炎熱の洗礼
そこは地の底にしては広々とした空間であった。
天井は高く、トールが手を伸ばしても全く届きそうにない。
半円状に広がる奥行きも、十数歩以上はありそうだ。
足元から伝わってくるのは、不規則に隆起する固い岩の感触である。
さらに地面だけでなく壁や天井までもが、ゴツゴツとした岩盤で覆われてしまっていた。
誰かの手によって削り取られた形跡は一切見当たらず、岩肌に同じような直線は一つも存在しない。
どう見ても自然にできた場所だ。
人工物である監獄の真下に隠されていたのは、赤茶けた岩を穿った天然の巨大な洞窟であった。
しかも、ただの岩石ではない。
魔石灯が要らないほどの視界の明るさに周囲を見回した少女と子どもは、揃えたように口を大きく開けた。
「うわわ、石が光ってるよ! トールちゃん」
「なんだこれー!」
二人の指摘通り、あちこちの岩に走るひび割れから赤く鈍い光が漏れ出していた。
薄ぼんやりとした光量だが、数が多いためそれなりに明るい。
さっそく興味を示したムーが、屈み込んでぼうっと赤く光る部分を突っつく。
「ぽかぽかしてるなー」
とたんに伸びてきたネネミミの腕が、子どもの首根っこをつまみ上げた。
宙に浮かんだムーは、愉快そうに手足をバタバタさせる。
「おバカ、熱いから気をつけなさいと言ったでしょ! ……ふう、無事なようね」
吊り下げられた子どもの指先を確かめたキキリリは、唇から安堵の息を漏らした。
それからムーの首に下がる甲虫型の首飾りを、指で軽く弾いてみせる。
「本当に便利ね、これ」
「ここはかなり暑いようだな」
キキリリの額に浮かぶ汗粒に、赤い鱗鎧を隙間なく着込んだトールが尋ねる。
その顔は至って涼しげである。
身につけた黒金剛石の持つ不変の効果で、周囲の熱が身体へ影響しないのだ。
よって熱さなどはちゃんと伝わってくるのだが、その変化を受け付けないという不思議な状態となっていた。
「ええ、忌々しいほど暑いわよ。全部、脱ぎ捨てたいくらいね」
ピッタリとした黒い革鎧を纏った紫眼族の戦士は、ムーを地面に下ろしながらわざとらしく顔をしかめてみせる。
見た目は軽装だが通気性があまりないせいで、汗で蒸れてしまうのだろう。
かといって凶悪なモンスターどもがうろつく場所で、身の守りをおろそかにし過ぎるわけにもいかない。
冷気で満たされていた冥境の階層とは一転して、この炎獄の階層は熱気溢れる場所であった。
洞窟を構成する岩の一部は内部に熱で溶解した部分を含み、うかつに素手で触れば重度の熱傷は間違いなしの危険な代物である。
ただそのおかげで、陽光の届かない地の底でも十二分に視界は確保できていた。
トールが手を差し出すと、ムーが勢いよく飛びついてくる。
抱き上げて足の裏を調べてから、子どもに注意を促す。
「やっぱりか。気をつけろよ。大事な靴が焦げてるぞ」
「むぅ!」
確かに黒金剛石は変化には強いが万能ではない。
それと効果が届く範囲にも限界があり、身につけた他の品までは及ばないのだ。
当然、赤く溶けた岩を踏めば、靴底にも影響が出る。
「やー、なおしてー」
「トーちゃんも忙しいからな。次は直せるか分からんぞ。だから言いつけはちゃんと守れよ」
「いいつけばっかりだなー、トーちゃんは」
「ああ、お前が危ない目に遭うくらいなら、トーちゃんはいくらでも言いつけるぞ」
心配げな響きを含むその言葉に、ムーはくすぐったそうに笑ってからトールの肩に顔を埋めてぐりぐりと動かした。
その様子を呆れた顔で見守っていたキキリリだが、小さく息を吐くと振り向いて妹へ問いかけた。
「どう、ネネ?」
屈み込んで地面に耳を近付けていたネネミミは、立ち上がって南の方角を指差した。
すでに同調状態に入っているのか、その唇は固く結ばれたままだ。
扉から出てすぐのこの広い場所からは、北と南にそれぞれ大きめの通路、東の奥には三本のやや狭い道が伸びている。
妹が指差した南の通路を一瞥したキキリリは、反対方向へ歩き出しながらトールたちへ呼びかけた。
「もういいかしら? そろそろ行くわよ」
「待たせて悪かったな」
「はい、がんばりましょう!」
「よろしくお願いしますね、キキさん」
北の通路を進むこと数分。
トールたちの目が、前方に見えてきた大きめの空間に複数の影を捉える。
すでに全身から青い雷の針を生やしていたネネミミが、腕を上げて止まるように命じる。
