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そして変わりゆく日々


 

 翌朝、サルゴン夫婦に別れの挨拶を済ませたソラは、東へ向かう馬車に乗り込んだ。

 その胸元には、なぜか昨日同衾した仔猫がしがみついている。


 実はこの白猫は、クロやシマたちのひ孫にあたる。

 ソラがダダンの街に立ち寄ったのは、ムーの家族である猫たちのその後を知るためであった。


 遠征前にエンナに預かってもらった二匹は、英雄の猫と呼ばれて可愛がられ多くの子孫を残して天寿を全うしていた。

 ただ少々、増えすぎたうえにやんちゃな子ばかりなので、一匹を旅のお供に貰い受けたという次第である。


「よろしくね、シロ」

「ウニャォ」


 小さく喉を鳴らした仔猫は、ソラの人差し指にガジガジと歯を立ててみせた。

 その額をちょんちょんと撫でてやりながら、ソラは窓の外へ視線を移す。


 街道の両側に立ち並ぶ新緑の木立は、きれいな等間隔で葉を揺らしている。

 名前の由来となったモンスターはとうに駆逐されてしまったが、小鬼の森という名はそのまま残されていた。


 道端には伐採された丸太が積み上げてあり、汗を拭う木こりたちが大きな声で笑いあっている。

 遠くに立ち昇っている煙は狼煙ではなく、炭でも焼いているのだろう。

 そこは穏やかな木漏れ日に包まれた、どこにでもあるような森だった。


 尖ったくちばしで幹を穿つキツツキの甲高い響きに、ソラは薄っすらと目を細めた。

 それは唯一残された、あの時代を思い出すよすがかもしれないと。


 車輪を揺らしながら森の道を抜けた馬車は、半日かけて次の停留所にたどり着く。

 小鬼の森はそのままだったが、さすがに血流しの呼び名は不穏すぎたようだ。

 こちらは赤鉄川という名に変わっていた。


 変わったのは名称だけではない。

 以前は丸太小屋と露天商しかなかった川縁も、大きく様変わりしていた。


 まず目を引くのは、赤い川面を横切る大きな石橋だ。

 橋はさらに上流に一本、下流にも二本架かっており、最初にこの川に橋を造ってみせた四人にちなんで上から太橋、長橋、次橋、末橋と呼ばれているそうだ。

 赤い川底の石は名前の通り豊富に鉄を含み、その採取や加工のために、いくつもの鍛冶工房が川沿いに軒を連ねている。

 川ざらいの人夫用の宿舎や小料理屋も並び、鍛冶場町として大いに賑わっているようだ。


 そしてこの人の多さは、それだけが理由ではなかった。

 長橋を渡った先の大きな広場には、ひっきりなしに荷馬車が出入りしており黒山の人だかりとなっている。


 どうやら降ろした荷物を、奥にある建物へ運んでいるようだ。

 その建物には、大きな荷車をいくつもくっつけたような奇妙な乗り物が鎮座していた。

 

 馬車で運んできた荷物は、そこへどんどん積み替えられている。

 荷車の車輪の下には平行にニ本の鉄の棒が敷かれており、まっすぐに地平の彼方まで続いていた。


 連結した荷車の前には、箱馬車の客車部分を引き伸ばしたような代物がくっついている。

 そしてそれらの先頭部分に見えるのが、水車小屋ほどの大きさはあろう車輪付きの水槽だった。

 巨大な水槽には、魔力が溶かされた動力水エーテルが波々と湛えられている。


 これこそが新央国が誇る新たな時代の運送手段、魔力槽列車である。

 

「おー、すっごいねぇ、シロ」

「ニャッ!」


 乗り場付近でたむろしている売り子から弁当を買い、客車の入り口で運賃を払って乗り込む。

 座席はどこでも自由に座っていいようだ。

 

