冒険者局の一コマ
休息を終えたトールたちはチルたちに別れを告げ、その足で地上へと向かった。
四日ぶりの太陽は西に大きく傾いていたが、なんとか日暮れ前に岸辺の砦へたどり着く。
宿泊中だったソルルガムたちから夕食をご馳走になり、ベッドでゆったりと横になる。
雷哮団の新たな伝統となった蛇料理は、驚くほど美味しくなっていた。
副隊長を警戒していたムーも、一口食べたあとは猛烈におかわりを要求するほどであった。
翌日、迎えの飛竜艇に乗り込み、街の近くにある発着場まで一息に運んでもらう。
地面に降り立つと職員が待ち構えているので、今回の戦利品である金剛原石を手渡す。
「いつも通り、お預かりでよろしいでしょうか? トール様」
「ああ、頼むよ」
「かしこまりました」
金剛級ともなるとわざわざ買い取り所へ出向かなくても、毎回、査定の職員が受け取りに来てくれるのだ。
さらに品札の発行などもなく、すべて冒険者局の金庫で管理してくれるようになる。
「お待ちしておりました。さあ、お乗りください」
境界街まで徒歩十分足らずであるが、送迎用の馬車に有無を言わさず乗せられてしまう。
破れ風の荒野などを行き来する馬車が不足している現状があるので結構だと断ったことがあるが、トール様方専用の馬車ですのでと押し切られてしまった経緯があった。
たしかに言われてみれば黒塗りの高級な造りで、その上、車体の下には大きな反発盤がありほとんど揺れない仕様となっている。
おまけに焼き菓子などの軽食も用意されており、甘い匂いに釣られたムーが一目散に乗り込んでしまうため、今ではトールたちも諦めて乗るようになっていた。
「今日は先に冒険者局へ寄ってもらえると助かるんだが」
「かしこまりました」
待たされることなく正門から内街を抜け、中門も素通りして冒険者局へ横付けしてもらう。
ざわめきに包まれていたロビーは、トールたちが足を踏み入れた瞬間、たちまち息を潜めたような静けさが生じた。
と言っても、ほんの少しの間だけであるが。
「ムーちゃん、お絵かき板見に行こっか?」
「おー、きょうもムーのりきさくをひろうするかなー」
少女と子どもの無邪気な会話に、ロビーはすぐさまいつもの活気を取り戻した。
そんな周囲の変化を気に留める様子もなく、手をつないだ二人は正面の壁へと駆け寄る。
ロビーの壁一面を占める連絡用の黒板だが、その下にいつの間にか落書き専用の板が取り付けられていた。
ここへ来るたびにムーとソラが何かしら描いていたのだが、連絡版は週末毎にすべて消されてしまう。
二人の絵を見逃した冒険者から苦情があり、さらに自分たちも描きたいという要望もあって、新たな板が設置されたという流れであった。
「うわー、今日もすごいねー」
「むむ、これはやるなー。でも、ムーもまけないぞ!」
意外と絵心のある冒険者が多いのか、迫真のモンスターの姿や少しばかり美化された自画像など、なかなか見応えのある落書きがずらりと並んでいる。
ひとしきり鑑賞して感心した後、ソラとムーは空いていた場所に肩を寄せ合って熱心に落書きを始めた。
残されたトールとユーリルだが、銀髪の美女はすでに複数の同性に囲まれていた。
ユーリルには顔見知りの受付嬢マリカを筆頭に、大勢のファンが存在するのだ。
「こんにちは、ユーリル様! 今日も一段とお綺麗ですね」
「ごきげんいかがですか?」
「ああ、銀の御髪が透き通るよう……。ちょっとだけ、お触りしてもいいですか?」
「ダメよ! 櫛係は順番でしょ」
「ユーリル様、こちらの紅はどうですか? ズマで流行っている品ですよ」
「あら、いい色ですね」
穏やかな笑みを浮かべた長耳族の女性は、そのままうら若き女性たちに囲まれて長椅子へと運ばれてしまった。
やれやれと顎を掻いたトールは、独りで窓口へと向かう。
覗き込んだ先に座っていたのは、これも顔見知りの受付嬢であった。
「こんにちは、いらっしゃいませ! 冒険者新規登録のお申し込みですか?」