現在の配置は、先頭に戦士と雷使いの双子。
数歩遅れて水使いのモルダモ。
さらにその後ろにトールたちといった布陣である。
人が増えれば気配を察知したモンスターをそれだけ引きつけやすくなる。
そのため気休めに近いが、キキリリらとトールたちは少し距離を空けておくようにしていた。
また、スキルポイントも戦闘に参加した人数で頭割りとなるため、今回は相対するモンスターへ互いに手出ししないとあらかじめ決めてあった。
それと戦う相手を分けた理由はもう一つ。
話し合いなどでお互いの人となりはある程度理解し合ったものの、冒険者としての実力はまた別の話だ。
したがって今日は、互いの戦いぶりを披露する目的もあった。
当然、期待はずれな結果を見せられた場合、付き合い方を変えるという選択肢もありうる。
初戦をどうさばくのかトールたちが見守る中、双子は特に気負う素振りもなく動き出す。
互いに目を合わせたあと、キキリリが不意に手にしていた斧を持ち上げた。
そのまま真横の壁に、いきなり柄頭を叩きつける。
通路に鳴り渡る甲高い硬音にソラとムーが目を丸くすると同時に、奥の広い空間でも変化が起こった。
獰猛な唸り声のようなものが響いたかと思うと、複数の影がいっせいに目の前になだれ込んできたのだ。
それらは四本の足で駆ける獣たちだった。
見た目は毛の短い犬そっくりで、体高は大人の腰ほどしかない。
いや、それでも十分に大きいのだが、これまでの動物系のモンスターに比べるとやや物足りないサイズだ。
ただし外見のほうは、十二分に予想以上であった。
一見、黒い皮膚に覆われた体躯だが、あちこちに細かいひび割れが走っている。
その下から覗くのは見慣れた赤い光、熱で溶けた岩そっくりの輝きだ。
獰猛な牙をむき出しにした先頭の黒犬が、数歩の距離を一気に詰めるため飛翔する。
だがその着地点に、すでに双子の姿はない。
左右に分かれたかと思うと、側面の壁へ吸い付くように二人は走り抜ける。
同時に斧が振るわれ、続いて飛び込んできた数匹の体を強かに叩く。
斧でかち割られたモンスターの体から、赤く溶けた岩が血潮のごとく飛び散った。
たちまち焦げくさい臭いが、通路に立ち込める。
怒りの唸り声を漏らした犬どもは、即座に振り向いて双子たちへ殺到した。
しかし、今度もすでに二人の姿はそこにない。
目にも留まらぬ速さで動いたかと思うと、鮮やかに犬たちの間を通り抜けてみせたのだ。
一拍子遅れて、斧の打撃音が高らかに響き渡る。
黒い犬たちの動きが遅いわけではない。
常人なら喉笛を噛み砕かれるまで、その接近に気づけないであろうほどだ。
だがキキリリたちは、それ以上に速い。
しかも速いだけでなく、その動きに入る過程が見事なのだ。
トールの<予知>に匹敵するほどの先読みである。
モンスターの群れの猛攻を完璧に躱しながら、二人はリズムを刻むように攻撃を加えていく。
またたく間に優勢が決まったと思われたが、やはりそう甘くはない。
全身から溶岩を垂れ流していた数匹が、不意に足を止めて大きく口を開く。
その喉奥からいっせいに噴き出されたのは、灼熱の蒸気だった。
いかに速く動けようとも、広範囲に噴出する空気の塊を狭い通路では避けようがない。
即座に二人の整った顔や露出した肌の部分に、酷い火脹れが生じる。
「生命の樹の御主よ。傷つきし子らに、憐れみの涙をお流しください――<流涙癒>」
そこへ間髪容れずに、モルダモの声が重なる。
たちまち嘘のように、火傷の痕が消え失せた。
顔色を一切変えぬまま、双子は火炎の息吹を放つため足を止めていた黒犬どもとの距離を瞬時に詰める。
その手の四丁の斧には、すでに紫色の太い茨が幾重にも巻き付いていた。
――<電乱打>。
多数の紫色の軌跡を生み出しながら、金剛鉄の斧がモンスターの頭部へ振るわれる。
一瞬で急所が破砕した黒犬たちは、吠え声を立てることなく地面へ倒れ込んだ。
戦闘はわずか数分で終わりを告げた。
六頭のモンスターの死骸に囲まれたキキリリは、誇らしげに顎を持ち上げてみせる。
「ま、こんなものね。さあ、次は貴方たちの番よ」
言い放った双子の姉が顔を向けた先には、ゆっくりとこちらへ向かってくる新たなモンスターたちの姿が見えた。
それらは全身が燃え盛る人々の群れであった。