 運良く窓際の席に座れたソラは、膝の上に置いた弁当の包み紙を広げる。

 中身は塩漬け肉と燻製チーズを挟んだ堅焼きパン(バケット)であった。

 どこか懐かしい気持ちに浸りながら、豪快にかぶりつく。

 仔猫にはエンナにもらった茹でた鶏肉を細く裂いてやると、ウニャウニャと言いながら尻尾を立てて食べていた。


 しばらくすると出発の笛が鳴らされ、車体がゆっくりと動き出す。

 最初はのろのろと遅かったが、じょじょに加速していき、あっさりと馬車の速度を超えてしまう。

 ほとんど振動もない滑らかな走りっぷりに、ソラは感嘆しながら座席に腰を落ち着け直した。


 背後に流れていく窓の外の景色は、空から眺めるのとはまた違った趣がある。


「これはこれで面白いかも。ユーリルさんとムーちゃんが居たら、きっと窓にかぶりついてるね」

「ニャア?」

「うんうん、もうすぐ会えるからね」


 赤鉄川の駅を発った魔力槽列車は、またたく間に緑の地を駆け抜けていく。

 以前は吸精草の群生地であった荒野も、今は豊かに実る小麦畑や牧草地に姿を変えていた。


 色違いに移り変わる景色を楽しむこと二時間。

 次第に交じりだした白や茶色に、とうとう地面の全てが覆われてしまう。


 破れ風の荒野に入ったのだ。


 年中乾いた風が吹き荒れる水はけのいい砂地では、農作物を育てるのは困難である。 

 ただし一見、不毛の地に思えるこの場所にも、実は数多くの資源が眠っていた。


 南側の入り組んだ峡谷地帯に、ここ数年で貴金属を含む大量の鉱脈が見つかったのだ。

 さらに奥地にあたる東の岩山地帯では、良質な岩塩の鉱床の存在も確認されている。

 そのうえ、砂そのものにも価値が見いだされたおかげで、この地には一攫千金を目指す鉱夫たちが集い、いつの間にか希望の荒野と呼ばれるまでになっていた。

 

 宿場町で慌ただしく荷を積み替えた列車は、またも線路レールを軋ませながら走り出す。

 そして日もどっぷりと暮れかけた頃、ようやくその日の終着駅、ムー城塞へたどり着く。


 旧央国時代の名残を残す有名な砦だが、今は駅舎に改造されており、乗客の宿泊施設にもなっていた。

 黒い水面が広がる湖畔を望みながら、ソラは岩塩プレートで焼いた岩トカゲの肉のステーキを心ゆくまで堪能する。


 前よりも豪華になっていたお風呂をたっぷりと楽しみ、毛づくろいを済ませた仔猫を抱いてベッドに滑り込む。

 翌朝、窓の外に開ける景色に、ソラは思わず驚きの声を上げた。


 見渡す限りの泥、泥、泥であった妖かしの沼は、澄み切った水を湛える美しい湖に変容していた。

 一面の緑青色の中央にそびえるのは、白い尖塔がいくつも突き出す街ラムメルラだ。

 アーチを描く石橋がいくつも岸から繋がっており、見事な景観となっている。


 さらによく見ると、湖面のあちこちには銀色の点々がいくつも浮かんでいた。

 小舟に乗った数人が、その近くで何やら作業してるようだ。


 有名な地下監獄や施療神殿の大聖堂があるラムメルラの街は、今や観光地や巡礼地として非常に人気である。

 だが、それ以外にも大きな特産物が存在した。

 魔女が恐れられた時代から、沼地に生息していた銀浮花だ。

 この花弁に宿る雫には魔力を回復させる効果があるため、魔力瓶や魔力槽が主流となりつつある今日、その需要は飛竜昇りとなっていた。

 