「いや、登録したのは二十五年も前なんだが」
「あ、トールさんじゃないですか。また登録し直すんですか?」
「いや、登録から一度離れてくれ」
「ミカキ君、またトラブルかい?」
「あ、シエッカ副部長。トールさんが登録したくないと駄々をこねてしまって」
「これは失礼しました、トール様」
すぐに事情を察したのか、職員の男性は慇懃な態度で頭を下げてくる。
そして顔を上げると、申し訳ないといった口振りで会話を続けてきた。
「今、使いのものを呼びに行かせました。すぐに戻ると思いますので」
「うん?」
「先日のご依頼の件ですが、どうやら行き違いになってしまったようです」
依頼というのは、トールが同じく受付嬢のエンナに、金剛蟻の宝玉の加工について相談した件である。
ムーたちの装身具を揃える予定なのだが、腕のいい銀細工師の心当たりが隣街のボッサリアにしかない。
そこで移動に飛竜を使わせてもらえないかと打診したところ、なぜかその職人をこちらへ呼ぼうという話になってしまったのだ。
さらに頼んだのは五日ほど前だが、すでにここに到着しており、エンナとともにトールの下宿先で待機していたとのことであった。
「それは悪いことをしたな」
「本当に申し訳ありません。すぐに戻ってきますので、今しばらくお時間をいただけますか?」
「ああ、今日は別件で寄ったので、そっちをすませてもらっていいか?」
「はい、なんなりとおっしゃってください」
「実は局長に話があるんだが、なかなか会えなくてな。今日もこっちには……来てないようだな」
これまでならチョイ屋に行けば高確率で出会うことができたのだが、サッコウが隣街の街長に就任してからはぱったりと足が遠のいてしまっているらしい。
内街の街庁舎へ行けば面会自体は可能だろうが、踏み込んだ話もあるため、できれば人目の少ない場所でというのがトールの考えであった。
「こっそり会いたいんだが、どこか局長が寄りそうな場所は知らないか?」
「残念ですが、私もそう詳しくはないので……。そうですね、少々お待ち願えますか」
そう言いながら一礼したシエッカは、踵を返して早足で歩き出す。
そして一番奥の机まで行くと、そこで煙管を吹かしていた男性に顔を寄せて耳打ちした。
赤毛の男はその言葉にギョッとした顔になるが、渋々と立ち上がって近寄ってくる。
「お、お元気ですかな? トール殿」
「こんにちは、ニックスさん。お久しぶりですね」
そこに居たのは元買い取り所の主任であり、現副局長を務めるニックスという男だった。
トールとはほとんど面識はないのだが、一度だけ買取の査定の時に絡まれたことがあり、向こうはその件を相当気にしているようだ。
「わ、わたしに用件があると聞いたが、その、金剛級の方が尋ねるようなことは何もないと思うがね。ああ、いや、聞かれるというのがイヤというわけではなくて」
「局長に用事があるんですが、行きつけの店とかはご存じないですかね?」
「へっ、局長?」
予想外の問いかけに、青ざめていた男は甲高い声を発する。
そして自分の声に、慌てた顔で周りを見回した。
「あ、いや、今のは気にしないでくれ。なんでもない。オホンッ。うむ、局長か。何度かお誘いはしたのだが、あまり酒は好きではないとおっしゃられてしまってな」
「いえ、ダダン局長、お酒大好きですよ。わたしたちもよく誘われますし」
口を挟んできたのは、登録作業がなくなって手持ち無沙汰だったミカキ嬢だ。
「えっ?」
「ミ、ミカキ君。その件は黙っておくよう言っただろう」
慌ててシエッカが口止めに入るが、一歩遅かったようだ。
思わぬ事実の発覚にニックスは代わる代わる部下たちの顔を見た後、無言ですがるような眼をトールへ向けてきた。
「すみません、まずいことを聞いたようで……」
「局長が最近、よく通ってる店なら私が存じておりますよ、トールさん」
なんとも言えない空気を破るように話しかけてきたのは、頼もしい聞き慣れた声であった。