防衛戦
赤いのろしが確認されて一時間半後。
ようやく側防塔に旗が垂らされ、壁上に守備隊が姿を現した。
その数、およそ三十名。
遠隔攻撃の手段を持つ二等衛士を中心に構成された部隊である。
さらに近接攻撃しか持たない四十名が、外門から出て攻勢をかける。
Eランク以下が多い三等衛士や低ランクの冒険者たちは、広場にとどまって門や壁が破られた場合に備えていた。
一等階級である精鋭たちは現在、元隣り街への遠征に随行してて不在。
Dランク以上の中堅冒険者も、すぐには戻ってこれない場所で狩りをしているため今は戦力外である。
頑丈かつ再生能力を持つモンスターが相手では、武技や魔技でなければとどめを刺すことは難しい。
だが、その技は各自の技能樹によって、使える武具や使用できるケースが限られてしまう。
いわば個性とも呼べる偏りのため、冒険者は兵士のように画一的な訓練や運用には全く向いていないのである。
つまるところ、モンスター相手に弓を完璧に使いこなせるのは風神ロへの加護を受けた弓士だけであり、盾を巧みに扱えるのは地神ガイダロスの守りを授かった盾士だけという話だ。他にも攻撃系の魔技となると、炎使い以外は中枝スキルになるまで使えないという欠点もある。
「北壁に多数の反応あり!」
<電探>を使った雷使いの報告で、守備隊はいっせいに壁上を走る。
すでに壁下の数ヶ所に、砂糖に集うアリのごとくモンスターが群がっていた。
防壁内に人の姿を認めた緑の肌の亜人たちは、猿のように奇声を上げて腕を振り回す。
数匹のホブゴブリンが凶悪化した鎧猪にまたがり、石壁に向かって駆り立てた。
口から泡を吹きながら、破城槌の役割を課せられた鎧猪は壁をうがち破片を周囲に撒き散らす。
さらにぶつかった瞬間、乗っかっていたホブゴブリンどもは飛び上がり、そのまま石壁に取り付いて登り始めた。
「くそ! 調子にのるなよ、ゴブリン風情が。今すぐ叩き落としてやる」
「おい、馬鹿。うかつに顔を出すな!」
胸壁から魔技使いが身を乗り出した瞬間、数体のホブゴブリンたちが待ち構えていたかのように石を放った。
人間の倍近い腕力を誇るモンスターの投石は、恐ろしい勢いで壁の上まで到達する。
数個の石が胸壁をかすめて砕き、その内の一つが油断した魔技使いの頭骨を撃ち抜いた。
悲鳴をあげる間もなく、男は仰向けに倒れて息絶える。
「実戦は久しぶりとはいえ、なんというざまだ。相手は数が多いんだぞ。気を引き締めろ!」
「しかしこれでは、まともに下が見れんな」
魔技の大半は、視認による発動が原則である。
胸壁から下を覗けない状況では、攻撃手段がほぼ封じられたに等しい。
そのための側防塔であるのだが、防壁の長さに対しその数はあまりに少ない。
「ならばこれを。偉大なる大地の支え手よ、授けたまえ。空、彷徨えるものに重き碇を――<磁岩盾>」
地使いの詠唱とともに、茶色の塊が唐突に空中に現れる。
飛んできた石たちは吸い寄せられるように軌道を変え、その塊に殺到した。
身代わりとなって攻撃を引き受けた塊は、ボロボロと欠片をこぼしながらあっという間に縮んでいく。
「長くは保たんな。数が多すぎるぞ――<磁岩盾>!」
新たな飛び道具よけを呼び出した地使いに、弓を携えた衛士たちが声を上げる。
「壁を登ってくる奴は、俺たちに任せろ」
「ならば猪は俺の出番だな。焼き豚にしてやるぜ」
その言葉を皮切りに、奏士が高らかに角笛を吹きならした。
気持ちを高揚させ恐怖心をなくす魔技歌、<武勇曲>だ。
一瞬だけ顔を覗かせてモンスターの位置を確認した弓士たちは、続けざまに矢を放つ。
弓弦から飛び出した矢は、曲線を描きながら壁にしがみつくホブゴブリンたちの背を貫いた。
もとより二ヶ所しか矢羽がついておらず、円を描いて飛ぶように作られた矢を使っているのだ。
乱戦状態が多い狩場で、味方の背を避けてモンスターを狙うための工夫である。
「解放の樹より来たりて焼尽せよ。その身をもって大いなる炎威の片鱗を味わえ――<激発炎>」
指を二本立てながら炎使いは、胸壁の外へ杖を突き出す。
音もなく放たれた子どもの頭ほどもある火球は、石壁に頭を突っ込んでいた鎧猪の背中で見事に爆ぜた。
炎は猪を激しく燃やしながら、新たに火の玉となって四方に飛び火する。
猪の近くで石を構えていたホブゴブリンも、炎に包まれて地を転げ回った。
「ちっ、簡単には落ちねえか」
背中に数本の矢が刺さったまま、ホブゴブリンたちは石壁をじわじわと登ってきていた。
それを見た雷使いが両手を擦り合わせ、無言で石壁にふれる。
一拍おいて紫の蛇そっくりの小さな稲妻の群れが、石の壁一面を走り抜ける。
