者からの評判も上々である。
そんなミーラリリーラ神殿長であるが、実は規律に対しては非常に厳格な一面を持っていたりする。
女性自身も、手厳しい指摘の言葉を淡々と告げられたことはこれまで幾度となくあった。
神殿関係者の間では密かに"氷壁"と呼ばれている神殿長が、簡単に譲歩した相手。
大いに注目を集めるのも止むなしであったが、案の定、皆の予想はあっさりと的中してしまう。
立入禁止の屋上で大量の猫たちと集会。
上級生たちも巻き込んだ鬼ごっこ大騒動。
そして恐ろしいモンスターの部位の持ち込み等々。
これが、ここ二週間足らずに起こった主だった出来事となる。
さらに細かい事件などはほぼ毎日、あちらこちらで発生していた。
おかげで教導師一同、後始末と規則の新たな設置に日々追われる有り様であった。
「今度はなんですか?」
「なんでも温室の屋根に勝手に登ってしまったらしくて、オーリンドール先生が下ろすのを手伝ってほしいと」
「わかりました。すぐに向かいます」
急いで現場に駆けつけた女性の目に飛び込んできたのは、丸みを帯びた温室の屋根で呑気に眠りこけるムーの姿であった。
その周囲には、なぜか数個の鉢植えが並んでいる。
小さな寝息を立てている少女の近くには梯子が立て掛けてあり、梯子段の天辺に居た白衣姿の女性が話しかけてきた。
「お、こっちこっち。ぐっすり寝ているからお静かにお願いするよ」
唇に指を当てる仕草を見せるオーリンドールに、主任の女性は肩をすくめながら頷いた。
そして声をひそめながら言葉を返す。
「それでどうします?」
「まずは鉢植えの安全を確保させてもらうよ。大事な子どもたちなんでね」
「では一つずつ手渡してくださいな。ほら、あなたも」
「は、はい」
呼びに来た若い教導師も巻き込んで、小さな植物たちのリレーが迅速に取り行われた。
鉢植えをすべて地面に無事移し終えたところで、熟睡中のムーを抱きかかえたオーリンドールが慎重に梯子を伝ってくる。
音もなく地面に降り立った白衣の女性に、二人の教導師は安堵の息を吐いた。
「ふう、助かったよ。お疲れ様」
「どういたしまして。ふふふ、眠っていると本当に愛らしいですね」
「ああ、そうだね。でも、愛らしいのは見た目だけじゃないよ」
嬉しそうな笑みを浮かべつつ、オーリンドールは足元の鉢植えたちへ視線を向けた。
「どうやらこの子たちにお日様の光が必要だって聞いて、わざわざ日当たりの良い場所に運んでくれたみたいでね」
「それでこんなところへ登ったのですね」
友達や上級生と仲良くしたい。
親友を元気づけたい。
一見、突拍子もないムーの行動だが、少女なりにきちんと理由があったりする。
やり方がどうであれ、その根底にあるのは子どもらしい好奇心や善意であることは間違いない。
むろん、危ない行為はきちんと言い聞かせねばならない。
だが大事なのは何でも否定するのではなく、より良い着地点を探りながら教え導いていくことである。
この二十年間、ずっとそうしてきたように。
少女を取り囲んだ三人の女性は、目を合わせながら無言で微笑みあった。
§§§
ほぼ、同時刻。
境界街の路地奥にある革専用の店では、若き職人が困惑の悲鳴を上げていた。
「親父、まーたあの長靴の注文受けたのかよ!」
「店じゃ、親方と呼べって言ってるだろ!」
叫び返したのは、見るからに気難しそう顔の熟年の職人だ。
互いに声を張り上げる二人だが、大きめの鼻や口元などはそっくりである。
まあ、親子だから当然ではあるが。
「はいはい、親方。で、どうすんだよ? もう四足分も注文受けてんだぜ」
「ふん、一足くらい増えたところで大して変わんねーだろ!」