 陰鬱な眺めが一転して素晴らしい光景に変わったその陰に、数多くの人々の血のにじむ努力や苦労があったのだろうとソラは思いを馳せる。

 二十五年ぶりに戻ってきた故国は、皆の手で素晴らしい場所へと変わっていた。


 心の底から嘆息したソラは、忙しい身の上であろう友人らには挨拶せずに列車へ乗り込む。


「また後で必ず顔を出しますから、それで勘弁してくださいね、ラムさん、クーさん」


 湿地帯を迂回した列車は、南北へ横たわる山並みへ向かった。

 むろん、二本の線路の上しか進めない車両に、急な山登りは不可能である。


 風を切って列車が向かったのは、山間をくり抜くように掘られた隧道トンネルであった。

 薄暗い渓谷を通り抜けた列車は、平原を蛇行する大きな赤い河を目指して一直線に走り続ける。


 それは最初は、河のほとりに立つ大きめの岩かと思われた。

 だが近付くに連れ、遠近感のおかしさに乗客たちが少しずつ騒ぎ始める。

 あまりにも大きすぎるのだ。

 仮に一つの建造物だとすれば、信じ難い高さと幅である。

 距離が縮まりはっきりと目視できるようになった瞬間、大勢が窓から身を乗り出して口々に歓声を上げた。


 その正体は、横倒しになった巨大過ぎる亀の甲羅であった。


 天まで届くような威容を皆が一様に見上げる中、列車は大亀の顔が出入りしてたであろう穴に吸い込まれていく。

 甲羅の内部は、立派な一つの街となっていた。


 硬く頑丈な甲羅内部の側面に沿って階段や家が所狭しと並んでおり、増築中の場所も多いようだ。 

 滑車に繋いだ太い鎖で、上下に移動する大きな箱型の乗り物も見える。

 天井には棘が抜けた部分が何箇所も空いており、星空のような輝きが真上に広がっていた。

 これらの穴には天幕が取り付けてあり、雨が降ると引っ張って閉じられる仕組みらしい。


 紅河はさすがに横断できないため、魔力槽列車の西側路線はこの甲羅の街が終着であった。

 駅舎からすぐに大きな宿屋があり、ソラたちは名物である紅魚料理に舌鼓を打つ。


「これはうん、なかなか食べごたえがあるねぇ」

「ニャァァ」

「すみません、あと三皿追加お願いします!」

「ニャオ!」


 翌日、大きな魔力槽船で向こう岸に渡ったソラと仔猫は、東側路線の列車に乗り換えた。

 ここまで来れば、目的地まであと一息である。


 半日も経たずに見えてきたのは、宙に浮かぶ黄金の島であった。        

 正確には島ではなく、黄金色の葉に覆われた梢である。


 ユーリルの体内から芽吹いた黄金樹は、今や天を衝く巨木となっていた。

 太い幹の直径は、優に五百歩を超えている。


 その枝葉の傘の下に造られたのが、央都ユーラルリールだ。

 名前の由来は大いなる聖樹ユーリルの本名からだが、見た目から聖樹の都や黄金の都などとも呼ばれている。

 

 この黄金樹の街が央国の政治的中心地となったのは、やはりその加護を頼みにしたいという点が大きい。

 数百年にわたってこの地に穿たれていた大穴の恐怖は、数十年程度で払拭できるものでもないのだろう。


 あまりの壮大さに乗客たちも無言になる中、列車が近づくと根元にある街がハッキリと見えてくる。

 白い幹に合わせるように、白亜の建物が隙間なく並んでいる。

 木製でも石造りでもなく、白い砂を固めて建てられているらしい。

 破れ風の荒野の上質な砂は、ここへ運ばれてくるのだ。


 住民がどんどん増えていくせいで外周区が何度も増設されており、一番外側の壁はすでに枝の傘からはみ出してしまっていた。

 外縁部の駅に滑り込んだ列車は、車輪を軋ませながら到着の鐘を響かせる。

 客車から飛び降りたソラは、肩に乗せた白猫といっしょに大きく伸びをした。


「やっと、着いたぁ」

「ニャア!」

「さて、ユーリルさんのところまで、どうやって行けば……」


 ぐるりと見回すと、整然とした人の流れができていた。

 荷物を持った人夫や商人らしき集団、巡礼や観光目当てっぽい方々、それらに含まれない服装の人々、そしてソラと同じような武装した面々などなど。

 それぞれの目的に分けて出入り口があり、商業区や観光区などへスムーズに誘導してくれているようだ。


 ソラと仔猫は当然、都の中心地へ向かう観光ルートへ加わった。

 途中の屋台で酸味のあるパンにたっぷりのハムと塩漬けの黄金葉を挟んだものや、名物の搾りたての黄金果のジュースをいただきながら悠々と町並みを楽しむ。


 これまでの通過した街を全部合わせたよりも多かった人の波も、都の中心に近付くにつれ数が減っていく。

 内側へ行くほど、高級な邸宅が増えているようである。


 やがて観光客の一行は、大きな広場へ行き着く。

 白い幹をよく見上げることのできるこの場所が、一般人が立ち入れる限界のようだ。

 口々に感嘆の声を漏らす人たちから静かに離れ、ソラは物陰に身を潜めた。

 

