危険を冒す者たち その五
戦闘は早朝未明に始まった。
最初に押し寄せてきたのは、青い肌の大鬼の大群だ。
トロールに頑丈さと再生力は劣るが、その一回り大きな体格や鉄をも引き千切る腕力、攻撃性などは亜人の中でも群を抜いている。
鋭い爪や牙を振りかざした二足歩行の獣どもは、耳を聾するばかりの咆哮を放ちながら襲いかかってきた。
対する冒険者たちだが、まず弓で牽制しながら<電帯陣>や<磁戒>で足止めし、炎使いが各々、思う存分火力を撃ち込む。
数を減らしたところで、元英傑のムガルゴが率いる盾士らが前面に出て近接戦闘に移る。
ここで張り切ったのは、元金剛級や真銀級の引退連中だった。
経験の長さが一番物を言うのは、乱戦である。
長らく現場を離れていたせいでやや出足は揃わなかったが、やはり長年にわたり第一線で戦い抜いてきた猛者どもだ。
数百匹のオーガの突進をあっさり喰い止めると、取り囲んで的確に首を刎ねていく。
第一波を難なくしのいだ遠征軍だが、向こうも小手調べであったらしい。
次いで現れたのは、大鬼将が束ねるより強力な一団だ。
凶悪な火吹きトカゲにまたがったオーガウォーリアーどもが、仲間の死体を踏み潰しながらまたたく間に距離を詰めてくる。
灼熱の吐息で守りの一角が崩され、オーガの棘付き棍棒が続々と蹂躙を始めた。
「地を埋め尽くす窮境、我が憤懣を晴らすに相応しい舞台だな。さあ、参るか」
「存分に暴れてくださいな、王子。――<陽炎陣>」
黒い影が揺れながら、オーガどもの合間を疾走った。
二振りの剣が舞い踊り、血煙が高々と上がる。
飛び込んできた剣士を仕留めようと、火吹きトカゲどもがいっせいに顎を開いた。
が、一瞬で黒焦げになるほどの猛火を浴びた男は、平然と笑みを浮かべる。
その漆黒の鎧が、美しい白銀の輝きを帯びた。
「灼き尽くせ! ――<猛火断>」
ストラッチアの双手に握られた剣が、轟々と紅焔を噴き上げる。
燃え盛る刃は鱗や肉を焼き切りながら、オーガとトカゲの群れを薙ぎ払った。
生じた空白に、ニネッサが渦まく火線を次々撃ち込む。
あっという間に陣形の乱れを正した二人は、そのまま巨大な黒蠍に騎乗するオーガジェネラルに迫った。
近づいてきた獲物に、オーガの将は鎖に繋がれた棘付きの鉄球を大きく振り回す。
まばたき一つの間に眼前に迫った鉄球を、ストラッチアは紙一重で躱す。
風圧で千切れ飛んだ眼帯を一瞥した剣士は、旋回する鉄球の間合いを一度で見切り大蠍に飛び移った。
曲線から直線。
円を描くいつもの剣捌きではなく、一瞬にして最短距離を詰める歩法。
繰り出された双剣の斬撃は、オーガジェネラルの両手首を斬り飛ばし、肋骨を交差するように斬り裂いた後、その首を鮮やかに左右から切断した。
それは奇しくも兄弟子とよく似た動きであった。
必要とあらば最適の剣筋を繰り出してみせる。天賦の才を持つ男だからこそ為せる技だ。
仰向けに倒れていくモンスターの姿に、刃にしたたる血を振り払うストラッチア。
その剣士の頭部を目掛けて、背後からいきなり斧が放たれた。
兜をギリギリで掠めながら飛来した片手斧は、今まさに死角からストラッチアを刺し貫こうとした蠍の尾を弾き飛ばした。
一瞬遅れて、炎弾が尾に当たって火の粉を噴き上げる。
飛び退った剣士の刃が一閃し、頭部を両断された大蠍は地に伏せた。
「ふ、あいも変わらず頼りになるな、リリ殿」
「今のは貸しにしとくわ。後でちゃんと返しなさいよ」
片手斧を拾い上げる少女に、ストラッチアは剣を掲げて了承の合図を送った。
そこへ駆け寄ったニネッサが、驚きの声を上げる。
「え、うそっ! リリなの?」
腕を組んでふんぞり返る紫眼族の少女の姿を、まじまじと見つめた赤毛の美女は、目を血走らせて飛びかかった。
