三十年の重み
階段を上がっていくトールたちの背中を、ダダンは妻の手を握りながら見送った。
最初の数年は、本当に大変であった。
無名の街ゆえに集まる冒険者も少なく、当然ながら質も褒められたものではない。
揉め事が起きない日はなく、刃傷沙汰までいくのも珍しくない有り様であった。
そのせいで住民が長く居着かず、金も集まらず回らない。
もっと報酬なりを積めば、腕利きの連中も取り込めたであろうし、治安を維持することも容易かったであろう。
しかし冒険者時代に貯め込んだ大半は、奉仕神殿に頼んだ街の外壁の建造などですでに消えていた。
さらに冒険者局や買い取り所などの施設の設置及び管理にかかる人件費、他の神殿の誘致などで、残った半分もあっという間に費やされてしまう。
それでもまだ幸いだったのは、街のすぐ近くの小鬼が棲息する森から上質の木材が採取できた点だ。
また森の小迷宮から、それなりの鉱石が採掘できたのも大きい。
といっても、ダダンにそれを売りさばく伝手はない。
結局、法廷神殿を通してハクリ本国へ援助を頼み、木材を扱う商人たちを紹介してもらうしかなかった。
この借りは、後々大きく響くこととなる。
そして十年目にして、ようやく街はそれらしくなる。
内堀を作り居住区域を二分したことで、いざこざに巻き込まれることも減り、防衛の面でも安心できると住民が増えた。
それに伴い商人や職人も増え、なんとか税収も安定する。
この辺りは交易神殿の誘致が上手くいったことも貢献したようだ。
探索の方は破れ風の荒野を突破する者たちが、ちらほらと出てくるようになっていた。
こちらは施療神殿が建てられたことで多少の無理も利くようになったという点もあるが、ダダンの地味な働きも見過ごせない。
局長自らが外門に立ち、めぼしい冒険者には直接声をかけ様々な助言を施したのだ。
その上でやる気のある者には、武具の扱いの手ほどきも授けた。
トールに会ったのも、その当時である。
最初は向こう見ずな馬鹿者だとしか思っていなかった。
少しばかり戦い方を教えてみたが、命が惜しくなってすぐに逃げ出すだろうと。
だが毎日毎日、諦めもせずに危険な森へ踏み込む少年の無謀さに、ダダンは考えを改める。
トールの目に宿っていたのは、金や名誉ではなくもっと違った何かであった。
本腰を入れて教えてみたところ才能の有無はよく分からなかったが、愚直に剣を振り続けることで若き冒険者の腕前は少しずつ上がっていく。
師であるダダンは、その姿にかえって気付かされる。
歩みを止めさえしなければ、人は前ヘ進めるのだと。
といっても所詮は武技もなく、役立たずな魔技しか持たないトールは小鬼の森が限界であったが。
二十年も経つと、街はすっかり境界街らしくなっていた。
木材と鉄材、魔石や肉類などの供給は安定し、建物がずらりと並んだ通りを魔石灯が明々と照らし出す。
また他の境界街と金を出し合い、街と街を繋ぐ道も造られ人や物の流通はより盛んになる。
探求神殿も建立されたことで教育が行き渡り、住民の質や数もより向上した。
また通常、稼業を辞めた冒険者の多くは、再就職の当てもなく何かと問題を起こしやすい。
しかし自らも冒険者であったダダンは、彼らの境遇をよく理解しており見捨てようとはしなかった。
引退者の多くを雇い入れ、街の警備や治安維持に活用したのだ。
これにより安全の度合いを増した街にはいっそう人や物が集まり、噂を聞いた冒険者たちも続々と登録するようになる。
各種の冒険者向けの保障制度が整ったのも、大きな後押しとなった。
そして瘴地の探索もとうとう獣鬼の砦を突破する者が現れ、人の足はついに瘴霧漂う沼地へと及ぶ。
だが、ここでダダンの境界街は大きな問題にぶち当たった。
沼地に棲まう魔女の存在だ。
後に伝承級であると認定されたこのモンスターに、街が誇る上位陣の冒険者たちが挑み壊滅するという悲劇が起こったのだ。
これにより一気に探索の気運が後退する。
住民に知れ渡ると恐慌状態になる可能性もあり、冒険者局側も魔女については秘匿せざるを得なかった。
そしてその辺りで、地の底からこの街を守っていたココララにも限界が訪れる。
自分たちと同じような目に遭わせたくないという彼女の言葉から、ダダンは息子たちを冒険者の道へは歩ませなかった。
そんなただの人間では、塞いであるとはいえ強い瘴気が籠もる大瘴穴に近寄ることは叶わない。
また神官たちも聖遺物たる獣の存在感に耐えられず、あまり長居もできない。
愛する子どもたちと引き離され、昼も夜もない地面の下で過ごす孤独な二十年はココララの心を壊すには十分足る歳月であった。