 大いなる聖樹はみだりに近付けないよう、根元の周りをぐるりと白い砂を固めた壁に囲まれていた。

 大人の背丈で四、五人分の高さがあり、凹凸もないためまず簡単には乗り越えられない。


 人気のない場所をすぐに見つけたソラは、周囲を確認しながら仔猫を懐にしまう。

 そして軽々とその場で飛び上がった。

 だが塀の半分の高さにも満たない距離で失速し、あえなく地上へ戻っていく。


 不思議なことが起こったのはその時だった。

 地面に着地したはずのソラの体が、まるでバネを踏んだかのように再び跳躍したのだ。

 先ほどよりも高い位置へあっさりと到達するソラ。


 しかし、それでもまだ塀を越えるには至らない。

 またも落ちゆく定めかと思われた矢先、出会った時の仔猫と同じように、なぜかソラの体は空中でピタリと留まった。

 そのまま平然とした顔で、何もない空間へ足を踏み出してみせる。


 そこに見えない階段があるかのように、ソラは空中を軽やかに上っていく。

 そして塀の上までたどり着くと、ひょいと向こう側へ飛び込んでしまった。


 大樹の根本は、清掃が行き届いているようだ。

 落ち葉もない小綺麗な地面ギリギリで、ソラはまたもやピタッと止まった。


「お久しぶりですね、ユーリルさん」


 仔猫を地面に下ろしてやりながら、幹に近寄ったソラはその樹皮に優しく触れた。

 そして、しばし眉根を寄せて考え込む。


「……大きすぎて、ユーリルさん要素がさっぱりだねぇ。うーん、何か興味を引けそうなものあったかな」


 ゴソゴソと背負い袋をまさぐったソラは、底の方に隠れていた硬い感触に目を輝かせる。

 引っ張り出されたのは、小さな古ぼけた樽であった。


「オードル先生からの預かりものだけど、この場合は仕方ないよね」


 蓋の栓を抜くと、芳醇で濃厚な酒精の香りが溢れ出す。

 かなりの年代物のようだが、ソラはためらう素振りもなく豪快に樹の根元へ空けてしまった。


 そして今度は額を幹に押し当てて、またも何かを探るような表情を浮かべる。

 すぐにその口元が、しめしめとばかりに緩んだ。


「やっぱり呑助なとこは変わってないですね、ユーリルさんは。うん? ちょっと小さいような。ま、いけるかな。よし、<反転>!」


 次の瞬間、幹に亀裂が生じたか思うと、中から全裸の女の子が転がり出てきた。

 弾むように地面に降り立った少女は、目をしばしばさせた後、可愛く首を傾ける。


「あら、ここは……?」


 透き通るほどに白い肌と、膝近くまで伸びた銀色の髪。

 左右の耳は尖りながら長く飛び出し、おまけにその裏側は灰色である。

 そしてどこかあどけなさを残しながらも、ほぼ完璧に整った美貌。

 ここまで特徴が揃えば、まず間違えようがない。


「……ユ、ユーリルさん?」

「あら、その声はソラさん……よね?」


 互いに見た目は大きく変わってしまっていたが、一言交わせば十分であったようだ。

 腕を広げたユーリルの胸の中に、勢いよくソラが飛び込む。


「ユーリルさん……、ユーリルさん!」

「ソラさん、また会えた。ソラさん……」


 ユーリルの胸に顔を埋めるソラの背に、白い手がそっと回される。

 その心地よく懐かしい感触に、ソラは静かに身を震わせた。

 

「ソラさん、すっかり大人になったのね。ところで、私はどうして……?」

「……わたしの、魔技で……、<反転>を極めて……、その、人の要素だけ……を取り出せるように……」


 感情が溢れて何度も言葉に詰まるソラの頭に、ユーリルの手がそっと置かれた。

 

「頑張ったのね、ソラさん。……ありがとう。本当にありがとう」


 髪を撫でる手が下りてきて、ソラの頬に柔らかく添えられる。

 

