森の奥の穴
「今日は鎧猪を狙おうと思う」
昼下がりの森の奥。
昼食を済ませたメンバーに、トールは本日の方針を伝えた。
「イノシシ! うんうん、ごちそうっぽいひびきだねー」
「ムーになんでもまかせとけ! トーちゃん」
「そう甘い相手じゃないぞ」
鎧猪は体高がゆうに人の肩ほどに達する巨大な獣だ。
さらにその名が示す通り、体の前面部分が分厚い皮下脂肪と剛毛が組み合わさったコブ状の皮膚で守られたモンスターである。
その頑丈な守りは下枝スキルのレベル1程度の武技や魔技では、ほぼダメージを通すことができない。
レベル2か3以上に育てたスキルが必要とされるため、この猪を倒すことは見習いからの卒業、すなわちFランクへの昇格を意味していた。
討伐に奨励されるパーティ人数は五人から。
そして討伐証明である尻尾一つにつき、昇格できる人間は一人のみ。
したがって討伐に参加した人数分を得るために、かならず複数は狩る必要があるモンスターなのだ。
そのため途中で離脱すると、抜け猪野郎なんて不名誉なあだ名がついて回ることになったりもする。
なぜそのような仕様なのかは、この試練が戦闘能力だけではなくパーティでの協力体制を試すものでもあるからだ。
この連続戦闘を通して得た仲間は、たいてい最後まで続いたりする関係になりやすい。
いわば五人パーティを結成するきっかけなのである。
それゆえ、トールには鎧猪を討伐する機会は回ってこなかった。
単独で三度ほど挑んだことはあったが、ことごとく深手を負わせられずに敗退する羽目となった。
だが今のトールにはソラとムー、頼りになる二人がいる。
午前中に角モグラとゴブリン相手に振るってみて、鉄剣の調子も確認済みだ。
積年の思いを果たす頃合いだというわけである。
「なるほど、イノシシをやっつけると、トールちゃんのプレートが青色になるんだね」
「ムーも青いのがいい!」
「ああ、もちろん、全員分そろえるぞ」
鎧猪は単独行動のモンスターだが縄張りが隣接していることが多く、一匹探し出せればわりと楽に次を見つけることができる。
また周囲の木々を牙でこする習性があるため、縄張り自体も比較的見分けやすいモンスターだ。
それにムーの<電探>が加われば、さらに容易い話となる。
だが二時間後、ムーが発見したのは、地面から盛り上がるように突き出した奇妙な洞窟の入り口だった。
「トーちゃん、あれなんだ? イノシーの巣か?」
「ううん、ゴブリンがいっぱいいるし、きっとゴブリンの巣だよ、ムーちゃん」
ソラの言葉は遠からず的を射ていた。
穴の周囲には緑の肌をした人型の影、少し大きめのゴブリンが数匹うろついている。
そこにあったのは小鬼の洞窟――時間発生型のダンジョンであった。
地下迷宮とは地面の奥底へ通じる穴であり、強力なモンスターどもの巣窟でもある。
それはすなわち、"昏き大穴"と酷似した存在であるともいえた。
現在までの調査の結果、ダンジョンとは"昏き大穴"の分身に近いものであり、瘴地の拡大を目的とした尖兵や前哨拠点の役割を果たすものだと認識されている。
その証拠として挙げられるのが、ダンジョンの最深部に存在する瘴穴と呼ばれる真っ黒な泉だ。
この穴は全てのダンジョンに存在し、その先は"昏き大穴"に直接つながっているとの説もある。
迷宮の主が守る瘴穴からは濃密な瘴気が吹き出し、ダンジョン内部をモンスターで満たしていく習性を持つ。
そのまま放置されていると、やがてモンスターたちは地上へと溢れでてしまう。
そうなるとモンスターの大群が、人の住む場所へ押し寄せる"大発生"になるというわけだ。
”大発生”はもう一種類あり、こちらは地上のモンスターが駆逐されず増え続けると起こるタイプだ。
狭くなった縄張りの中でさらなる変容を遂げたモンスターたちが、大暴走を引き起こすパターンである。
そしてなにより最悪なのは地下のモンスターが溢れ出したことで、地上のモンスターの縄張りが圧迫され、その結果この二つが同時に起こり得る可能性がある点だ。
「…………まずいな。溢れ出る寸前になってるぞ」
巣穴の周辺にいるゴブリンの亜種、ホブゴブリンの姿を確認したトールは思わず呟いた。
通常であれば地上部付近に、内部のモンスターを見かけることはほぼない。
すでにかなりの数が解き放たれてしまった可能性がある。
「おいしくないのか? トーちゃん」
「ああ、かなりな」
親指を立てて手を振ってみせる子どもに、トールは眉根を寄せて答える。
一定周期で自然発生する流動型ダンジョンは見つけしだい報告がなされ、資格を持つパーティが挑戦する仕組みとなっている。
だが出現場所が定まってないため、まれに見過ごされ発見が遅れることがあった。
今回はそのケースのようだが、どうもそれだけではなさそうだとトールの勘が告げていた。
Gランクしかいないトールのパーティでは、この小鬼の洞窟に挑む権利はない。
