大瘴穴の封印及び勝利の宴
黒い骨の欠片が石床に飛び散り広がる様に、固唾を呑んで見守っていた観客たちはゆっくりと肺の底から息を吐き出した。
そして数秒後、一時に大声を張り上げる。
「やったよ! トールちゃん!!」
飛び上がりながら叫ぶソラ。
そのまま駆け寄ると、剣を鞘に静かに収めたトールへ飛びつく。
「トーちゃんはやってのけるおとこだって、ムーしってた!」
得意げに胸を張る子どもだが、<予知>を共有していたので今さらな言葉である。
「トールさん、本当にご立派に……」
耳先を赤く染めたユーリルが、口元に手を当てながら涙声を小さく漏らす。
数十年もの間、近くで見守ってきただけに感慨もひとしおなのだろう。
「やったですよ! やった! やった! やりやがったですよ、おっちゃん!」
「痛っ! 痛い! 痛いわよ、クー! 分かったから、背中叩かないで!」
興奮しすぎたクガセは、悲鳴を上げる友人の様子にさっぱり気づかず腕を振り回している。
「呆れたわね、本当に倒すなんて……」
「すごいな、リリ」
「ああ、凄い男だ。あいつと剣を交えたことを俺は生涯、誇りに思う」
「ええ、肩を並べともに戦えたことを私も一生忘れないでしょうね。さあ、それでは宴を始めるとしますか。ラッゼルさんもぜひ手伝ってください。準備を急がねば」
腕を組んで頷き合う双子と剣士の横で、ちょび髭の炎使いが慌てた顔で荷物をひっくり返し始める。
「ない…………ようね」
「ああ、見当たらないな」
声に落胆をにじませるのは、リコリとモルダモの蒼鱗族の二人だ。
その言葉に周囲を見回した双子も、眉をしかめながら言葉を交わす。
「言われてみれば、大瘴穴がどこにもないわね」
「またか。いい加減しろ、このクソ迷宮」
「それらしい気配も……。ネネ、<電探>は?」
姉の問いかけに、雷使いである妹は残念そうに首を横に振った。
まだこの部屋では、魔技が使えないようだ。
「クガセ、あんた壁とかのあやしいところ、わかるんでしょ。さっさと嗅ぎなさいよ」
「人を犬扱いするんじゃねーです! それになんかこの部屋、厚みがよくわかんないんですよ」
文句を言い返しながら額の角を持ちあげたクガセは、四方の壁をぐるりと眺めていく。
そして最後に黒い骸骨が腰掛けていた玉座へ視線を移し、その上にある人の頭ほどのくぼみに気づく。
しばし考え込んだ少女は、唐突にこぶしをポンと打ち合わせた。
「ふふふ、ボクの角はごまかせても、この明晰な頭脳はごまかせなかったようですね!」
「あれ鍵穴じゃないかしら。骸骨の鍵を差し込む穴とそっくりじゃない」
「でも、やたらと大きいぞ、リリ。あ、そうか!」
「そう。ぴったりの骨なら、そこにちょうど転がっているわね」
「なんで全部、言っちゃうんですか! ボクが今、言おうとしたのに!」
地団駄を踏むクガセを無視して、双子は倒されたばかりの迷宮主の頭部を拾い上げる。
幸いにも禍々しい頭蓋骨に、欠けた箇所はないようだ。
頷きあった双子は、黒い骨を抱えたまま奥の玉座へ近付く。
頭蓋骨を壁の穴にはめ込もうとした瞬間、背後から声がかかった。
「ちょっと待ってくれ」
声の主はトールであった。
その右手にはソラ、左手にはユーリルがしがみつき、首の後ろにはムーがぶら下がっている。
「なによ、やりたいの?」
「いや、少し移動するだけだ。よし、いいぞ」
三人を連れて壁際まで移動したトールは、ちらりと部屋の中央へ視線を送ってから頷いてみせた。
