親子の絆
こちらの時系列は本編終了後のお話となります。
「ただいま、遅くなっちゃってごめん」
「あ、ママだぁ」
「おかえりー、ママ!」
慌ただしく玄関の扉を開けたルデルを出迎えてくれたのは、元気な幼子たちの声であった。
廊下の奥からひょっこり顔を出した愛娘らは、遅くに帰宅した母親の姿に目を輝かせた。
そのまま跳ねるような足取りで駆け寄ってきて、ルデルの太ももにぎゅっと抱きついてくる。
左右の温かな重みに安堵の息を漏らしたルデルは、二人の背に手を回し軽々と持ち上げてみせた。
ふわりと宙に浮かぶ感覚に子どもたちは歓声を上げ、今度は母親の首に嬉しそうにしがみつく。
ミルクのような甘い匂いに包まれながら、ルデルは二人をしっかりと抱え直した。
今年で四歳になる双子たちだが、すくすくと育ってくれているようだ。
ずっしりと腕にかかる我が子たちの重みに、ルデルはつい疲れを忘れて口元を緩めた。
「ふふ、お腹空いたでしょ。すぐご飯にするからね」
「ううん」
「もう、おなかいっぱい!」
「あら? ああ、そういえばお願いしてたっけ」
漂ってくる美味しそうな香りの正体に気づいたルデルは、双子を抱っこしたまま台所へいそいそと向かう。
そして器用に肘で扉を開け、おたまで鍋を掻き回していた人物に声を掛けた。
「ただいまー、カドルカ」
「おかえり、姉さん」
微笑みながら振り返ったのは、額に小さな角が生え首元を鱗に覆われた黒髪の青年であった。
ルデルと顔立ちがよく似ており、一見、女性と見間違うほどの美形である。
華奢な体つきにエプロンをまとったその男性は、優しげな声で会話を続けた。
「そろそろ帰ると思って、シチュー温めておいたよ」
「私の大好物! カドルカってほんと私のこと分かってる」
「そりゃ長年、姉弟やってるからね。はい、大盛りでよかったよね」
「うん、最高!」
双子たちをそれぞれ子ども用の椅子に座らせたルデルは、ご機嫌な顔でテーブルについた。
その目の前には、すでに湯気のたつ深皿が置かれている。
スプーンを手にしたルデルは水神アルーリアと地神ガイダロスへの祈りを素早くつぶやくと、大胆にシチューをすくい上げた。
そして大口を開け、ぱくりと咥え込む。
もぐもぐと咀嚼すると、その唇の端が次第に持ち上がってしまう。
ごくんと飲み下したルデルは吐息を深々と漏らした。
その手元に、スライスされガーリックバターがたっぷり染み込んだ堅焼きパンがさり気なく置かれる。
さらに、なみなみと葡萄酒が注がれたグラスまで添えられるのを目撃したルデルの目はまん丸になった。
その上、双子たちにはホットミルク入りのマグカップまで手渡し済みという完璧ぶりである。
「もう! あー、もう!」
「うん? 何か不味かったかな」
「違うわよ。逆逆」
左右に座る双子たちと軽く乾杯したルデルは、盃を一息で空にしてから呆れたように言葉を続けた。
「ふう、美味しい。……あんたって昔っから要領がよくて気も利いてて料理も上手いしで、お転婆だった私とは大違いね」
「はは、それこそ逆だよ、姉さん。姉さんが探索者として凄すぎたから絶対敵わないって思って、違うことに目を向けた結果だよ。まぁ、おかげで色々と出来るようになって感謝してるよ」
「ふふふ、それは自慢の姉ってことかしら」
褒められて得意げな顔になった姉に、弟は降参するように手を軽く上げてみせた。
仲睦まじい姉弟の姿であるが、これに関しては育った環境や年齢の差が大きく影響しているのかもしれない。
ルデルより十歳も年下であるカドルカは、"昏き大穴"を葬り去った名高き<復元>の征戦より後の生まれだ。
なぜ、それほど離れているのかというと、ルデルが幼い頃に罹っていた病気が主な理由である。
現在は完治しているその病の名は混交病。
上枝スキルが生えるほど優秀な技能樹を有する者同士の血が混じり合うと、その与えられる加護の大きさに体が耐えきれなくなってしまうという特殊な病だ。
千人に一人と言われる発症率であるが、運が悪いことにルデルの両親はその条件に当てはまっていた。
色々あってルデルの病気は特効薬が手に入ったが、それ以降の保証はない。