「いやいや、材料の革が残りちょっとしかねーって!」
呆れたように言い返す若者の名前はモント。
この路地奥の防具屋で、一番下っ端の職人である。
そして店主であり職人頭でもあるラモウ親方の二番目の息子でもある。
「ったく、親方はほいほいと安請け合いしすぎなんだよ」
「し、仕方ねぇだろ。あんだけ熱心に欲しい欲しいって言われちゃ職人冥利に尽きるってもんだぜ」
「まぁ、そりゃそうだけどさぁ」
あれこれ言い合う大人二人だが、なんとも意外な品物が原因であった。
事の発端は、法廷神殿からの特別な祭具の製作依頼である。
お気に入りのムー専用の装具と聞いて、親方はことのほか張り切ってしまう。
で、その結果、完成したのは紫の縞模様が入った素晴らしい出来栄えの長靴だった。
ここまでなら良い話で済む。
が、問題はここからだ。
すっかり雷獣の革靴が気に入ったムーは、ご機嫌でどこにでも履いていくようになる。
当然、その中には探求神殿も含まれていた。
おまけに神殿の廊下で、空中滑り歩きまで披露してみせたらしい。
で、その結果、僕も私もあんな靴が欲しいと大騒ぎになってしまったというわけだ。
「いやいや、無茶言うな。あの革はそうそう手に入んねぇんだよ」
「そこを何とかなりませんか?」
「無理無理!」
もちろん雷精樹の加護がなければ空中浮遊は不可能であるし、そもそも材料の雷獣の革の入手が困難すぎてぽんぽんと作れる代物でもない。
その点は口下手ながらもラモウがなんとか説明したため、付添の親たちにはなんとか伝わったようだ。
しかし、年端もいかない子どもにそんな理屈なぞ通用しない。
「おじちゃん、ダメなの?」
「駄目っていうか、難しいっていうか……。あー、どう言ったら良いんだよ」
「ムーちゃんのクツ、すっごくピカピカできれいなの」
「だろぅ。わしが精魂込めて作ったからな。おいおい、涙ぐむのは勘弁してくれ。分かった分かった。おんなじのは無理だが、似たようなやつでいいならどうだ?」
「ほんと!?」
そんなわけでラモウが新たに製作したのは、夜光猫の革を使った子ども用の革靴であった。
この猫型のモンスターは暗闇で己の毛皮を光らせる習性があり、死後もその効果は継続される上、色合いも似ており、お誂え向きの素材である。
ただし、こちらも希少なモンスターゆえ、流通量はさほど多くはないが。
そして案の定、この新しい方の革靴も評判となってしまう。
特に暗くなっても足元が目立つので、保護者たちから特に気に入られたようである。
で、その結果、注文が次々と舞い込んで路地裏の防具屋はてんやわんやになってしまっているというわけだ。
「ふう、しゃあねぇなぁ」
「おい、どこ行きやがる!?」
大袈裟にため息を吐きつつ職人用の革の前掛けを脱ぎ捨てた息子に、ラモウは慌てて声をかけた。
振り向いたモントは、にやりと笑いながら言い放つ。
「問屋を片っ端から回って残ってる夜光猫の革、全部買い占めにいくんだよ。今の調子じゃ絶対、足りなくなるぜ」
「お、おう」
「まあ、断れねぇって親方の言い分も、分かるっちゃ分かるしな」
今までこの路地裏の防具屋の主な客層は、むさ苦しい野郎どもばかりである。
だからこそ全身で喜びを表す子どもたちの姿は、モントたちにとってとても新鮮な反応であった。
颯爽と店から飛び出していく次男の背中を見送った父親は、ぼそりと呟きながら腰を上げる。
「よし、わしも知り合いの伝手を当たってみるか」
いそいそと二人が出かけてしまった後の店内で一人残された長男のクラカは、軽く頭を掻いてから山盛りの仕事の続きに取り掛かった。
§§§
「ただいま戻りました。まだ起きてらしたんですね」
「お帰りなさい、トールさん」
