対三つ首戦
「さざめきたる真紅の葉よ。どうぞ目を眩ませる輝きをお願いいたします――<陽炎陣>」
ちょび髭を生やした炎使いの祈句と同時に、トールたちの体が幾重にもブレだす。
輪郭を幻影でぼやかすことで、攻撃を躱しやすくする炎精樹の魔技の効果だ。
「大いなる地樹の長き根よ、その軛から解き放つですよ――<地解>」
こちらは自重を軽くすることで、俊敏な動きができるようになる地精樹の魔技だ。
準備を整えたトールたちは、狭い通路からポッカリと開けた空間を見据える。
十五歩ほど離れた岩壁には、耳障りな笑い声を上げ続ける怪物の姿があった。
この空洞の主を退治するため、今回は二パーティ合同での作戦である。
と言っても半数の六人の内、<陽炎陣>を唱えるためにバルッコニアが少し前に出ただけで、残りは後方で待機している。
十二人も一箇所に固まってしまうと、気付いた三つ首に突進されて通路が塞がれてしまう可能性があるためだ。
そうなると自由に動けるモンスター側が、圧倒的に有利になってしまう。
今回の作戦の要は、いかにあの三つ首の動きを封じるかに掛かっていた。
「じゃあ、そろそろ始めましょうか」
「なーんで、リリ姉が仕切るんですか」
「そこに口を挟むからダメなのよ。掛け声なんて誰が言っても一緒でしょ」
両手に斧をぶら下げたキキリリの体からは無駄な力が完全に抜け、余裕すら漂わせている。
背後で頷く妹のネネミミも同様のようだ。
対するクガセも金剛鉄製の大仰な籠手を、胸の前で静かに鉢合わせてみせる。
こちらもやる気に満ち溢れている顔つきだ。
その背後に立つラッゼルも、背負った長剣の柄の握りを確かめながら力強く顎を引いてみせた。
四人の顔を見回したトールは、隣に立つ女性へ話しかける。
「では、お願いしますね。ユーリルさん」
「はい、任されました」
柔らかな笑みを浮かべた銀髪の美女が、短い杖を掲げて魔力を高める。
その瞬間、壁の石をむさぼっていたモンスターの動きがいきなり止まった。
即座に体の下の触手がヌメヌメとうごめき、グルンと不気味な顔どもが位置を変える。
凄まじい反応の速さだが、そう来ることはすでに経験済みであった。
ためらう素振りを欠片も見せずに、ユーリルの祈句が空洞の内側へ反響する。
「冥き地へ留めよ――<冥境止衰>」
ほとばしった魔力の奔流が向かった先は、大きく口を開けて待ち構える悪魔本体ではなく、その足元であった。
たちまち青白い輝きが、モンスターの周囲の地面に広がる。
そのまま押し寄せた氷は、三つ首の触手をことごとく巻き込んで凍らせてしまう。
身動きを無理やり止められた悪魔は、歯を激しく噛み合わせる音を発した。
一見すると下枝の<氷床>と変わらぬ効果だが、その威力には明白な違いが存在していた。
通常、魔技によって生じた氷は数十秒から数分で消え去ってしまう。
しかしこのユーリルが新たに習得した三番目の上枝魔技は、レベル1で三十分の効果時間を誇る。
そして他の二本の上枝魔技のポイントを回してレベル5まで伸ばした今は、一時間まで氷が持続するようになっていた。
もっともそれには、ある一つの条件が必須であったが。
触手を凍らされた悪魔の顔の一つが限界まで顎を開き、その怒りに歪む喉奥から勢いよく炎の渦を吐き出す。
うかつに浴びれば、骨まで一瞬で灰になる灼熱の吐息だ。
だが、数千度の熱が直撃したはずの凍りついた地面は、氷が溶け出すどころか蒸気一つ生まれる素振りもない。
憤怒に満ちた顔が何度も赤い炎を吹き付けるが、カチカチに固まったままである。
青白く輝き続ける氷面を前に、ユーリルの唇の端が持ち上がり、いつもとは違う笑みを形作った。
その掲げた杖からは、尋常ではない量の魔力が未だに放たれている。
この<冥境止衰>が生み出した氷は、ユーリルが魔力を送り続ける限り溶け出すことは一切ないのだ。
その上、冥境から呼び寄せた氷には、発する冷気でじわじわと蝕みながら体力を奪う効果まで付随している。
これまでの上枝魔技に比べると少しばかり地味ではあるが、はまれば楽に勝てる恐ろしい技でもあった。
