職人の矜持
用件を済ませたトールたちが立ち去った後、打ち合わせのためハイラだけが店に残った。
珍しく店内には客の姿はなく、内弟子の次男も奥へ引っ込んだままである。
作業台で長男への注意を手紙にしたためていたラモウは、熱心に鱗鎧を調べるハイラの背中にポツリと呼びかけた。
「……あんまりふっかけてやるなよ」
その言葉に振り向いた銀細工師は、苦笑を浮かべながら言葉を返す。
「そう人聞きの悪いことをおっしゃらないでください、親方」
「ふん、お前さんでも外聞をはばかるのか」
境界街に流通するおおよその品々は、職人組合によって小売価格の下限が定められている。
これは価格で争って互いに潰し合うのを防ぐための取り決めであるが、その逆の上限については厳しい規則はない。
そのため一部の腕自慢の職人には、会心の作に思い切った値をつけることが許されていた。
しかしながら、その値段が本当に相応しいかどうかは客次第となる。
銀細工師であるハイラの主な顧客たちは、冒険者ではなく裕福な上流階級であった。
はるか瘴地の奥に棲息し、人の力がたやすく及ばぬ強大な存在。
それらは脅威とは無縁の生活を送る人々の関心を、大いに惹きつけるものだ。
より凶悪なモンスターの素材の一部を貴金属と組み合わせた品々は、そんな優雅な生活を営む層に引く手数多となる。
好事家たちが集い、美しく飾り立てられた角や牙は法外な値で取引されることとなった。
そして銀細工師自身もまた、相場を知らぬ相手に容赦などせず存分に強気な値段を押し通した。
結果としてハイラの細工品は名声を博し、高値で取引されることとなった。
そうなると快く思わないのは、同業者たちだ。
特に境界街では、素材の仕入れにおいては冒険者の恩恵が多大となる。
当然、加工された装備品は命をかけて挑む彼らへ優先されるべきだという考えがあった。
だがハイラの商売相手は、本国の神官や貴族など境界街とは無関係な人間ばかりである。
それらが職人仲間の反感を一層買うこととなった。
むろん、他の職人が同様の品を作れば、さほど目立つことはなかったのかもしれない。
しかしながら熟達したハイラの手が生み出す精緻な細工と、それを完全に活かし切る飾りの組み合わせは、一朝一夕で真似できる代物でもなかった。
そういった妬みも含んだせいか、口さがない連中にハイラは業突く張り呼ばわりされてしまう。
本人も表立って否定しなかったため、いつしかそれはハイラの二つ名に定着していた。
悪名を馳せる銀細工師は、名匠と名高いラモウの目を静かに見返す。
そして興味深げに問いかけた。
「ずいぶんとトール様方に肩入れなさっておられるのですね?」
「いや、その、あいつらは、あんまり値段とか分かってねぇからな。まぁ、俺が言うのも、お門違いだってのは重々承知しているんだが」
冒険者も高ランクとなると、並の商会くらいなら軽々と上回るほどの収入となる。
だが意外と金遣いの荒い者は少ない。
理由としては長年、命がけで戦ってきたせいか、こんな生活が長くは続かないと思い知っているからである。
収入が激減する引退後の生活を見据えた場合、そうそう派手に散財するのもためらわれるといった考えに落ち着くせいだ。
さらに派閥の先輩たちや属する神殿の世慣れた世話役たちが、様々な助言をしてくれるというのも大きい。
だがトールたちは、半年という短期間で最上級のAランクへと昇り詰めてしまった。
派閥もまだ小さく、主力の二人は神殿にも所属していない。
まさに手頃なカモといった言葉がピッタリである。
心配げなラモウの顔つきに、ハイラは思わず笑みを浮かべた。
「ご安心してください。今回は適正な価格で卸させていただきますよ。出張費を含めて余分な硬貨一枚足りともいただく気はございません」
「ほう、そりゃまた、どういった風の吹き回しだ?」
「そうですね。ふふ、実は懲りたんですよ」
「懲りた?」
「今までたっぷりと稼がせていただきましたが、去年、何もかも失いましてね」
ボッサリアの陥落を思い出したラモウは、納得したように首を縦に振った。
「ところが街が復興したと聞いたので戻ってみれば、終わったと思った店がなぜかすっかり元通りになってましてね。ええ、本当にびっくりしましたよ。それで尋ねて回ってみれば、トール様方の仕業という噂じゃありませんか。あまりにあり得ないことで仰天しましたが、私がもっと驚いたのは、それが周りの噂でしかなかったことです。本人が言いふらして誇ったりしてないという点が、本当に気に入ったんですよ」
一息置いた初老の銀細工師は、しみじみとした声で続けた。
「だから、こういった人のための細工を作ってみたいと、心底思えてきましてね。ええ、それだけの話ですよ」
「そうか」
「親方は客にこだわるというお噂通りですね。しかしこの鱗鎧は見事な一品だ。細工師の目からしても惚れ惚れしますよ」
「ああ、それだが俺は客を選んでるつもりはねえんだよ。ただあいつらばっかり注文してくるのは腹が立つだろ。だから俺も一つだけ注文を出すようにしてるんだよ。それが悪い噂になっちまったようだな」
「どのようなことを?」
「別に大したことじゃねえよ。ちゃんと使ってるか見せに来いってだけだ。だがどいつもこいつも、すぐに忘れやがる」
少しばかり遠い目をした後、ラモウは呟くように吐き出す。
「……もしくは二度と見せに戻ってこれないかだ」
そして顔を上げると、一転して愉快げに言葉をつないだ。
「だがトールの野郎だけは、きっちり二十五年間、俺の注文を守ってきやがった。そんな客の品には全力で応えるのが筋ってもんだろ」
そのまましばらく革職人と銀細工師は視線を合わせる。
そして息を合わせたように、互いの唇の端を持ち上げた。