新しく母親となった叔母のサラリサもその可能性を考慮して子作りは控えていたのだが、思わぬ方向からこの問題は解決する。
央都ユーラルリールを覆う聖なる黄金樹。
その果実の一部が、混交病の治療に有効であると判明したのだ。
そういった経緯で、第二子として授かったのがカドルカだったりする。
幸いなことにカドルカは混交病を発症せずにすんだが、競売に掛けられた貴重な実はガルウド夫妻が継続して買い上げセルセ基金という名で混交病で悩む夫婦に無償で提供されることとなった。
そんなわけで十歳も年が離れた弟は、姉に存分に甘やかされて伸びやかに育つ。
時代の節目を体験したルデルとは感覚が違いすぎる面もあり、喧嘩らしい喧嘩もせず姉弟仲は今も良好である。
「うーん、また腕上げたわね」
魚のあらで取った出汁で玉ねぎを丸ごと煮込んだシチューは、姉弟の母親たちの故郷トリアラ群島の名物である。
そこに臭み消しとして央都名産の黄金葉を加えたりと、カドルカらしい創意工夫がなされていた。
「美味しかったー。ねぇ、おかわりあったりする?」
「おかわりぃ」
「おかわり!」
母親の言葉につられ、飲み干したマグカップを突き出す双子。
「あんたたちはおねしょしちゃうから、それくらいにしときなさい」
「まだちょっと残ってるけど……。えっと、リッカル義兄さんは?」
「ああ、あの人は今日も別宅だから気にしないでいいわよ」
「そ、そう。だったら、どうぞ召し上がれ」
少しだけ重たくなった空気を気にする素振りもなくルデルは二杯目もあっさりと平らげ、皿に残った分もパンできれいに拭い取ってしまった。
そして満足気な息を再び吐いてお礼を述べる。
「ふう、満腹満腹。いつもありがとう、カドルカ。この子たちの面倒も見てくれるし、本当に助かるわ」
「どういたしまして」
「いたしましてぇ」
「いたしましてー!」
可愛く口真似してくる姪っ子の頭を撫でる弟の姿に、ルデルは目を細めた。
それからはっと思いついた顔になる。
「そういえばこっちでのんびりしてていいの? もうすぐでしょ、祝福祭」
祝福祭というのは、ラムメルラで毎年開催されるとある英傑の生誕を祝うお祭りだ。
楽神でもあるアルーリアを奉る都市ゆえ、音楽祭と言っても過言ではないほど行進演奏に力が入っていることでも有名であった。
そのため著名な奏士であったサラリサは、総括責任者として招致されていたりする。
当然、その息子で気鋭の楽士でもあるカドルカも、何かと出番が多かったりしたはずだ。
「うん、母さんは鱗が剥がれそうなほど忙しいって愚痴ってるね」
「大丈夫なの?」
「平気平気。飛行機械に乗せてもらっているから、ラムメルラにはあっという間に戻れるし」
「はいはい、そんなのあったわね」
機体の左右に取り付けた飛翼を、魔力槽を動力にして上下させることで空中を飛来する飛行機械。
通称とんぼと呼ばれているそれは、姉弟の父親であるガルウドが経営する青冠運輸の新たな主力として試行運用中であった。
「よくあんなのに乗れるわね。いつ落ちないか、ひやひやするわ」
「安全性については飛竜艇よりも上だって話だよ。速度は幾分落ちるけど」
「カドちゃん、おそらとぶの?」
「うん。僕じゃなくて、機械がだけどね」
「へー!」
「いいなぁ」
瞳をキラキラさせる双子たちだが、姉のムルムが続けて発した言葉にルデルは小首をかしげた。
「わたしもまたおそらとびたいなー!」
「また? あんた飛行機械乗ったことあったっけ?」
その質問に、口をまん丸に開けたまま固まってしまう幼女。
代わりに妹のメルメが、困った顔で言葉を続けた。
「それひみつにしてないとダメでしょ。おねぇちゃん」
「そっか、秘密のお話なんだ。うーん、ママにも内緒?」
新たな質問に、今度はメルメまで黙り込んでしまう。
互いの目を合わせた双子は、おずおずと口を開いた。
「えっと、おこらない?」
「うん。正直に教えてくれたらね」
「そのね、のせてもらったの」
ルデルとカドルカの興味に満ちた視線に、しばしの沈黙の後、二人はささやくような小声で教えてくれた。