それに今回の作戦に、うってつけであるのは間違いない。
「よし! あとは俺たちが」
「はい、お任せしました」
魔力を氷に注ぎながら数歩下がるユーリル。
武具を構えたトールたちが、入れ替わるように次々と通路から飛び出し悪魔へと詰め寄る。
正面の大食らいの顔にはクガセとラッゼル。
大笑いを続ける顔は双子の担当だ。
そしてトールは怒り顔へ対峙する。
だが剣が届くよりも先に、前衛五人の耳に不愉快きわまりない笑い声が響き渡る。
まともに聞けば、動くことさえままならなくなる凶音だ。
しかしトールたちの動きに陰りは見当たらない。
むしろ、より加速していく。
<地解>の効果ももちろんだが、それ以上に力を与えているのは――。
「むっころころころ♪ ころころむぅー♪」
「もう。なんで一緒に歌ってるのよ!」
五人の耳に流れているのは、勇ましい笛の音であった。
あと幼い子どものごきげんな歌声。
その楽曲の正体は<武勇曲>。
戦闘意欲を高め、身体能力を底上げする魔技歌だ。
奏者は通路の奥に立つリコリである。
当然、距離がありすぎて、耳を打つほどの音量は望めないはずだ。
しかし五人の耳には、すぐ間近で聞いているかのように音色が響いてくる。
仕組みは簡単で、リコリのすぐ横に待機したムーが、その耳の感覚をトールたちと同調させているのだ。
耳栓を使えば厄介な笑い声は遮断できるが、それだと魔技歌の効果を得ることはできない。
そこで面倒な声を締め出して、なおかつ歌まで聞いてしまおうという欲張りな試みである。
ただしのん気な子どもの歌声も、漏れなく付いてきたりもするが。
笑い声を封じられた顔めがけて、紫電をまとわせた双子の斧が振るわれる。
同時に大食らいの顔へは、鞘から外れた大剣と金剛鉄の拳が打ち込まれた。
斜めに走る切り傷や陥没が二つの顔に生じる。
だが皮膚の下から覗いたのは、のっぺりとした断面のみだ。
吹き出す体液もなく、傷口はまたたく間に塞がっていく。
「さあて、音を上げるまでぶっ叩いてやるですよ」
勢い込む土使いの少女の斜め向かいでは、怒り顔の口から轟々と燃え盛る吐息が噴き出されていた。
それを数歩離れた場所で、冷静に躱すトール。
竜鱗と黒金剛石で守られてはいるが、さすがに至近距離で浴びるのは危険である。
それと長靴や革手袋、剣帯などは、普通に燃えてしまうというのもある。
モンスターが灼熱の息を吐き終えた瞬間、トールの体が消え去り、その顔のすぐ傍らに現れる。
<予知>からの<加速>。
数十回の斬撃を刹那に放ったトールは、するりとまたも距離を取った。
顔面を大きく切り取られた悪魔は、いっそう怒りをつのらせる。
しかし再度の火炎の放射は、またも軽やかに避けられた。
時に氷で足を取られたり、炎のせいで息が苦しい場面も多々あったが、ラムメルラらに体力を癒やしてもらいつつ幻影やソラの助けもあり、三十分ほどでとうとうモンスターの動きが止まる。
内側から体が崩壊していく悪魔の姿に、双子とクガセが息を合わせたように腕を高く突き上げる。
大剣を背負い直したラッゼルも、誇らしげに唇の端を持ち上げてみせた。
一見、組み合わせが上手くいっただけの作戦に見えるが、実はここに至るまで五日間の準備期間を要していた。
狭い通路へ逃げ込めば安全なため、何度も試行錯誤を繰り返して確かめたのだ。
例えばユーリルの他の上枝魔技を撃ち込んでみたり、クガセの<磁戒>で足止めを試みたりと。
しかし直接モンスターを狙う魔技はすべて吸収されるか、高い魔力で抵抗されてしまう結果に終わった。
<冥境止衰>のみでも試してみたが、回復速度が冷気が与える損傷と互角なようで、何もないまま時間が過ぎただけであった。
そういった経緯を踏まえて、強化系の魔技で身体能力を高めつつ、ユーリルの<冥境止衰>の足止めと並行して直接攻撃を加えて削り切る作戦になったというわけだ。
形を失っていく三つの顔を眺めながら、トールはやれやれと顎を掻いた。
「やっと倒せたか。ふう、ぜんぜん早くなかったな」