「こんなに傷を……。ずいぶんと無茶をさせてしまったようね。ごめんなさいね、ソラさん」

「謝らないでください、ユーリルさん……。今はただ、いっしょに……」


 慈母のような笑みを浮かべたユーリルは、何度もありがとうとささやきながらソラを優しく撫でさする。

 嫌なことばかりの辛い夜や耐え難い空腹な時、心に刻んでおいたこの声と手をどれほど思い出したことだろう。


 力を完全に抜いて身を委ねるソラの耳に、不意にびっくりしたような声が落ちてくる。


「あら、あららら」

「どうかしましたか、ユーリルさん? えっ!」


 頬や首元にサラサラと当たる感触に、ソラは目を開けて急いで手を伸ばす。

 指先に当たったのは、ずっと伸ばしていなかったはずの髪であった。

 しかも、恐ろしいほどにツヤツヤしている。


 顔にも違和感があったので触れてみると、肌のハリが明らかに違う。

 手をマジマジと見つめると、明らかにシワや血管が消えて十代の頃のように若返っていた。

 

「こ、これって……」

「その、ここって人が多いせいかしら。生命の力がいっぱい吸えちゃうみたいなの。それで……」

「なるほど。それで、そんな可愛い見た目になってたんですね」


 尋常ならざる魔力をまとう少女は、ソラが外套を外して手渡すと嬉しそうに包まって微笑んだ。

 それから少しだけバツの悪そうな顔になる。


「人に戻ったの久しぶりだから、まだ上手く調整できなかったみたい。だから、えっと、おすそ分けってことで」

「そんなー。トールちゃんを成熟した女性の魅力でメロメロにする予定だったのにー」

「ごめんなさいね、ふふ。でも、そっちの口調のほうがソラさんらしいわね」


 若返ったせいか、言葉遣いもそれに引きずられてしまうようだ。

 大きくため息を吐いたソラは、背負い袋から古びた青いリボンを取り出し髪を縛り直した。

 ユーリルは足首にスリスリしてきた仔猫を抱き上げて、ニッコリといつもの笑みを浮かべている。


「これも卒業だと思ったのになー。あ、そうだ、トールちゃんに戻してもらえばいっか」

「そういえば、お二人は?」

「わたしの魔技は同じ空間にいないとダメなんですよ。そこでユーリルさんにお手伝いしてもらおうかと。まだ二人と、魔力で繋がってますよね?」


 期待に満ちたソラの眼差しを、ユーリルは無邪気そうにじっと見返した。

 どうやら、次の言葉を待っているようである。


「……あの、ユーリルさん。トールちゃんたちと魔力の共有って、まだしてますか?」


 その言葉にようやく意味が通じたのか、ユーリルは抱いていた仔猫を下ろしてポンと手を打ち合わせる。


「ごめんなさい。樹になってた時間が長かったせいか、気も長くなってるみたい。ええと、すぐに確かめるわね」

 

 しばし空へ視線を向けるユーリルだが、やがて安堵したように息を漏らした。


「ええ、魔力の流れが紐みたいに、どこか遠い場所に繋がっているのを感じるわ。ご無事だったのね」

「よかったぁぁあ。じゃあ、それを引っ張るとかして、こっちへ引き戻せますか?」

「いえ、無理に力を込めると崩れそうなの。こう、何か引っ掛ける部分でもあれば……」

「引っ掛ける?」

「その、なんて言ったらいいのかしら。トールさんたちは色々と混ざってしまって、境目が曖昧になってしまってるの。だから、わかりやすい目印みたいなものがあったら、なんとかなると思うのだけど……」

「目印ですか。うーん、あっ、これはどうですか!?」


 ソラが意気込んで持ち上げたのは、自分の薬指にはめられた黒金剛石の指輪だった。

 

