思い出の一皿
こちらの時系列は『逃げた男のその後の話』の少し後になります。
行きつけの酒場での夕食時。
紫眼族の若者は、ふと昔のことを思い出した。
その日は厄介な霧のせいで三日も立ち往生したアブク沼の遠征から、ようやく帰ってきたばかりであった。
久しぶりのまともな食事を前に、相棒と二人で祝杯を上げながら青年はなんとはなしに呟いた。
「そういや、ガキの頃っていっつも腹空かせてたな」
「だな。貧乏な山羊飼いの村だったから、腹が減っちゃよく乳を盗み飲みしてたぜ。で、急にどうした?」
「いや、これ見て懐かしくなってな」
そう言いながら青年がフォークで指し示したのは、付け合せのサラダに乗っていた赤い果実だった。
紫眼族の故郷であるハクリは、国土のほとんどが深い森に覆われた地だ。
青年の生まれ育った村も、ご多分に漏れず森と森の狭間のような場所にあった。
畑仕事に使えるような土地はろくになく、住人の大半は木こりか猟師で生計を立てていた。
青年の父親も腕のいい猟師であったが、まとまった金が入るとすぐに使い切ってしまう性格で、まともな食事に三食ありつくのは難しい。
そのため少年時代の青年は、こっそりと森に入っては食べられる木の実を漁る毎日であった。
「この赤桑の実をしょっちゅう食ってたな。妹と一緒になって口の周り赤くしてさ」
「妹が居るのか?」
「ああ、もう十年近く会ってないが、手紙はやり取りしてるぜ。去年、五人目のガキが生まれたらしい」
村では五歳前後になると、毎年やってくる巡回神官によって目覚めの儀が執り行われた。
この時に持って生まれた技能樹の枝ぶりが、だいたい明らかとなる。
さらに十歳を過ぎると、今度はハクリの首都ディンにある大法廷神殿へ巡礼する習わしとなっていた。
「そん時に初めて村から出てさ、大都会の空気と一緒に味わったのがこいつだったな」
そう言いながらバターの風味が香る揚げ芋を、青年はパリッと美味そうに頬張った。
道中でも様々な物を食べたが、引率の村長が奢ってくれたこれが一番心に残っている。
確かあれは、珍しい特性果が誰の技能樹の根っこにも実ってなかった慰めだった。
「結局、その味が忘れられなくて、村から飛び出しちまったよ」
新しい世界を知ったばかりの十代の若者に、あの森の狭間の村で一生を過ごす覚悟など出来るはずもない。
貴重な根源特性には恵まれなかったが、幸いにも青年には雷武樹の加護が備わっていた。
それから、がむしゃらに手製の槍を振り回す日々を送った青年は、十四歳の時に妹に言付けをして家を飛び出した。
後はよくある流れだ。
都会に出てきたばかりの若者はなけなしの金をあっさり騙し取られ、日雇いで食いつなぎながらあちこちへと流されていく。
「お前も一応、苦労したんだな」
「一応は余計だっての。しっかし、色々やったけど今でもよく覚えてるのはこの仕事だな」
そう言いながら青年は、卓上の木皿からパンを持ち上げてがぶりと噛み千切った。
「一時、粉挽き小屋で世話になってな。こぼれた粉をかき集めてパンを焼くんだが、これがまた美味ぇんだよ」
「ほう、そいつはいいな」
給料はしみったれていたがちゃんとした寝床に食事、その上、文句なしのサービスも付いた素晴らしい職場だった。
もっとも三ヶ月足らずで、粉挽き屋の主人に奥方とベッドに居たところを見つかり叩き出されてしまったが。
「いい働き口だったんだけどな」
その後、同郷の伝手を辿った青年は、世間というものを学びつつようやく境界街へと行き着いた。
この後もよくある流れだ。
己の力量をわきまえない向こう見ずな若者の大半は、引き際が分からず小鬼相手にあっさりと高い代償を支払う羽目となる。
ただし運がよかった青年は、とある案内人によって辛うじて死線をくぐり抜けることができた。
その日から、黙々と訓練所で槍を振るう青年の姿を見かけることが多くなる。
「それぐらいの頃だったな。あいつらと知り合ったのは」
「あいつら? ああ、荒野まで一緒だった連中か。仲のいい子も居たんだろ」
「ああ、よくデートの時に、これ目当てで店に付き合わされたもんだぜ」
フォークを持ち上げた青年は、紅りんごのパイを目にも止まらぬ速さで一切れ掠め取る。
そのまま口に押し込み、たいして咀嚼もせず呑み込んでしまった。
「おい、やめろ。そいつは飯の後のお楽しみなんだよ!」
盾持ちの相棒は、おっさん臭い見かけによらず意外と甘い物好きである。
「んぐ、んぐんぐ。ふう、甘いけど苦い思い出だぜ」
