相容れざる存在
通路に集いつつあるモンスターの足取りは、先ほどの黒犬たちとは比べ物にならないほど鈍い。
だが見た目の異様さは、負けず劣らずであった。
そのフォルムは明らかに人間である。
しかし髪の毛や肌の色は言うに及ばず、顔形さえ定かではない。
それらは全て、その身体を包み込む赤い炎に覆い尽くされてしまっていた。
眼球はとうに蒸発したのか、空っぽになった眼窩がトールたちへと向けられる。
同時に何かを求めるように、モンスターたちの顎が大きく開かれた。
けれどもそこから耳を打つ絶叫どころか、掠れ声一つ漏れ出そうとしない。
その口内にあるはずの舌は、すでに火に巻かれ消え失せていた。
虚ろな顔を見せつけながら、動く焼死体は黒く炭化した両腕を前に突き出しトールたちへと迫る。
あまりにも無残なその姿に、たいていの人間は恐怖に怯んでしまうだろう。
事実、毛を逆立てたムーは、ユーリルの後ろに逃げ込んで片目だけこっそり覗かせる有り様である。
しかし多くの異形を屠ってきた氷使いに、それは無用の心配であった。
「氷、滑せ――<氷床>」
凛とした祈句の言葉が、ゆっくりと歩を進める屍人の群れへ投げかけられる。
間を置かずして、通路と広場の境目の地面が灰色の氷で覆われた。
通常であれば<氷床>は、地面の水分を凍結させることで不安定な状態を作り出すだけの下枝スキルの魔技に過ぎない。
が、氷結の枝を極めた人間が使うと、その効果は別物となる。
膝下まで一息に凍りつかされた元人間たちは、あっさりとその場で動きを止めた。
そこへすかざすトールが前に出る。
ただし狙いは鈍重な屍人たちではない。
その背後に潜む存在だ。
ユーリルの思惑通り、燃焼する死体たちが通路を塞ぎ切る前に、その足を止めることに成功したようだ。
辛うじて残った人ひとり分の隙間へ、トールは地を蹴って滑り込む。
燃え上がる人の壁をすり抜けた先は、広い空間となっていた。
そしてその部屋の中央で待ち構えていたのは、禍々しい一体のモンスターだった。
その体躯は、優にトールの二倍から三倍はあるだろう。
大きな頭部と、直立する胴体を支える二本の足。
肩関節も大きく、広範囲に動かせる両腕。
一見すると人と多くの共通点はあるものの、その細部は大きく異なっている。
真っ先に目立つのは、三本目の足に見間違えるほど太く長い尻尾だ。
さらに両の手も、地面に届きそうなほど長い。
極めつけは、それらが全てヌメヌメと独特の光沢を放つ赤い肌に覆われている点であった。
さらに頭部の造形も、人との違いが激しい。
毛髪は一切なく、その頭皮に纏わりつくのは赤光を放つ炎だ。
目に当たる部分からは弧を描く角のような二つの出っ張りが伸び、口元もくちばしのように前にせり出しており、先端は蕾のように渦を巻いている。
不意にその部分が解けたかと思うと、花弁そっくりにぱっくりと開いた。
ずらりと牙が並ぶ六個の尖った顎を震わせて、モンスターは耳障りな野太い咆哮を上げた。
同時にその右腕が持ち上がる。
丸太のような手の先には、本来あるはずの指らしき物は見当たらなかった。
代わりに生えていたのは、ウネウネと波打つ触手だ。
そして伸ばされた触手の先端は、燃え盛る屍人たちの首の付根へと繋がっていた。
こうやって蘇らせた死者を、操り人形のごとく操っているのだ。
このおぞましい外見を誇るモンスターたちの正体は、悪魔と呼ばれるものである。
地の底に潜み人類と強く敵対する種族であるが、その全容は未だ不明のままだ。
悪魔の姿をまともに視認したトールの体が、わずかに動きを鈍らせる。
だが戸惑いは一瞬だけであった。
またたく間に距離を詰めてくるトールへ、モンスターの空いていた左腕が振り下ろされる。
空を裂く一撃に対し、トールの体は流れるように動いた。
軽く踏み込むと同時に、その体躯が右前方の位置へするりと移動する。
同時に半身となった体勢を活かし、刃が下方から跳ね上がる。
しかし真下からの斬撃は、悪魔の手首を激しく打ち据えただけに留まった。
赤みを帯びた肌は、予想を超える強度を誇っているようだ。
さらに振り回された尾が、初撃を避けたばかりのトールへ襲いかかる。
だが凄まじい勢いで迫る尾は、衝突の寸前で突如勢いを失い宙に留まってしまった。
――<固定>。
素早く体を沈めその下をくぐり抜けたトールは、すれ違いざまに剣を振るう。
今度は刃が通ったのか、黒い体液が体表から噴き出す。
尾に傷を負わされたモンスターは、苛立たしげに咆哮を上げた。
そして右腕の触手を、手繰り寄せるように手前に引く。
当然、その先に居た屍人たちは、いっせいに向きを変えた。
すでにその足元の氷は、体に纏った炎で溶け去っている。
トールへ一歩踏み出そうとしたその時、今度は紫色の電流が屍人たちの周囲を覆った。
――<電滞陣>。
地面に吸い寄せられたモンスターたちは、再び動きを止められてしまう。
手下を操ろうとしたせいで、悪魔の注意はわずかにそれる。
その隙を見逃さず、トールの剣が縦横に疾走った。
膝裏に斬撃を浴び、またも黒い体液を流したモンスターは、醜い顔をぐるりと回した。
ただし、その目的はトールではない。
数度の魔技を目視した悪魔は、その使い手の厄介さにあっさりと気付いたようだ。
左腕が再び振り上げられ、何もない虚空を薙ぎった。
が、次の瞬間、そこから生じた巨大な火球が通路目掛けて飛び出す。
悪魔たちが手強いのは、状況を瞬時に理解する知能の高さともう一つ。
その呼称が示す通り、魔力を有するという点だ。
不意に現れた火の玉は、轟音と高熱を伴いながらユーリルたちへと迫った。
だが衝突がもたらす危機を感じる間もなく、唐突に消え失せてしまう。
――<消去>。
何事も起きなかった状況に、悪魔の体がかすかに身じろいだ。
そこへ朗々とした祈句が響く。
「冴え凍れ――<冴凍霧>」
火球と入れ替わるように戻ってきたのは、真っ白な冷気の束であった。
上半身を容赦なく凍りつかされたモンスターは、大きく叫びながら両の腕を振り回す。
当然、無防備となった下半身を見逃すトールではない。
スルスルと距離を詰め、一気に最高速へと体を解放する。
金剛色の輝きが、美しい軌跡を宙に描く。
一瞬で十数回の斬撃を放ったトールは、軽やかに飛び退った。
一拍子遅れて、切り裂かれた悪魔の腹部から、赤黒い臓器が体液とともに噴き出す。
そして苦し紛れに振り回した尾が、空中でいきなり反対方向にへし折れたモンスターは、そこで力尽きたのか地面へ倒れ込む。
時を同じくして触手から解放された屍人たちも、崩れ去るように燃え尽きていく。
後に残されたのは、黒い炭状の塊だけであった。