「ああ、それはいいかもしれないわね」

「そうだ、ユーリルさんのもありますか?」

「ちょっと待ってね。たしか、この辺りに仕舞っておいた覚えが――」


 少女が近付くと、黄金樹の白い幹に小さなウロがいきなり生じた。

 そこへ手を差し込んでモソモソと探っていたが、見つかったのか嬉しそうに手袋を引っ張り出してくる。

 体が縮んだせいでサイズがやや余っているが、黒金剛石の付いた手袋をはめたユーリルは誇らしげに掲げてみせた。


 そこへソラが指輪を近付け、軽やかに打ち合わせる。

 黒金剛石の属性は不変。

 何百年経とうとも、その澄んだ音色に一切の変化はない。


「……始めるわね」


 気合のこもった声をともに、ユーリルの体から凄まじい魔力が溢れ出す。

 それに呼応するように、黄金樹の枝葉もいっせいにゆらゆらと揺れ始めた。


 じっくりゆっくりと、トールたちを今この時へ手繰り寄せているのだろう。

 ユーリルの額に玉のように汗粒が並び、その真っ白な肌が赤みを増していく。

 数秒、いや数十秒の重い沈黙のあと、不意にどこからともなく澄んだ音が鳴り響いた。


「これは!?」

「トールさんね。これなら――!」


 大きく息を吐いたユーリルが、差し伸べるように宙へ手を伸ばした。

 その背を支えるソラも、寄り添うように手を持ち上げる。

 手袋と指輪がまたも触れあい、美しい音が鳴り響いた。

 そして虚空からも、全く同じ音が返ってくる。


「ここです! トールさん、ムムさん!」


 少女の叫びととともに、目の前の空間が大きく揺らぎ誰かの影が唐突に現れる。

 喜びの声を上げて駆け寄ろうとしたユーリルだが、大きく目を見開いて足を止めてしまう。


 そこに居たのは、色を失った奇妙な何かの塊であった。

 手足らしきものがあるので、それが人だとは辛うじて分かる。

 が、その輪郭は絶えずブレており、造形もぼやけてハッキリしない。

 

 時の重圧に押しつぶされてしまった成れの果ての姿に、ユーリルは茫然と立ち尽くした。


「そ、そんな……」

「大丈夫、任せてください。極めたのは、<反転>だけじゃないんです。うん、ここに居るなら、わたしはなんだってできちゃいますよ」


 よろめくユーリルの肩をしっかりと支えたソラは、ふてぶてしく笑ってみせた。


「ソラさん、本当に頼もしくなって……」

「えへへ。まずはちゃんと<固定>してっと――」


 その言葉と同時に、トールとムーの身体からブレが消え一瞬で形が定まる。

 しかしながら、まだその見た目は溶けたように失われており、人らしさはほとんど戻っていない。


「余計なものが、いっぱい混じっちゃってますね。だったら<消去>。で、本人のみを<再現>っと!」


 トールたちの姿が掻き消えたかと思うと、次の瞬間、そこに立っていたのは、二十五年前と一切合切変わっていない二人の姿だった。

 息を呑むソラたちの前で、トールがすっと顔を上げる。


 まじまじと女性たちを見つめてから、視線を外し傍らの巨木を見上げる。

 そして再びソラとユーリルへ向き直ると、顎の下を掻きながら口を開いた。


「ただいま」

「お、おがえり、な、な、なぁぁぁざぁ!」


 堰を切った涙のせいで最後まで言い切れずに走り出したソラは、トールの腕の中に飛び込む。

 そしてぐっすりと眠っていたムーに、しこたま頭をぶつけた。


「なー!」


 驚いて目を開ける子どもに、今度はユーリルが飛びついた。

 四人でかたまったまま、押し合いへし合いでもみくちゃになる。

 そのまましばらく泣いたり笑ったり、執拗に頬ずりしてるとムーが切れた。


「もう、なに! なに、もう!」


 お別れの挨拶をしたと思ったら、なぜかすぐに再会した挙げ句、ユーリルに至ってはもっと若返っているのだ。

 おまけに大きな木まで生えた見知らぬ場所だし、混乱するのも無理はない。


「ご、ごめんね、ムーちゃん」

「もう、さっぱり、わけがわからないでしょ!」

「私、ユーリルですよ。ほら、見覚えありません?」

「ユーばーちゃんは、もっとふかふかだったでしょ!」

「なあ、ソラ。この子どうしたんだ? ほら、こいこい、チチチチ」

「トーちゃん、いまはそれどころじゃないでしょ!」

「す、すまん」


 すっかり拗ねて唇を尖らせるムーに、ソラは心の底からの笑みを浮かべた。

 ずっと、ずっと、ずっと、この瞬間を待ち望んでいたのだ。


 出会った頃の自分よりも若くなってしまったけど、ユーリルは優しく包み込むように笑ってくれている。

 夢で何度も出会ったトールより、本物のトールはその百倍は男前であった。

 明るく元気なムーは、やっぱり明るく元気なままだ。


「あとこれで、もっと再会をカッコよく決められたら文句なしだったのになー」


 自嘲気味に呟いたソラを、トールは首を横に振って否定する。


「いいや、俺は最高に嬉しかったぞ、ソラ」

「ホント? もしかして惚れなおした?」

 