強く抱きしめながら、柔らかな肌に頬ずりする。
「か、かわいい! ね、ねえこの後、空いてる? お姉さんとご飯食べにいったりしない?」
「そっちもあいかわらず気持ち悪いわね。ロロ!」
「おう、呼んだか?」
ニネッサの腕を振りほどいたキキリリは、ドカドカと駆け寄ってきたロロルフに飛びついて、その肩に素早くまたがる。
肩車のまま走り去る二人の背後に、妹のネネミミを肩に乗せたニニラスが続いた。
名残惜しそうに見送るニネッサに、肩で息をしながらちょび髭の炎使いが話しかけてくる。
「ハァハァ。今のは少し、ヒヤリとしましたぞ、王子。先は長いのですから、最初から飛ばしすぎて万が一倒れられでもしたら、我らの士気に関わります。もう少しご自愛ください。フゥハァ、ハァ」
「言うな、バルッコニア。この胸の奥、熾火のごとく燻る慚愧の念で滾っておるのだ。ゆえに今の我は止められん。止めさせもせん」
「むむむ、本国での首尾はいかように? ニネッサ殿」
「守れた水洛地は片手の指の数ほどです。それもいずれは……」
「退路はもはや絶たれたと。だからといって、無茶は見過ごせませんな。我ら飢えた砂の民が生き残る限り、ズマが滅びることには決してありませぬ。それだけは忘れぬよう――」
「来るぞ! 王子」
会話を断ち切るように、長剣を構えたラッゼルの警告が響く。
剣士の見つめる先には、日が昇りだした平原を横切るように赤く濁った河が流れている。
その河面から次々と岸に上がってきたのは、尖った背びれを生やし凶悪な牙を剥き出した鮫どもだった。
紅い雫を血のごとく滴らせる巨体を支えるのは、腹部から突き出した四本の足だ。
四足歩行の陸鮫どもは、大地を揺るがしながら予想を裏切る速さで動き出す。
しかもそれだけではない。
鮫の背には、人の形に似たモンスターがまたがっていた。
ただしその顔は触手がわだかまった塊であり、頭部らしき物が付いているのは突き出された両腕の先だ。
手の先に生えた二つの顔が持ち上げられ、その口元が奇妙に歪む。
とたんに盾士の一人が、絶叫を上げてのたうち回った。
体を海老反りにした男は、血反吐を吐きながらあっさりと息絶える。
一人だけではない。
触手頭どもが次々と両の腕を差し出すと、前線に立っていた冒険者たちが頭を掻きむしって悲鳴を上げた。
そして鼻や目、耳から血を垂れ流して地面に転がる。
「気をつけろ、闇技だ!」
掛け声とともに、盾を掲げた男どもはいっせいに闘気を解放する。
――<鉄塊骨>。
その身体のみならず精神までも鉄に変えた盾士たちに、心を削り取る闇技は通用しない。
炎と矢が放たれ、数体の触手顔が地面に転がり落ちる。
だが鮫どもの進行は止まらない。
間近に迫るモンスターの大群に、鉄と化した男どもはずらりと盾を並べた。
前衛たちはその背後に隠れ、息を潜め衝突の瞬間を待つ。
それぞれの顔には、まだ強い闘志が満ちているのが窺えた。
しかし不気味な触手顔どもが操る四本足の鮫どもには、まだ続きがあったのだ。
河の中から続々と現れる陸鮫の背びれや尾びれには、奇妙なことに太い鎖が巻き付けられていた。
陸鮫の群れが歩みを進めるたびに、耳障りな鎖の軋む音とともに赤い水滴が飛び散る。
そして不意に水面が大きく割れた。
最初は突起が並んでいたせいもあって、それは浮上した浮島か何かに思えた。
だが、延々と切れ目なく河面を揺らすその大きさに、待ち受ける冒険者たちは次第に声を失っていく。
あまりのも桁外れな大きさゆえに距離がなければ、それが何か判別できなかっただろう。
鮫どもに引っ張られて、水底から現れたもの。
それは巨大な亀であった。
甲羅の横幅は軽く見積もっても、境界街一つ分に近い。
さらに表面に無数の棘が生えており、その長さだけでも人の背丈を優に上回っている。