「……かぶとむしに」
「……おっきくてまっくろだったよ」
思いがけない単語の出現に、今度はルデルたちが目を合わせた。
「そ、そうなんだ。へー、かぶと虫かー。あ、それで言い出しにくかったのね」
「ごめん、気にしてたんだね」
双子の父親であるリッカルは、大英傑トールの弟子にして<復元>の征戦でも剣を振るった英雄である。
また"踊る双朱"の二つ名を持つ探索者でもあり、この央都で知らぬ者はまず居ないと言われるほどの有名人だ。
対してリデルの父親であるガルウドもまたトールとは旧知の仲であり、央国中を駆け巡る魔力槽列車を開発した青冠運輸の総責任者でもあった。
そして魔力槽列車には探索者が遺跡で見つけた技術が多数使われており、発掘品を優先的に横流ししてもらった結果でないかとあらぬ噂を過去に何度も立てられていた。
そのため癒着を疑われないように、リッカルとルデルは未だに正式な婚姻届も出していない有り様である。
またガルウドが無償のセルセ基金を設立したのは、社会的な信用を高めるためという側面もあったりする。
そしてそんな渦中のリッカルだが、実はかぶと虫の飼育家という点でも有名だった。
先ほど会話に出てきた別宅というのはかぶと虫たちの専用飼育棟を指しており、このアパートよりそっちへ入り浸るリッカルに対し双子たちはかぶと虫という言葉にあまり良くない印象を抱いてしまっていたようだ。
大人たちの事情で我が子たちに気を遣わせてしまったことに、ルデルは胸に手を当てて静かに呼吸を整える。
それから二人の肩に手を回し優しい声で謝った。
「心配かけちゃってごめんね。でも、パパももうすぐ一緒に住めるようになるからね」
「ほんと?!」
「うれしい!」
「え? そうなんだ」
「今年いっぱいで探索者は引退して、かぶと虫で食べていくんだって」
かぶと虫は幼き大英傑が熱心に可愛がった相手として央国中に広まっており、お守りとして大人気のペットでもあった。
さらに聖なる黄金樹でもたびたび巨大なかぶと虫の姿が目撃されており、聖ユーリルの加護を受けた昆虫としても知られていたりする。
おかげで優秀な個体となると、金貨単位で扱われるほどの相場となっていた。
「その引き継ぎとかのせいで、私にしわ寄せがめちゃくちゃ来ちゃってるんだけどね」
ここ数日、ルデルの帰りが遅いのはそのせいであった。
少しばかり疲れた音色を含んだ母親の声に、幼子たちは労るように小さな手を伸ばしルデルの頬をさする。
そして心配気な口調で尋ねてきた。
「ママ、だいじょうぶ?」
「おなかいたい?」
「ふふ、ありがとう。二人とも優しくてママ、すっごく嬉しい」
その言葉に顔を合わせた双子は、無邪気に笑いながら声を合わせて言い放った。
「えっとね、かぶとむしにのせてくれた子がいってたの。ルーがこまってたらムーがいつでもかけつけるぞって!」
「だいじな子ぶんだからなーって。だから、またきてくれるかなぁ」
二人の言葉を聞いた瞬間、ルデルは驚きのあまり動きを止めた。
大きなかぶと虫に乗せてもらって空を飛んだというのは、そんな夢でも見たのだろうと思いこんでいたのだ。
しかし今、脳裏にくっきりと蘇ったのは、幼い頃に何度も聞いた懐かしい声であった。
同時に、あの子なら何が起こっても不思議じゃないとあっさりと受け入れる。
目尻から零れそうになった熱い滴りを堪らえようとして、ルデルは頬を持ち上げながら大事な人から名前をもらった愛娘たちの髪をそっと撫でつけた。
そして嬉しそうにつぶやく。
「ほんと、親分にはいつまで経っても敵わないな」
読者の皆様に支えられ、コミカライズもとうとう八巻発売、売上百万部に到達しました。
誠にありがとうございます。
これもひとえに数行にも満たない描写から、恐ろしい量のイメージを引き出し
映像化してくださるガンテツ先生のおかげです。
そんなガンテツ先生にコミカライズしていただく幸運を、日々噛みしめております。
それと引き合わせてくださった編集部の方々にも心からの感謝を。
まだまだ続いていきますので、引き続きご贔屓のほどよろしくお願いいたします。