蛇にふれた瞬間、モンスターたちは彫像のように固まって動きを止めてしまった。
身動きできなくなった格好の的に、すかさず矢が注がれる。
顔面に数本の矢が刺さったホブゴブリンたちは、<電滞陣>の効果が切れた瞬間、うめき声とともに地面へ落下した。
「よし、このまま押し返すぞ!」
炎使いが指を一本立てながら、<激発炎>を再び眼下へ放った。
鎧猪とその周囲のホブゴブリンたちが燃え上がったが、すぐにその屍を乗り越えて新たなモンスターが押し寄せてくる。
さらにもう一度<激発炎>を放ち、使用可能回数分を使い果たした魔技使いは胸壁から退いて奥へ移動した。
そこは雄叫びと悲鳴が満ちる戦場とはうって変わって、神々を賛美する穏やかな奏士の歌声が竪琴の演奏とともに流れていた。
座り込んだ魔技使いが歌の効果で魔力を回復させる横で、弓士が水使いの<回生泉>を浴びて体力を取り戻す。
数に物を言わせて圧倒しようと押し寄せるモンスターの群れを、堅い守りを誇る石壁と効率を極めた動きで元冒険者たちはなんとかしのいでいく。
少しずつ勢いが収まり、状況が人間側に傾き始めたと思われたその時。
突如、黒い礫たちが木の陰から放たれ、壁の上に飛来した。
それは衛士たちの体に取り付くと、次々と防具を変色させ腐らせていく。
さらに皮膚に達したとたん、肉を侵食し溶かし始めた。
邪神たちが授ける闇技と呼ばれる技能の一つ、<腐弾>だ。
「やっと出てきやがったか。手こずらせやがって」
「生命の樹の御主よ。患いし子らを、すこやかにお清めください――<浄恵雨>」
降りかかる多数の水滴によって、撒き散らされた腐敗の毒がたちどころに消え去る。
革鎧をボロボロにされた弓士たちが、怒りの表情で闘気を纏ったまま弓を構えた。
――<逆巻矢>!
攻撃を当ててきた相手に、その返礼を確実に行う武技である。
中空を貫いた数本の矢は矢尻から渦を生み出しながら、木立に潜むホブゴブリンのシャーマンどもの脳天を突き抜けた。
<激発炎>で炙り出すこともできたが、その場合、森まで延焼する危険性が非常に高い。
それだけはどうしても避けたいがため、痺れをきらしてシャーマンどもが攻撃を仕掛けてくるのを待ち構えていたというわけだ。
厄介な搦め手を使ってくるモンスターを始末できたため、このあとは地上部隊の出番である。
「よし、合図を頼む」
守備隊長の言葉に奏士が頷き、角笛を三度高く吹き鳴らした。
こだまが消え去るのと同時に外門が開き、待ち構えていた衛士どもが飛び出した。
モンスターどもに負けじと雄叫びを上げた一隊は、各々の得意な得物を振り回しながら側面を強襲する。
振り回された斧で小鬼たちの首が軽々と飛び、槍に貫かれた鎧猪が巨体を地面に横たえる。
赤々と熱を放つ短剣がモンスターを切り刻み、叩きつけられた鉄槌が骨を粉々に砕いた。
その中でもひときわ目立っていたのは、黄金色の部分甲冑を身にまとった老齢の男であった。
派手な飾りがついた兜をかぶり、両手持ちの諸刃の斧で雑草を刈るかのごとくホブゴブリンたちをなぎ倒している。
不意に男の持つ斧が激しい光に包まれた。
同時に上空に暗雲が、みるみるうちに立ち込めだす。
それを見た周囲の衛士たちが、あわてていっせいに来た道を戻りだした。
大上段に斧を振りかぶる老人へ、好機と勘違いしたモンスターどもが殺到する。
振り下ろされる大斧。
ほぼ時を合わせて、巨大な数条の雷が大地へ降り注いだ。
――<轟放雷落>。
まぶたを貫く雷光がきらめき、鼓膜を突き破るほどの轟音が鳴り響く。
石壁が激しく揺れるとともに、地面が大きく抉られ土砂が派手に飛び散る。
雷動がようやくおさまったあとに残っていたのは、地面を埋め尽くす真っ黒に炭化した元モンスターらしき塊たちであった。
壁下を見下ろしていた衛士の一人は、頬に当たる雨粒に気づいて舌打ちする。
「ったく、やりすぎだっての、局長様は。おい、ひと雨くる前に屋根の下へ移動するぞ」
「了解。おーい、引き上げだ」
頭上で鳴り響く勝利の角笛を聞きながら、ダダンは満足げに頷いた。
そして猛攻に耐えきった石壁に愛しげに触れながら、ふと思いついた疑問に辺りを見回す。
トールの報告では、修理が終わっていたのは北壁だけのはずである。
それなのにわざわざ、モンスターどもはこちらへ攻めてきている。
守りが堅い場所にあえて攻撃を集中させるほど、ホブゴブリンどもの知能は低くない。
そして何より、彼らを統率するボスの姿がどこにも見つからなかった。
本格的に降り始めた小雨に打たれながら、老いた元冒険者は苦々しく呟く。
「……くっ、こっちはもしや陽動だったか」