探索の思わぬ行き詰まりに、少しずつおかしくなっていく妻の言動。
ダダンが打開策を他に求めたのも、仕方がない成り行きである。
話を持ちかけてきたのは、街の開設当初から付き合いのあった解放神殿だ。
凄腕の冒険者二名の参入と、英傑による冒険者たちへの指導。
そう聞くと大層、魅力的ではあるが、ようは解放神殿の息のかかった者を要職につけ優遇しろという提案である。
伯父であり法廷神殿の長を務めるザザムには強く反対されたが、ダダンはあえてそれを受け入れる。
街が栄えるにつれ人と金が集まり、商工会や神殿の間でも何かと調整が必要となってくる。
毎日の会合などで時間は多大に費やされ、冒険者局へ顔を出すこともままならない有り様となっていた。
このままでは現場に携わることもできず、ろくな施策を行うこともできない。
そして次の大瘴穴を封じなければ、妻を救うこともできない。
大いに悩んだ末の決断であった。
副局長に就任したサッコウは、早々に少数の精鋭による大瘴穴の攻略という方針を打ち出す。
そのために実力のある冒険者を選別せねばならず、温い慣習は撤廃され一気に締め付けが強まる。
それは冒険者寄りであったダダンの時代とは、まったく逆のやり方であった。
こうして反発も大いにあったが、結果として金剛級の名にふさわしいパーティが出来上がる。
魔女を監視する体制も数年で整い、とうとう大瘴穴があると見なされた地下監獄への探索も始まった。
そして次の十年は、またたく間に過ぎ去っていく。
むろんその間にも、街を揺るがす事件は多くあった。
新規冒険者の減少により大発生した小鬼どもによる街への襲来や、隣街であるボッサリアの陥落等々。
それとサッコウの一人娘が法廷神殿を勝手に探索し、地下の部屋に偶然迷い込んだ件も忘れてはならない。
この出会いにより、妻の感情がわずかながらも戻ったことが、ダダンにとって何よりの救いであった。
何かにつれココララを外へ連れ出そうと画策するベッティーナに、困った子ねと嬉しそうに呟いていた妻の表情は今も老人の胸の奥に刻み込まれている。
だが良い時期とは、早々に終わってしまうものだ。
少女が小鬼の襲来で大怪我を負い東国ズマへと帰されてしまったことで、妻の顔からまたも笑顔は掻き消えた。
さらにその辺りから、愛弟子であるトールの悪評が聞こえてくるようにもなっていた。
未だに小鬼の森に居着き、スライムだけを狙う楽な仕事ばかりを続けていると。
かつてのトールの真摯な眼差しを知るダダンにとって、それは信じ難い話であった。
見捨ててはおけず何度か冒険者局の職員への採用を打診したが、弟子は頑なに首を縦に振ろうとしない。
余裕がなかったダダンは、その意固地な態度に関わりを止めてしまう。
そして不穏な空気を孕んだまま、ダダンの境界街は三十年目を迎えた。
相変わらず忙しい業務に追われる日々であったが、とある噂がダダンの耳に舞い込んでくる。
あの愛想を尽かしたはずの弟子が、いきなり仲間を増やしたかと思うと大量の小鬼を仕留めてみせたという話だ。
半信半疑であったダダンだが、久しぶりに会ったトールの変わらない様子に安堵を覚える。
そして、あまりにも変わり過ぎていた魔技の効果に驚愕した。
その後の半年間、トールが生み出したのは怒涛のような流れであった。
狡猾な小鬼の大群から密かに街を守ったかと思えば、血流しの川や破れ風の荒野の厄介な問題までも解決してのける。
さらに隣街ボッサリアの蟻の巣を制覇して奪還を成功させ、凶悪な群生相の竜種を退治したかと思えば、伝承の怪物たる沼地の魔女の討伐まで。
――あり得ないほどの快挙である。
あとは大瘴穴を封じ、英傑と呼ばれる高みに至るだけ。
ただそのためには、聖遺物の力を借りなければならない。
以前より法廷神殿からは、次代の獣の巫女候補としてムーを確保するよう打診されていた。
その上、本国からも同様の要請が届く。
数々の資金や人材の援助を受けてきたダダンの境界街が、それを跳ね除けるのは不可能に近い。
ダダンも対象者の年齢を考慮すべきだと手紙を送ってみたが、戻ってきたのは無慈悲な通告であった。
それほどにハクリの状況は悪化しているようだ。
何度も逡巡したが、聖遺物がなければ大瘴穴を封じられないという事実は覆らない。
せめてその選択はトールたちがなすべきだと考えたダダンは、双子にムーの警護を依頼しておく。
そして今日、思わぬ形で聖遺物の譲渡は失敗に終わった。
驚きはしたが、今のダダンの心を占めていたのはもっと大きな感情であった。