そう言い捨てた青年は、麦酒のジョッキを掴みぐいっと呷ってみせた。
そして深々と息を吐いて、口元を拭った。
「ぷふぅ、生き返るぜ。やっぱりこの一杯だよな」
「ったく、忙しないやつだな」
「そういや一番美味かったって思った一杯は、小鬼の洞窟を制覇した時の祝い酒だな。あの時も死ぬかと思ったら、ぎっりぎりで勝ててな」
「もう五回は聞いたぞ、その話。最後まで立ってたのが、お前と盾持ちだけだったんだろ」
「それと水使いの子な。あいつがいなきゃ、きっと全滅してたぜ……」
少しだけ遠い目になった青年に、相棒の男はやれやれと肩をすくめた。
そして皿の真ん中に置かれた主菜へ、ちらりと視線を向ける。
「なんだかんだと語ってるが、要はこいつを見て色々と思い出したってとこか」
「ま、そういうこった」
決して油断していたわけではない。
それだけははっきりと覚えている。
他に覚えているのは焼け付くような左手首の痛みと、仲間たちの喚く大声。
それとぼろぼろと涙を流す彼女の顔だけだ。
「こいつのおかげで、あの時、全部失っちまったからな」
「……そうか。違うもんに変えてもらえるか、女将に聞いてみるか?」
「いや、大丈夫だ」
以前であれば、匂いだけで顔を背けていただろう。
「むしろ、今は大好物だぜ」
フォークで押さえつけ、ナイフで素早く切り取る。
固めの歯応えの奥から、まず溢れ出るのは強めの塩味だ。
続いて熟成された濃い肉の味が、ゆっくりと湧き上がってくる。
そして何度も噛みしめる内に、それらは程よく混ざり合い旨味となって口の中で広がっていく。
「ふう、こいつは塩がよく効いてるな」
「それボッサリアの湖の藻から取れる塩らしいぜ」
「へー。ん、うめぇ!」
感心しながら二切れ目を頬張る青年の姿に、相棒である中年の男性は小さく笑った。
「そういえば詳しく聞いたことはなかったが、お前が抜けた後のパーティってどうなったんだ?」
「お、言ってなかったっけ? もう、なくなっちまったよ」
「……そうなのか。嫌なこと思い出させちまったな」
「いやいや、みんな無事に生きてるぞ。とある理由で解散したってだけだ」
「なんだよ。思わせぶりな顔しやがるから、てっきり……」
「仕方ねえだろ。ぶっちゃけ、そっちの方も結構、古傷なんだよ!」
「ほう、そりゃぜひ聞かせてもらわねえとな」
にやにや笑いを隠そうともしない相棒に、青年は首を横に振って言葉を続けた。
そもそもこの話を誰かにしたかったから、益体もない思い出を語ってしまったのかもしれない。
「俺が片手を失くした時、彼女が親身になって付き添ってくれたんだが、思いっきり突き放しちまってな」
「ああ、かなり荒れてたらしいな」
「それに盾持ちのやつも、門番の仕事に就けるよう冒険者局に頭下げて頼み込んでくれたんだぜ」
「おいおい、いい連中じゃねえか」
「で、一年くらい距離空けてる間に、その二人がいつの間にかくっついちまってな……」
「は?」
「なんでも互いに慰め合ってる間に、つい雰囲気に流されちまったんだとか」
「はぁ?」
「それで子どもまで出来ちまったんだが、パーティの他の二人もそれぞれ好きだったらしくて揉めに揉めた挙げ句の解散だ」
「なんだよ、そりゃ」
「で、今はダダンの内街で精肉屋開いて、二人で元気にやってるらしいぜ」
呆れたように片方の眉を持ち上げる相棒に、ニヤリと笑った若者は酒場のカウンターの内へ視線を向ける。
そこには忙しそうに手を動かす美人の若女将の姿があった。
いろいろあったが、最近ようやく相棒との距離が縮まったらしい。
今度はばつが悪そうな顔になった相棒に、青年はウインクをしながら続ける。
「ま、俺が言いたいのはパーティ内での恋愛は、あまりおすすめじゃないってこった」
月のしずく亭、本日のおすすめディナーコース。
前菜、溶かしバター乗せ丸芋の薄切りフライ、赤桑の実と黄緑菜のサラダ。
主菜、岩トカゲの赤藻塩ハムのステーキ。
デザート、紅りんごのクリームパイ二切れ。
締めて、大銅貨一枚半なり。
雑穀パンと麦酒は別料金となります。あしからず。
いつも拙作をお読みいただきありがとうございます。
作中の岩トカゲのお肉ですが硬めのワニ肉のようなイメージで書いております。
実はワニ肉も食べたことはありませんが……。
そんな岩トカゲの美味しそうな料理が登場する
『役立たずスキルに人生を注ぎ込み25年、今さら最強の冒険譚』コミカライズ七巻
本日発売となります。
興味が湧きましたら、ぜひ手にとってみてください(宣伝)