山のような威容を誇る大亀は、棘の一つ一つに結び付けられた鎖に引きずられて、ゆっくりと前脚を地面に下ろした。
まだ距離はかなりあるはずだが、足元の地面に強い震動が伝わってくる。
驚きで両目を最大限に見開き固唾を呑む冒険者たちだが、誰一人背を向けようとはしない。
その様子に、盾士を束ねるムガルゴは満足気に頷いた。
個々の能力が高く他者との連携も巧みな冒険者たちだが、所詮は寄せ集めの徒党に過ぎないため、軍隊のように指揮官の命令が絶対というわけではない。
それ故、何より生き延びることを優先してきた戦い方から、いざとなれば逃げ出しやすいと予想されていた。
しかし冒険者どもは動かない。
ぎらつく眼差しで、眼前を覆い尽くすモンスターどもをただただ睨んでいる。
「お前ら、しっかり気合入ってるな。よし、そこの若いの」
自らも三十代足らずの容貌のムガルゴだが、気にする風もなくストラッチアを指名する。
「お呼びか、不動の盾」
「あのデカ物、棘飛ばしてきやがるのは間違いねえ。寄ってくる前に潰すぞ。できるか?」
「我が魔導の炎にかかれば、造作もなきこと」
「よく分からんが、任せるか。おい、死にたい奴だけ付いてこい」
「ならば、私が道を拓きます。炎樹の葉よ、散りて惑わせ――<一騎灯千>!」
高らかに祈句を唱えながら、ニネッサが魔力をほとばしらせる。
茶角族の巨漢が走り出すと、その姿が幾重にもぶれ無数の幻像が生じた。
幻に噛みつこうと鮫たちの動きが乱れた隙に、特攻志願者たちは一気に中央を駆け抜ける。
ただ眼球を持たないせいか、騎乗していた魔族には効果がなかったようだ。
次々と不気味な両腕が、大量の魔力を放ったニネッサへ向けられ、その美しい顔が大きく歪む。
頭の中が切り刻まれるような凄まじい痛みに足を止めた赤毛の炎使いは、唇の両端を大きく持ち上げる。
生まれた街が屍食鬼の群れに襲われた際、幼かったニネッサは自分を御しきれずに周囲を火の海に変えた。
結果、己は助かったが、肉親や妹たちは灰となった。
それからのニネッサは、あえて進んで苦痛を受け入れるようになった。
身を裂く痛みは赦しであり、それを怒りに変えて怪物どもを滅することこそが残された己の生き方であると。
<因果返報>からの<心意炎昇>。
目や鼻から血を垂れ流しながら、ニネッサは絶叫を放った。
「燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃えろ、燃やせ、全てを! ――<百火燎乱>!!!」
真紅の花弁が、戦場の真ん中で大きく花開く。
火の粉を撒き散らしながら、灼熱の花びらが空高く舞い踊った。
降り注ぐ炎塊は鮫の表皮を包み込み、一瞬で黒い炭に変える。
放射状に飛び散った燃え盛る華たちは、次々と連鎖して天を衝く炎を噴き上げる。
焦げ臭い爆煙が立ち込める鮫の群の中央を、ムガルゴたちは振り返ることなく駆け抜けた。
何度も地面が揺れ、山のような大亀が少しずつ近付いてくる。
立ち塞がるモンスターを斬り裂き押しのけた特攻隊は、とうとう最後の囲みを突破する。
そびえ立つ甲羅が間近となったその時、唐突に日が遮られ足元に影が落ちた。
思わず見上げた冒険者たちは、視界の全てを黒く塗り潰され声を失う。
それは今まさに、鉄槌のごとく落ちてくる大亀の足の裏であった。
迫りくる凄まじい質量に、ムガルゴが轟くような咆哮を発した。
「させるかぁぁぁぁああああああ!!」
<建楼堅護>。
大地と一体化する<不動塊>の上枝闘技であるこの技は、周囲の土を集め身体に鎧のように覆うことが出来る。
そして最大限にまで枝を育て上げた元英傑の闘技となると――。
直径十歩以上の土の塊が、ムガルゴの足元からいきなり垂直に盛り上がった。
それはみるみる間に高さを増し、巨大な楼閣となってそそり立つ。