よく分からないその行動に首をひねったキキリリだが、好奇心に負けて壁の穴に骸骨を押し当てる。
ピッタリと吸い込まれるように、黒い頭蓋骨は壁に収まった。
だが、そこから動こうとしない。
何かしらの変化を確認しようと振り向いた双子たちだが、示し合わせたように目を見張る。
部屋の中央、トールたちがつい先刻立っていた場所に、大きな穴が現れていたせいだ。
「なにこれ!」
「いきなり床が抜けたんですよ! おっちゃん、危機一髪だったですね」
大声を上げながら穴に駆け寄ったキキリリとクガセだが、中を覗き込むと声を合わせて再び叫ぶ。
「なにこれ!?」
その声に興味をそそられたのか、トールから手を離したソラも穴に近付く。
そして内部の様子に、二人とそっくりな驚きの声を上げる。
「うわ! これすごいねー」
穴の幅は五歩ほどで、深さは大人の身長で数人分だろうか。
壁に凹凸は全くなく、垂直に切り立っている。
問題は穴の底だ。
そこに見えたのは、燃え立つ真っ赤な溶岩溜まりであった。
ふつふつと煮立っており、穴の上部まで凄まじい熱が伝わってくる。
顔を炙るような空気を受けて、双子とクガセが口々に感想を漏らした。
「落ちたら、まず確実に助からないわね」
「これって、もしかしなくても罠じゃないですか! ここに立っていたら間違いなくドボンですよ」
「最後の最後まで、ホントーにクソだな」
あてが外れたのか、ラムメルラが困った顔で口ごもった。
「それじゃあ、大瘴穴は結局どこにも……」
「いや、あるぞ。ほら、あそこだ」
トールの声と、その持ち上げた指につられ、皆はいっせいに頭上を見上げる。
そして天井に広がる光景に、驚きのあまり声を失った。
いつの間にか、黒く重なっていた靄はかき消えていた。
代わりにその奥から顔を出したのは、天井に張り付いて広がる真っ黒な泉だった。
不思議なことに、その静かな水面は重力に逆らい、こちらへ滴り落ちてこようとはしない。
「あれって――」
「ああ、意外な場所に隠れていたな」
地面に穿たれる穴から瘴気が漏れ出しているイメージであったが、それを逆手に取った隠し方とも言える。
おそらくであるが溶岩の熱気が当たると、黒い影のような天幕が消え失せる仕掛けだったのだろう。
「頭の上とは、本当に予想外ね」
「びっくりしたですよ」
「ど、どうやって封じるの? ラムさん、届く?」
ソラに問いかけに、水使いの少女は穏やかに唇の端を持ち上げてみせた。
それから両の手を、真上に差し出すように掲げる。
「悲嘆の苦水よ、貴方たちの新しい住処よ。さぁ行きなさい。とっとと私を解放して!」
その叫びと同時に、ラムメルラの両目に雫が大きく盛り上がった。
涙そっくりであるが、明らかに色が違う。
透き通るような青い液体は、次々と少女の二つの瞳から溢れ出し、そのまま吸い込まれるように天を目指す。
天井に広がる黒い泉にたどり着いた青い涙は、すぐさまその表面へと広がっていく。
黒い水面が青く覆われていく幻想的な光景を、トールたちは魅入られたように眺め続けた。
やがてラムメルラの目から最後の一滴が絞り出され、頭上の泉に吸い込まれて雫の王冠を形作る。
瘴気の気配が完全に封じられた瞬間、トールは背中から力を抜いた。
そのまま地面に座り込んでしまう。
「だいじょうぶ? トールちゃん」
「ああ、ちょいと気が抜けただけだ」
「改めておめでとうございます、トールさん、ラムメルラさん」
ユーリルの祝いの言葉に、ラムメルラは深々と頭を下げる。
その目には本物の涙が盛り上がり、すでに頬を伝っていた。
