耳打つ声
おぞましい悪魔を無難に倒してみせたトールたちだが、キキリリの指示に従って進路を北回りから南東の方角へと切り替えていた。
この十六階は基本的に通路にモンスターの姿はなく、大きめの部屋に入らなければ戦闘は起こらない。
四部屋を通り抜けたクロシマ隊の一行は、比較的地面の状態がマシな通路を見つけ、そこで一息入れることにした。
初戦は手応えの良かった悪魔であったが、やはり固定ダンジョンの深層はそう容易い場所ではない。
たいがいのモンスターは造物主たる滅世神により、根源的な命令が仕込まれている。
他の生き物を喰らい滅ぼせというものだ。
しかしながら、その強すぎる本能のせいか、モンスターたちの行動はかなり似通ってくる傾向があった。
いかに強烈な攻撃でも、定型化していれば対処は楽になってくる。
身体的に劣る人間が、モンスターに打ち勝てる理由の一つもそれである。
ただ魔族に関しては、その条件が当てはまらないのだ。
一説では彼らはこことは違う世界の住人であり、滅世神を信奉することでこちら側へ顕現してくる種族ではないかと考えられている。
また亜人系のモンスターなどは、悪魔を元に創られたという説まである。
そんな悪魔どもだが、当然ながら攻撃のパターンが個々によって変わってくるのだ。
燃焼する屍人をあえて自分を囲むように留めたり、逆に早々に使い捨てにして触手でトールを狙ってきたりと。
さらに魔技に関しても<火条鞭>で薙ぎ払ってきたかと思えば、<陽炎陣>で回避能力を上げてくる個体なども居て、そっくりな戦い方をしてくる相手は一体もない。
通常であれば、大いに苦戦を強いられるところだろう。
しかしながらトールやユーリルには、これまで積み重ねてきた冒険者としての日々があった。
そしてその戦いぶりを、半年に亘ってソラとムーは間近で見てきたのだ。
結果、落ち着いて対処できたおかげで、危うい場面は一つもなかった。
だが、いつも以上に集中力を高めるというのは、とても疲れる行為である。
地面に座り込んだソラは、水筒を大きく傾けて飲み干したあと肺の底から息を吐いてみせた。
「ふー、体にしみわたるねー」
「なかなかに厄介な相手だな」
「うんうん。何してくるかわかんないから、ぜんぜん気が抜けないよー」
やや疲れを含んだソラの言葉に、ユーリルの肩を小さな手で熱心に揉みほぐしていたムーが顔を上げる。
「ソラねーちゃん、だいじょうぶか? おやつ食べるとげんきになるぞ」
「ありがとう、ムーちゃん。今日はごきげんだね」
「ませき、いっぱいひろえたからなー」
四回の戦闘の成果は、四等級の魔石二個と五等級が六個というなかなかのものであった。
悪魔は首元から複数の魔石が取れるため、金銭的には非常に美味しい相手だ。
ムーは前々から運搬ソリを動かすために魔石をお小遣い代わりでもらっていたため、今ではすっかり大の魔石好きとなっていた。
もっとも愛用していたおはな丸は、最近は飽きたのかあまり乗っていないようだ。
子どもは気まぐれである。
ちなみに溶岩の体を持つ黒犬どもは精霊系と動物系の複合種のため、眼球部分から金剛原石や小粒の炎晶石を回収することができる。
そのため引き続き金剛鉄の素材を回収できて、トールも密かに安心していた。
「はい、ソラさん。どうぞ、召し上がれ」
「やった! ありがとうございます」
器用に小さなナイフだけで黄金色の皮を剥いていたユーリルが、少女にみずみずしい果肉を差し出す。
柔らかな歯ごたえとともに口の中に甘い滴りが溢れかえり、ソラは口角を大きく持ち上げた。
「うーん、生きかえるー」
「なによ、これ! すごく美味しいじゃない!」
差し出された果実を疑いの目で眺めていたキキリリだが、口に含んだ瞬間、紫の瞳を大きく見開いた。
「ふふーん、一個食べるだけですごく元気になるんですよー」
「うまい。これなんの実だ?」
「ふふ、これは黄金樹の実ですよ」
「うそ!」
双子が驚くのも無理はない。
トールが蟻の巣の迷宮で初めて食べた黄金樹の実は、茶色にしなびたお世辞にも美味そうとは言えない代物だった。
だがあれは、もいだ実を干して長持ちするよう乾燥させた保存用らしい。
「へー、生の実だとこんなに甘いのね」
「気に入っていただけたみたいですね」
「ええ、シナシナの奴にはウンザリしてたから、本当に助かるわ」
評価を一転させたキキリリへ、ユーリルは嬉しそうに微笑んでみせた。
黄金樹の実は一切れ食べるだけで疲労が抜け、半日は満腹感が持続する食べ物だ。
おまけに栄養価も高いらしい。
高ランクの冒険者にうってつけの携帯食であるが、干した物でさえ金貨一枚の値段である。
けれども配給元である探求神殿はユーリルの所属先であり、格安で生の果実を譲ってもらえるとのことだ。
ついでながらそんな大層な効能を誇る黄金樹だが、実はすでにトールたちも目にしていた。
オードルの薬房の温室で、ちょうちょが群がっていたあの大きな木である。
「よし、一時間でけっこう進めたねー」
果実をモグモグしながら地図を見直していたソラが、画板に広げた紙を見ながら満足気に頷く。
横からそれを眺めていたキキリリも、感心したように口を挟んだ。
「あら器用に描けてるじゃない。ふんふん、あそこがここで、これにこうつながるのね。うん、なかなか良い出来ね」
「へへーん、そうですか。この調子だと十六階もサクサクいけますね」
「え?」
「あれ、なんかおかしいこと言いました?」
「そっか、上の階も地図に描いたから勘違いしたのね。ここの階層は広さが違うのよ」
「ほー。どれくらいです?」
「ざっと五倍以上はあるわね」
「そんなに!」
一気に規模が変わってしまった話に、ソラは思わず画板をひっくり返しかける。
「まあ、その分、階は減るんじゃないかって予想だけどね」
キキリリたちの話では、現在、もっとも調査が及んだ最深部は十八階である。
つまりこの炎獄の階層は、未だにたった三階分しか人の力が及んでないということでもある。
主な理由は、まず今の話に出ていた広さ。
それに地面や壁に溶けた岩を含む環境も、探索の困難さに拍車をかけている。
さらに大量の手下を連れた手強いモンスターが、部屋ごとに待ち受けているのだ。
「一応、一気に進める広い通路もあるにはあるのだけど」
そこで言葉を区切ったキキリリが、黄金樹の実をちゅーちゅーと吸っていたムーの顔を覗き込む。
「ムムはもう聞こえているんでしょ。皆には教えてあげないの?」
「ちょっとうるさいからなー。みんなびっくりしちゃうでしょ」
「何か聞こえているのか? ムー」
何度か地面に耳を当てていたネネミミの姿を思い返しながら、トールは子どもに尋ねる。
少し悩んだ顔をしたムーだが、頷いて<雷針>を発動させた。
そして首を傾けながら、耳に手を当ててよく聞こえるようにする。
「はい、どーぞ」
その言葉と同時にムーの聴覚が、トールたちの感覚へ同調する。
とたんに耳元から、騒がしい音が一気に溢れ出した。
最初はただうるさいだけの音であったが、慣れるにつれ次第に聞き覚えのある響きへと変わっていく。
同時にソラの顔色も変わっていく。
少女の耳に響いてきたのは、誰かの大きな笑い声であった。