入り口付近のホブゴブリンを狩るくらいなら咎められないが、いつ大量のモンスターが溢れ出てくるか分からない場所での狩りは自殺行為である。
そもそもここまで危険な状況では、のん気に狩りなどしてる場合ではない。
青銅級のモンスターといえど、数百匹の集団となれば大きな脅威となりうる。
今すぐトールたちが取れる最善手は、すみやかに近くの伐採場へ知らせに走ることであった。
伐採場が三ヶ所にあるのは、こういった事態のためである。
「よし、急いで戻るぞ。このままだと間違いなく"大発生"になる」
「それは大変だね! うん、いそごう」
「いそごー!」
二人に撤退の指示を出しながら、トールは背負い袋をまさぐり昨日の労働の対価の一つを取り出した。
見た目は手のひらに乗る三角錐の形をしており、上部から点火用の紐が突き出している。
これはモンスターが嫌う匂いを放つ遠退け香と呼ばれる品だ。
もっとも確実な効果の保証もなく、またモンスターごとに嫌う匂いが違うため使用場所によって調合を変える必要がある面倒な品でもある。
今回はゴブリン用なので、その近似種のホブゴブリンにも効き目はあるはずだ。
火をつけて煙が上がるのを確認したトールは、空の細巻き貝をダンジョン入り口の向こう側にある茂みに投げ込んだ。
ホブゴブリンたちの注目が集まった一瞬を利用して、遠退け香を素早くダンジョンへ放り入れる。
多少の時間を稼ぐことに成功したトールたちは、ムーの<電探>でモンスターを避けながら駆け足で目的地を目指し始めた。
同時刻。
林道から少しだけ奥まった森の片隅を歩きながら、一組のパーティが言い争いをしていた。
「だから焦りすぎだって、リッカル。おれたちまで危なかったろ!」
「でも今のは攻めたほうが、断然はやいっての!」
咎められた少年は唇を尖らせて抗議した。
リッカルの少し赤みがかかる髪は、父親が紅尾族だったせいだ。
そのおかげか、彼の技能樹は炎神の加護を受けた赤い幹であった。
「さっきのはたまたま、うまくいっただけだし。いつも、失敗ばっかりなくせによく言うぜ」
「ヒンクはビビりすぎなんだよ。やんねーとわかんねーだろ、なんでも」
臆病だと言い返されたヒンクは、むっつりとした顔で黙り込んだ。
黒髪を伸ばした背の高い少年は、自分に優柔不断な面があることは承知していた。
そのせいで、せっかく風神から授かった弓矢のスキルを使いこなせていないことも。
「いつまでやってんの? 毎回、同じことばっかり」
すねたように声を上げたのは、黒髪の垢抜けない顔の少女だ。
アレシアと呼ばれる少女の首元は、青く透き通る鱗に覆われている。
この四人組の中で、この蒼麟族の少女だけが他の村の出身であった。
「もう、シサンもなにか言ってよ」
パーティの生命線である水使いの少女に声をかけられたシサンは、足を止めて振り向いた。
円盾を肩から下げる黒髪の少年は、困ったような笑みを浮かべる。
「ほっとけばいい。男なら仕方ないって、あれは」
この四人組のリーダーである少年は、他の二人の焦りや苛立ちが痛いほど分かっていた。
以前であれば多少の軽口や憎まれ口はあったものの、激しい言い合いなどはなかったパーティだ。
だが数日前の査定窓口で、冒険初日だという少女にその成果を見せられた時から、雰囲気はまるっきり変わってしまっていた。
幼馴染の三人で故郷の村を離れこの街までたどり着き、運良く魔技使いの少女を加えてパーティを結成したのは半年以上も前のことだ。
盾士と剣士、弓士に水使いと理想のメンバーである。
このままやっていけば必ず高ランクの豊かな生活が待っていると、歯を食いしばって努力してきたはずだった。
だが現実は泥漁りと見下していた中年と、素人同然の女の子に簡単に追い抜かれる程度の頑張りでしかなかった。
態度にこそ表してないが、シサンの中にも割り切れない感情は渦巻いている。
正しいと信じてやってきた行為が、じつは無意味だった可能性を示されて平静になれるはずもない。
そして何よりも少年が恐れていたのは、自分たちにもしかしたら才能がないのではという事実を突きつけられることであった。
どうしていいのか、どうすべきなのか。
答えを出せないリーダーは堂々巡りの思考に囚われ、つい危険な兆候を見過ごしてしまう。
それは何かにこすられて、木の皮がめくれ上がった傷だった。
しかも通常あるべき位置より、頭二つ分ほど高い。
安全確認を怠り大声で騒いでた若者たちは、不意に地面の揺れを感じて声を止めた。
不安げに目を合わせながら、ようやく警戒し始める。
しかし、それはすでに手遅れであった。
「………………あっ」
木陰のすぐ向こうにありえない物を見つけたアレシアが、唖然として小さな声を漏らした。
他のメンバーも視線を移し、同様に声を失う。
四人の目に映っていたのは、その身の丈を遥かに超えた六本足の巨大な猪の姿だった。