大地に押し上げられた巨漢は、踏み潰さんとする大亀の足と真っ向から衝突した。
地面と空気が震え、重々しい音が耳底にこだまする。
己の数百倍はあろう重量だ。
しかし身の丈よりも大きな菱盾を掲げた巨漢は、全身の筋肉を以てその重みを見事に受けきっていた。
いや、そこで止まらない。
わずかな静寂の後、頭上の重みに抗うように少しずつ盾が持ち上がっていく。
同時に土の楼閣も、さらに天に向かって伸びる。
皆が無言で見つめる中、ついに大亀は屈した。
前脚を高々と持ち上げられた巨体は、平衡を失い無様に横向きに倒れる。
ちっぽけなはずの人間の勝利に、息を殺していた冒険者たちは轟く地響きに負けない大声を放った。
「おおおおおぉぉぉおおお!」
「まさに不動!!」
「やりやがったぜ!」
地面すれすれに下りてきた亀の頭部に、ストラッチアらがすかさず詰め寄る。
「行くわよ、リリ!」
「永劫に燃え盛る火よ 眼前の全てを焦滅せしめよ――<劫火剣嵐>!」
「フゥフゥ、天……焦がす輝きの……樹よ。ハァハァ、今こそ、心ゆくまで……咲き誇りください。 <ひゃ、百火燎乱>」
大気を歪ませるほどの極炎が生じ、紫の閃光が縦横無尽に走る。
無数の斧の殴打で額をかち割られ、燃え盛る剣で無防備な眼球を溶かされた大亀は、苦痛のあまり必死で顎を開いた。
そこへ容赦なく百近い炎の花びらが叩き込まれる。
焦げ臭い真っ黒な煙を盛大に吐き出しながら、モンスターは唯一、自らを守ってくれる頑丈な甲羅の中へと逃げ込もうとする。
が、待ち構えていた剣士が、その動きに先んじた。
「我が内なる炎、とくと味わえ――<業鬼火断>!」
ラッゼルの掲げる剣は、すでに天を衝く白い炎柱と化していた。
力強い踏み込みとともに、大剣は大亀の首根に突き出される。
深々と肉を貫かれたことで、亀の首はそこで動きを止めた。
そして逃げ場を失ったモンスターの頭部は、あっさりと限界を迎えた。
噴き出した血と炎と煙に包まれながら、力をなくして大地に堕ちる。
しかし永い時を生き抜いた大亀も、また怪物であった。
息絶える直前、その甲羅の棘を解放してみせたのだ。
横倒しになっていたため、撃ち出された棘の半数は地面へと食い込む。
が、それでも数百本に及ぶ棘が、空中へ高く跳ね上がった。
しかも、棘には鮫どもがまだ鎖で繋がったままであった。
当然、引っ張られた四本足の鮫も、空へ舞い上がる。
宙を飛び交う無数の鮫、鮫、棘、鮫、棘、棘、鮫、棘、鮫。
それはさながら、棘と鮫の嵐。
全て落ちてくれば全滅は免れない。
「半分まで減らしてくれたのは上等ですよ、ムガルゴ」
棘と鮫が空中を泳ぐ異様な光景を前に、そう呟いたのは後方で推移を見守っていた翠羽族の女性だ。
嵐晶石が飾られた杖を素早く掲げた風使いは、その溢れかえる魔力を解き放った。
「風よ、集え。――<天威矛崩>」
その瞬間、大気が鳴動した。
急に生じた無数の突風が、恐ろしい勢いで天空を駆け巡る。
嵐には嵐。
轟き逆巻く暴風が、落下してくる棘と鮫を横殴りした。
そのまま中空に起こった凄まじい竜巻は、全てを巻き込んでいく。
荒れ狂う強風に揉まれた棘はへし折れ、鮫どもの体は千切れて飛ぶ。
そして空高く上昇した暴風は、一気にその力を解放した。
遠くあちこちにばらまかれていく棘と鮫。
その後には、何事もなかったかのように晴れ渡る空だけが広がる。
真上で繰り広げられた数秒間の出来事を、遠征軍の面々は間抜けに口を開けたまま眺め終えた。
土の楼閣の上で血に塗れ荒く息を吐いていたムガルゴが、周囲を睥睨しながら楽しげに呟く。
「ふん、シエの暴嵐ぶりも鈍っちゃいないな。お、もう次が来やがったか」
続いて河向こうから押し寄せてきたのは、樹々が生い茂る鬱蒼とした森であった。




