王の狂乱
長い刃が美しい半円を描きながら宙をよぎった。
絡み合った根が大きく斬り裂かれ、赤い断面が露出する。
次いで沸き立つ体液が、そこから激しく噴き出した。
身を屈めて避けたラッゼルへ、すさかず根の合間から細長い何かが飛び出してくる。
先端が錐のように尖った棘だ。
戻した剣の腹で棘を叩いた剣士は、その反動を生かして距離を稼ぐ。
安全な氷の上に降り立ったラッゼルは、息を整えながらモンスターの巨躯を見上げた。
先ほど斬りつけた部分は、みるみる間に灰色の冷気に覆われてしまう。
ユーリルの魔技の仕業だ。
根の傷を凍らせた氷は、その内側へも入り込んでいく。
すでにモンスターの足である無数の絡み合った根は、膝近くまで灰色に変色していた。
もう、どれほど剣を振るってきたのだろう。
吐き出す白い息はせわしなく、腕や足は鉛でできたかのように重い。
限界が近い自覚はあったが、残された時間があまりないのもラッゼルは分かりきっていた。
地面を凍らせるユーリルの魔技と身を守るラムメルラの魔技は、もうそれぞれ二度使用済みだ。
つまりこれ以上の足止めは、今日は不可能ということである。
氷結の魔技の効果が失われる前にモンスターの足を完全に潰すことが、ラッゼルとトールに課せられた役割であった。
呼気を戻した剣士は、凍った傷跡を足場にして一気に駆け上がる。
刃が閃き、濁った体液が舞う。
今度は三本の棘が飛び出し、躱しきれなかった一本が太ももの肉を大きく削ぐ。
「くっ!」
焦りが呼んだ失態に、ラッゼルは奥歯を強く噛み締めた。
体力も残りわずかな中、この足ではまともに動くことは叶わない。
だが次の瞬間、剣士の体は動き出す前と全く同じ場所に立っていた。
足の傷は消え失せていたが、モンスターの体にはたった今つけたばかりの斬り口がはっきりと残っている。
助けられたのだと悟ったラッゼルは、もう一本の足へ剣を振るう男へ鋭く視線を走らせる。
その奥歯がさらにミシリと音を立てた。
この身に溢れかえる闘気を解き放つことさえできれば、ラッゼルの仕事はとっくに片付いていたであろう。
しかし迷宮の主の体を覆う赤い表皮に、炎の力は全く通用しない。
むしろ味方である氷が溶け出すだけである。
トールの背中を静かに見つめたラッゼルは、剣先をいつもの高さに持ち上げ肺底まで息を吸った。
馴染んだ動きは、たちまち剣士を無心へと引き戻す。
はるか格下の階級であったトールに敗れたことで、ラッゼルは様々なものに気付かされた。
その中でももっとも重要なことは、鍛え上げた剣は己を決して裏切ることはないという点だ。
それまでは強力な武技さえあれば、いかなる相手にも打ち勝つことができると信じ込んでいた。
しかしトールの放った斬撃は、ラッゼルの驕りをあっけなく打ち砕く。
そしてその敗北があったからこそ、ラッゼルは今ここに立っている。
剣士が真に頼るべき存在は武技ではない。
振るってきた剣そのものなのだ。
大きく息を吐いた剣士は、その身を高く跳躍させた。
振りかざした剣は、すでに伸ばした腕のようにラッゼルの一部となっている。
横薙ぎ一閃。
それは完全に気負いが抜けた、会心の一振りであった。
わずかに遅れて、剣身から澄んだ音が鳴り響く。
同時に切り離された根の断面が、氷に覆われながら急速に枯れていく眺めがラッゼルの目に映る。
それとゆっくりと倒れていく迷宮の主の信じ難い姿も。
己が成した眼前の光景に、剣士は思わず呟きを漏らす。
「俺は……強く…………なれたのか?」
地面に降り立ったラッゼルは、急いで隣へ顔を向けた。
そこには同じくモンスターの足を切り離したばかりのトールが、荒く息を吐きながら剣にすがるように立っている。
男たちはしばし見つめ合った後、申し合わせたように唇の端を持ち上げた。
一呼吸遅れて大きな地響きが鳴り渡り、両膝から下を失ったモンスターは無様に地面へ転がる。
尻餅をついたような姿に、後方から大きな歓喜の声が上がった。
頷きあったトールとラッゼルは、止めを加えるべく剣を持ち上げて走り出した。
その前に、またも大きな地鳴りが響き渡る。
後ろへ倒れた迷宮の主は、いつの間にか両の腕を大きく掲げていた。
それに合わせて、触手たちも地面の下から引き抜かれる。
その先端が地面を割って引きずり出してきたのは、燃え盛る巨大な屍人たちであった。
いや、よく見ると無数の屍人が寄り集まって、巨体を形作っているようだ。
その身の丈はトールたちの三倍以上。数はおよそ二十。
勝機が生まれたと思えた瞬間、魔族の王が見せつけてきたのは絶望的な数の差であった。