 その問い掛けに、トールはただ頬を緩める笑い方をしてみせた。

 見つめ合う二人の様子に、ムーが地面に転がって怒り出す。


「もう、イチャイチャしてるばあいじゃないでしょ! ムーのおなか、すごくへってるのに!」

「ごめんごめん、忘れてた。ちゃんとご馳走持ってきたんだよ。ちょっと待ってねー」


 謝りながらソラは、急いで背負い袋から皿を取り出して三人へ手渡した。

 ただし、その上には何も載っていない。

 空っぽの皿を前に、ムーの言葉が氷よりも冷たくなった。


「もうソラねーちゃんのしんようは、かんぜんにしっついした。にどともどらない」

「まってまって。いくよー、<再現>!」


 次の瞬間、子どもが持つ皿の上に、いきなり真っ赤な魚の煮付けが現れた。

 まるで出来たてのように湯気が上がる様に、ムーは紫の瞳をパチクリとさせる。


「紅河の名物料理だよ。さあ、召し上がれ」

「ソラねーちゃん、すき!」


 フォークを手渡してもらったムーは、嬉しそうに魚にかぶりつく。

 微笑みながらムーの食べっぷりを見つめるソラに、トールは驚いた顔で眺めた。


「今のは……?」

「はい、トールちゃんもどうぞ。ユーリルさんはこっちがいいかなー」


 トールの皿には、野菜や肉がゴロゴロ転がるシチュー。

 ユーリルには真っ赤なスープが、前触れもなく現れる。


「エンナさんの特製ウサギ肉のシチューと、ストラ特産の赤カブのスープですよー」

「あら、懐かしい味ですね。うん、おいしいです」

「……美味いな」


 一口食べた後、トールはボソリと尋ねた。


「何年かかったんだ? ソラ」

「ふふーん、ちょうど二十五年だよ」

「そうか、……そうか。ありがとう、ソラ」

「いえいえ、どういたしまして。任され甲斐があったよ、トールちゃん」


 次々と各地の料理やお酒が<再現>され、楽しい宴会が始まる。

 ソラの二十五年の放浪生活の話から始まり、各国の情勢や央国に起こった変化などもつぶさに語られる。

 お腹いっぱいになったムーは、途中で仔猫と仲良く遊んでいた。


「大英傑記念館とはな。祭り上げられるのは柄じゃないんだが」

「私も散々、大事にされてましたので、もう結構ですね」

「ユーリルさん、すっかりご神体扱いですものね。ああ、そう言えば見ましたよ、ストラ本国のストラージン様の像。本当に五十倍くらいありましたねー」

「それは何より。お勧めしといてよかったわ」

「あ、思い出した。ストラの港町で聞いたんだけど、西のほうに大きな島が見つかったって。大陸かもだって。あとモンスターっぽいのもいたらしいよ」

「ほう、新大陸でまた冒険者をやるのも面白いな」

「私は探索者とやらに興味がありますね」

「ムーは、おはねのねーちゃんみたいに、そらとんでみたい!」


 その言葉を聞いたユーリルが、相槌を打ちながら立ち上がる。


「ああ、またすっかり忘れてました。ムムさんから預かりものがありましたね」

「どーした、ユーばーちゃん」

「ええ、きっと驚きますよ」


 そう言いながらユーリルは、頭上の梢目掛けて何かを呼ぶように軽く手を叩いた。

 すると枝葉が大きく揺れ、黒い塊が飛び出してくる。


 宙を羽ばたきながら舞い降りてくる見慣れた姿に、ムーが大きな叫び声を上げた。


「く、くろすけー!」

「え、ちょっとまって。なんか大きくない?」


 ソラの指摘も、もっともであった。

 手のひらに収まるサイズだったかぶと虫は、今やムーよりも大きくなっていたのだ。

 地面に降り立った巨大なかぶと虫を、ユーリルが得意げに解説する。


「毎年、黄金樹の実とか生命の力を分けていたら、こんな感じに育ってくれたのよ」

「かぶと虫って、そんなに長生きなの?」

「いや、俺も初耳だ……」

「くろすけ、ムーをのせてくれるのか!?」


 顔を見合わせる大人二人を置いて、子どもは意気揚々とくろすけの背中にまたがった。

 そして翅が開くと同時に、当たり前に弾き飛ばされた。


「ふぎゃあー!」


 地面に転がる主人を心配するように飛び回るかぶと虫だが、不意に急降下したかと思うと六本の脚でムーの体をがっちりと抱え込んだ。

 そのまま空高く舞い上がる。

 

