迷宮への疑問
「まだ終わりじゃなかったか」
ラッゼルの報告通り、迷宮主の背後にあった黒い泉は跡形もなく消え失せていた。
赤茶けた地面には、わずかなくぼみが残されているだけだ。
トールは手渡された赤い骸骨の小さな頭部を、他の鍵と見比べてみる。
色が違うだけで大きさや形はほぼ一緒である。どうやら同じ役割を担っているようだ。
だが周囲の壁をもう一度、確認してみたが、使えそうな場所は見当たらない。
「次は扉探しからか……」
「あんまり驚いてないんだね、トールちゃん」
「ああ。もしかしたらとは、考えていたからな」
その根拠は、上の冥境の階層の仕掛けにあった四つの柱だ。
白、青、赤に続いて、黒い柱に呼応したモンスターを倒さねば、屍の竜へ挑むことは叶わなかった。
そして、それらの柱と同じ色をした髑髏の鍵たち。
わざわざ色付けされている時点で、怪しいことこの上ない。
「しかし改めて思うが、どうにもこの迷宮は不自然だな」
「ええ。厄介な足止めばかりなのに、迷宮主を倒すと次の階層の鍵を律儀に渡してくるというのは、少しばかり腑に落ちませんね」
ユーリルも同じ気持ちであったようだ。
銀髪の美女は、長い耳の先をわずかに揺らしながら続ける。
「最初は監獄の仕組みをそのまま利用しているといった趣きだったのですが、ここまで来ると違和感が強いですね。わざわざ私たちを下層へ導く理由が思いつきません」
「来てもらっちゃ困りますからねー」
ソラの言う通り大瘴穴の目的は、地下で大量に発生させたモンスターを地上へ一気に解き放つことだ。
地下深くへ続く通路はそのためであり、侵入者のために造られたものではない。
分かりやすい例を挙げると、ボッサリアの宝玉蟻の巣穴だ。
あれも大瘴穴付近の階層には手強い蟻が集められ、広い縦穴を使って地上へ速やかに送り込める構造となっていた。
「師匠の封印した穴も、ひたすら蛇が出てくるだけだったと聞いてますね」
現在のダダンの境界街がある場所は以前は深い森であり、"大瘴森の悍ましき蛇穴"と呼ばれる固定ダンジョンが存在していた。
冒険者であったダダンたちは、その深穴から湧き出るモンスターどもをひたすら薙ぎ倒し、瘴穴を守る多頭の蛇までたどり着いたと語っていた。
しかしこの廃棄された地下監獄は階層ごとにハッキリと区切られ、その間の移動は鍵を使った階段のみという奇妙な構造だ。
モンスターが地上へ出るのに、全く向いていない迷宮である。
「これはむしろ誘い込むため、といった印象を受けます。だとしたら……」
「罠でしょうかね。この迷宮自体を使った」
「はい、可能性はありますね」
「そしてどちらにせよ、俺たちは奥へ進むしかないということか」
どのような意図があったとしても、結局トールたちは大瘴穴を見過ごすことはできない。
何が待ち構えていようが、最下層へ向かうという選択肢に変わりはないのだ。
無意識に顎の下を掻いたトールは、仲間たちの姿を見回した。
モルダモは傍目から見ても、明らかなほど気落ちしていた。
普段の物静かで気配を感じさせない様子とは大違いである。
その横でリコリはおろおろとした顔で、懸命に妹を慰めていた。
こちらもいつもの達観した態度はなく、馴染んだ半開きの目元からまぶたが上がってしまっている。
そして肝心のラムメルラは、静まり返った湖面を思わせる表情を浮かべていた。
しかしながら、どことなく反応が鈍いようにも思える。
意識が少し散漫というか、周囲の言葉が耳を素通りしているような感じだ。
髪と口ひげが元通りになったバルッコニアは、ラッゼルと快活に会話をしていた。
対する剣士は、時々であるが唇の端を持ち上げて相槌を打っている。
以前の無愛想さが、やや緩和されたようだ。
そしてムーは陽気な炎使いの肩にまたがって、執拗に髪の毛を撫で続けていた。
その無機質な紫の瞳は、出会ったばかりの表情が硬かった時分とよく似ていた。
一番元気なのは、クガセと双子であろう。
迷宮の主の体をほじくり返しては、いちいち大きな歓声を上げている。
「見てくださいよ、キキ姐! これ絶対に一等級ですよ!」
どうやら魔族の首根に並ぶ顔の中からも、大きな魔石が見つかったようだ。
両手で掲げるほどのサイズに、興奮した三人の会話が聞こえてくる。
「ちょっとは手伝ってくださいよ。まだまだ奥にありますから」
「残念だけど無理ね。腕に力が入らないのよ」
「えー、ウソっぽいですよ」
「上枝武技を使った反動が来てるのよ。半日はまともに動かないわ」
「それは大変ですね。じゃあ土人形でって、……ボクもあんまり魔力が残ってないですよ」
いつの間にかすっかり打ち解けあったようだ。
だが限界が近いのは間違いない。
「よし、今日はここまでにするか」




