同じ道を歩んだ者
古ぼけた小さな樽を小脇に抱えた老人は、神殿長の部屋の扉を軽く叩いてから返事を待たずに押し開けた。
とうに日は落ちており、薄暗い部屋を照らすのは、壁に吊るされた小さな魔石灯の光だけだ。
ソファーに腰掛ける見慣れた人影を確認したダダンは、その向かい側にどっかりと腰を落ち着けると、持参した酒樽をローテーブルに置いた。
「何しに来た?」
「慰めようかと思ってきたが、いらぬ世話じゃったか、伯父上」
部屋に居たのはザザムだけではなかった。
ソファーにはもう二人、うら若き女性が老人の隣りで眠りこけている。
酒精混じりの寝息を漏らしていたのは、キキリリとネネミミの双子の姉妹であった。
両側からザザムの膝の上に頭を乗せて、安心しきった寝顔を晒している。
「てっきり、あやつらに付いていくかと思ったが、しれっとした顔で戻ってきよったわ」
苦虫を噛み潰したような表情で、ザザムは目の前の品を顎で示した。
ローテーブルの上に置いてあったのは、ダダンが持ってきた物よりさらに古ぼけた小さな樽だ。
開封済みの樽からは、芳醇な蒸留酒の香りが強く漂ってくる。
「ほう、三十年物とは張り込んだようじゃな」
「こんな酒ごときで、わしが許すとでも思ったのか。まったく舐められたもんじゃ」
膝枕を許している時点で、キキリリたちの贈賄工作は成功であったと思えるが、ダダンは口角を持ち上げるに留めた。
「じゃあ、わしも相伴にあずかるかのう」
「お主は自分のを飲んどけ。これはわしが貰ったもんじゃ」
「相変わらず、酒に関してはケチくさいのう、伯父上は」
「ふん、なんとでも言え。わしに飲めと持ってこられた酒は、わしが飲むだけじゃ」
そう言い放ったザザムは盃を一息に空にすると、双子たちの頭を優しく撫でた。
慈しむようなその老爺の表情は、孫を見守る祖父そのものでもあった。
ココララはザザムの死んだ妻の妹にあたる。
子どもを成せなかった夫婦には、歳の離れた妹はことさら可愛かったのであろう。
傍目から見ても三人は、まるで親子と見間違うほどの仲の良さであった。
そんな我が子同然のココララが、地の底で日に日に正気を失っていくのだ。
特定の神殿に入り浸ることがあまり奨励されない街長のダダンに代わり、間近で世話を焼いてきたザザムにとって身を切られるほどの辛さであったろう。
それゆえに今日の暴挙も頷ける。
聖遺物と子どもが引き起こした出来事を思い返し、ダダンの口角はまたもゆるりと持ち上がった。
「ふん、何を笑うとるんじゃ」
「うむ。伯父上には残念じゃったかもしれんが、わしはちょっと楽しみでな」
「……聖遺物を持たずに、大瘴穴に挑んでなんになる。ただ己の武功を示すことに、どれほどの価値があると言えるのじゃ」
「それじゃが、そう心配する必要はなかろうて。他の神殿の物でも、穴さえ塞がればココララの御役目は終いじゃろうに」
「わしらが心血を注いで切り開いた道じゃぞ!」
「それこそ思い上がりじゃ。わしらはただこの場所を用意したに過ぎん」
「どれほどそれが大変だったことか、お主が一番分かっておろう!」
激高したザザムの言葉に、禿頭の老人は淡々と言葉を返した。
「いいんじゃよ、伯父上。わしはもうココララさえ助かるなら、何も望まん。それより大きな声を出すと、そいつらが起きてしまうぞ」
偽りのないダダンの返答に、ザザムは呆れたように大きく息を吐いた。
それからテーブルに転がっていた盃を拾い上げると、樽に浸してから甥へと突き出す。
「ほれ、飲め」
「ふむ、ありがたい。おお、これは良い酒じゃのう。はらわたによう沁みるわ」
「他の神殿と抜かしたが、当てはあるのか? 風と火は当分は無理じゃぞ。土もそれらしい話は聞かんな」
「おそらく水はもう準備済みのようじゃな。それと氷も怪しいようじゃ」
「探求神殿か。よく調べたのう」
「ああ、おかげ様で財布がずいぶんと軽うなったわ」
ダダンがこのところ足繁く通っていた夜の帳亭は、そういった情報を扱う店でもあった。
酒の席や房事の後ほど、男の口は軽くなりやすいという奴である。
店主であるアニエッラの話によると、探求神殿の下働きの男が酔ってこう漏らしたらしい。
ユーリルが金剛級に上がった直後、北のストラから厳重に管理された品が一つだけ届いたと。
「おそらく何かあるじゃろうて。それとな、伯父上」
遠慮もせずに樽から再び古酒をすくい上げたダダンは、愉快そうに笑いながら話を続けた。
「今日のあのおチビちゃんを見る限り、聖遺物の有無なぞ小さな心配だと思わんか?」
「むう、それは確かに。長く生きてきたが、あれほど驚いたのも久しいのう」
「わしはあの四人なら、もしかしたら大瘴穴を塞ぐ以上のことをやってのけるかもと思えてしまってのう」
嬉しそうに言い放ったダダンは、盃を飲み干してしみじみと呟いた。
「本当に旨いのう。これが三十年の重みじゃな」
「ふん、わざとらしい嫌味じゃのう」
「知っとるか? 伯父上。トールの魔技じゃが、あれは大事な娘っ子のために二十五年もかけて鍛えたそうじゃ」
その言葉に神殿を束ねる老人は、呆気にとられたように口をポカンと開いた。
それから一息置いて、くぐもった笑い声を上げだす。
「なんじゃ、あいつもわしらと同類じゃったのか」
「いや、娘っ子を助けている時点で、わしらよりも上じゃぞ、伯父上」
「ほほう、そうか。…………そうか」
目を合わせた二人の老人は、どちらともなく互いに盃を持ち上げる。
琥珀色の液体を見つめながら、ダダンは小さく呟いた。
「トールよ、あとは頼んだぞ」
ようやくサブタイトルが回収できました。
ほんと、長々と爺の話ですみませぬ。
前話も30年目以降で、ちょいと付け足しております。