深夜遅く帰宅したトールを出迎えてくれたのは、台所の柔らかな灯りとユーリルの優しい声であった。
薄着姿の美女は悪戯っ子のように小さく舌を出してから、手にした分厚い本を持ち上げてみせる。
「オードルが貸してくれたんですが、思ったよりも面白くてつい読み耽ってました」
「珍しく夜ふかしかと思えば、読書中でしたか」
「ええ、トールさんこそずいぶんと遅いお帰りですね」
「ふぅ、そこそこ呑まされまして」
お相手は局長のダダンで、場所はいつものチョイ屋だ。
安心して愚痴をこぼしたくなる聞き手がたまに欲しくなるらしく、ここ最近は呼び出される機会がちょくちょく増えていた。
いつもならある程度で切り上げて退散するのだが、今日は良い酒が入ったとかでついつい長引いてしまったのだ。
<復元>を使えば一瞬で酔いも醒ませるのだが、なんだか勿体ない気がして外壁にかかる月を眺めながらのんびり帰ってきたところ、いつもより遅くなったという次第である。
「ああ、そうだ。これを」
「なんですか?」
「師匠からの手土産です。渡し忘れてたとかとぼけてましたね」
丸い包みはそれなりの重さだった。
トールから手渡されたユーリルは、少しだけ目を丸くしながらテーブルの上に置いて結ぶ目を解く。
中から顔を出したのは、薄緑色の球体だ。
「まぁ、網甘瓜ですね!」
「へぇ、果物ですか」
「これ結構、お高い品ですよ」
密かに果物好きなユーリルが、嬉しそうに声を弾ませた。
「あ……!」
「どうしました?」
「この瓜って網目の模様で食べ頃が分かるんですが、これもう完全に熟しきってますね」
「へぇ、面白いですね」
言われてみれば、表面に細かい模様が浮かび上がっている。
しかし感心しているトールをよそに、ユーリルはなぜか困った表情である。
「何か問題なんですか?」
「ええ、ここまで熟しきってますと、朝まで保たないかもしれません」
「ああ、だからさっさと食べろって言ってたのか、師匠」
顔を見合わせてしまう二人。
<復元>は魔物絡みにしか効果がないため、熟す前に戻すことは叶わない。
こういう時に便利な冷蔵できる魔道具もない。
「うーん、そうなると……」
「仕方ありませんね……」
普段であれば、違った判断を下したかもしれない。
しかし今日のトールはややほろ酔いであり、ユーリルはたまたま読んでいた本が無人島に漂着した冒険者の物語で、美味しそうに果物にかぶりつくシーンが脳裏に焼き付いてしまっていた。
球体の果実は、包丁を入れると抵抗もなく二つに分かれる。
みずみずしい緑色の果肉からはたちまち甘ったるい香りが溢れ出し、悪い大人たちはごくりと唾を飲み込んだ。
「では、こっそり片付けてしまいましょうか」
「はい、いただきま――」
「とーちゃん、おしっこ」
口に入れようとしたその瞬間、背後から発せられた声に二人は背中を強張らせた。
慌てて振り向くと、そこには寝ぼけ眼の少女が。
「お、起きてきたのか、ムー」
「ふんふん、なんかいいニオイがするむぅ……」
「そ、そうだな。おしっこ済ませたら一緒に食べるか?」
「うん」
「ちゃんとその後、歯も磨くんだぞ」
「うん」
甲斐甲斐しく言い聞かせるトールの隣で、こっそり胸を撫で下ろすユーリルであった。
だがしかし、翌朝あっさり口を滑らせたムーのせいで事が露見し、ソラのご機嫌取りに再び高めの果物を買いに行く羽目になるのであった。
皆様に支えられて、気がつくと130万部の売上となりました。
心から感謝いたします。
本日発売の九巻も、ガンテツ先生の冴えわたる筆致で描かれる素晴らしい家族の絆や、胸踊る戦闘シーンなど見どころ目白押しとなっております。
ぜひ、お手元で御覧下さいませ。