少女の涙を切っ掛けに、これまでの数々の言い知れぬ苦労が全員の脳裏に蘇ったのであろう。
しんみりとそこから解放された喜びに浸ろうとしたその時、部屋の中に大きな声が響いた。
「さぁさぁ、お待たせしました。祝いの宴を始めましょうぞ! ほらほら、どうぞどうぞ」
雰囲気をぶち壊すような陽気な掛け声を張り上げていたのは、ジョッキを手にしたバルッコニアであった。
波々と黒麦酒が注がれた酒盃を、次々と呆気にとられる仲間たちに手渡していく。
「火精酒や蜂蜜酒もございますぞ。古樽酒も少しだけでしたら。ああ、ムム様とソラ様には林檎水をご用意しております。はい、みな様、行き渡りましたな。それでは、トール様、お願いいたします」
「あ、ああ。じゃあ、勝利に」
「勝利に!」
「乾杯!」
「我らの新たな地に!」
「ここまで導いてくれた同胞たちに!」
口々に叫びながら、トールたちは盃を掲げ傾ける。
そこへ今度は、ラッゼルが大きな煮立つ鍋を抱えて現れた。
美味しそうな匂いに、ソラがたちまち反応する。
「あ、これが、前々から聞いてたお鍋ですねー」
「ええ、お待ちかねのご馳走ですぞ。こちらはズマに伝わる伝統の炎鍋と申しまして。色々とご説明したいところですが、まずはお召し上がりいただいたほうが早いでしょうな」
そう言いながら鍋を蓋を取り去るバルッコニアだが、勢い込んで覗き込んだムーやクガセたちはがっくりした声を上げる。
「なんにも入ってねーですよ! 出汁だけじゃないですか」
「ムーだまされたのか……」
「洒落になってないわね。とりあえず吊るして髭と髪を剃りましょうか」
「ああ、任せろ。一本も残さず引き抜いてやる」
「お、落ち着いてください。今からですよ、今から。お願いします、ラッゼルさん」
呼びかけに応じて、ラッゼルが再び進み出る。
その手にあったのは、柳の葉のような薄い包丁と、美味しそうな塊肉であった。
肉を持ち上げた剣士は、いきなり包丁を肉すれすれに疾走らせた。
とたんに薄く剥ぎ取られた肉片が、ふわりと宙を泳ぎ鍋に着水する。
それを箸で摘んで、数度鍋の中で泳がせたバルッコニアは、取皿にあっさりと引き上げる。
「ほら、できましたよ。タレは胡麻をすり潰したのか、青柚子を絞ったのがございます。お好きなほうを付けてください」
「え、ちゃんと火が通っているんですか? もっとしっかり煮たほうがいいですよ」
「大丈夫ですぞ。さぁさ、まずは一口」
「む、なにこれ!」
「うまい!」
「やわらかい!」
「おっちゃん、もっとちょーだい!」
ひな鳥のように騒ぎ出したムーたちに、バルッコニアは口ひげを引っ張りながら頷いてみせる。
「野菜もたっぷり用意しております。さっとくぐらせるだけで驚きの美味しさですぞ」
「そちらを、いただけますか」
「私も野菜を食べたい。早くしてくれ」
鍋に集まり大騒ぎとなる皆の姿に、トールは知らず知らずに笑みを浮かべていた。
そこへ肉を小皿に山盛りにしたソラが、嬉しそうな顔で近付いてくる。
「はーい、トールちゃん、どうぞ。あーん」
「ああ、ありがとう。食わせてもらうか」
素直に口を開いたトールに、ソラは目を丸くした後、急いで肉を持ち上げた。
数度、咀嚼して飲み込んだのを見届けてから、少女は楽しそうに尋ねる。
「トールちゃん、おいしい?」
「ああ、最高に美味いな」
そう言って頷く幼馴染の顔を、ソラは満面の笑みで見上げた。
その裏に隠されたトールの強張った表情に気づきながら。