 かぶと虫に捕まったまま空中へさらわれていくムー。

 辺りを見渡しながら、子どもは興奮してまたも大声を放った。


「これはこれでありだなー!」


 かぶと虫といっしょに梢を飛び交うムーの姿を見上げながら、トールは満足げに頷いた。


 始まりは辛く苦しいものだった。

 だが、いろいろな人に支えられたトールの冒険者の生活は、二十五年目で大きな転換を迎える。


 蘇った幼馴染の少女に、路地裏で野良猫と暮らしていた無表情な子ども。

 そして若返った大家の老婦人を仲間に加え、それまでの狭苦しい毎日が嘘のように、トールの眼前の光景は広がっていく。

 

 嵐のように飛び込んできて、高らかにライバル宣言をしてみせたお嬢様と執事のコンビ。

 息の詰まる血流しの川の狩場を変えようとあがく、むさ苦しいが愛すべき男ども。

 トールを慕い、少しずつ成長を遂げていく少年少女たち。

 それらの出会いは、トールに新たな刺激を次々と与えてくれた。


 次の狩場である破れ風の荒野で、トールは旧友と出会う。

 妻を失ったかつての友の過酷な生き様を見せつけられるが、砂嵐の奥にあったのは希望の輝きであった。

 固い絆で結ばれた家族の姿に、トールは自らの仲間たちを重ねていく。


 そして忌まわしい蟻どもが巣食う地の底で、死にかけた友が語った思い。

 ともに進んだ少女たちには、先頭に立つ者の心構えを教えられた。

 同時に周りに期待される苦しさと、それに応える心地よさもトールは知った。


 前進を続けるトールたちだが、ついに大きな壁が立ちはだかる。 

 沼地の奥に棲まう伝説のモンスターだ。

 恐れ怖じ気づいたトールたちだが、仲間たちの応援を得て挑む心を取り戻す。


 巨大な脅威を打ち倒し、ついに英傑へと至る地下監獄にたどり着くトール。

 そこでもまたギリギリの戦いの渦中に、様々な思惑が生じていく様を見て取る。

 故郷に戻り、大瘴穴を封じた先にある未来を知ったトールは一つの覚悟を決めた。


 皆が生きるこの世界を助けようと。


 そして成し遂げた。

 なら、次はどうすべきか。

 答えるまでもない。


 トールの眼差しは黄金色の葉を透かして、さらに遠くへと向けられていく。

 その輝きは遥かなるこれからの道行きを、祝福してくれているようにも思えた。


「よし、俺たちも行くか」

「どこに行くか決めたの? トールちゃん」

「ああ、どこまでもだ」


 大勢の冒険者の活躍により、この地に数百年の安寧を享受する国が生まれた。

 人々の記憶に深く刻み込まれるその国の名は、トール新央国という。


 これは一人の男が幼馴染を救おうと足掻き、ついには世界をも救ってしまったそんなお話。

 それからの続きは、またいつかどこかで。




約二年間にわたるご愛読、まことにありがとうございました。

満足いただけたなら幸いです。


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【コミカライズついに145万部!!】
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― 新着の感想 ―
この作品はもっともっと評価されるべきだと思います。あえてケチをつけるとしたら呪文詠唱が少しダサい事ぐらいですが、それでも私が★5を付けた数少ない作品の一つです。今まで全部で20作品ぐらい読みましたが、…
とっても面白い物語でした!!
[良い点] 面白かった!名作! トールがソラを助けるために25年かけて、トールを助けるためにソラが25年かける。この顛末だけで完璧に美しい。 [気になる点] 最終決戦あたりの駆け足感。そこがもっと綺麗…
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