金剛の番人
通路を塞ぐほどの巨躯は、またたく間に距離を詰めてくる。
折れ曲がった四本の足が前後に素早く動くのだが、モンスターの上半身は水平を保ったままだ。
同時に尖った足の先端が石畳に当たって、硬い音を連続で響かせる。
それは並の冒険者なら、思わず背を向けて逃げ出してしまいそうな不気味で威圧的な動きであった。
が、トールたちからすれば、何度も見てきたような場面である。
「仇と咲き乱れよ――<霜華陣>」
長い耳で新たなモンスターの登場を察していたユーリルは、すでに足止めの準備を終えていた。
床に仕掛けられた氷の罠へ、四本の足を操る巨体は躊躇なく踏み込む。
次の瞬間、生み出された白い氷の柱は、モンスターの体を軽々と持ち上げた。
そのまま金属製の巨体は、一気に天井まで運ばれる。
鋼を打ち合わせたような激しい音が、またも通路に響き渡った。
さらに続いてメキメキとひしゃげるような音が、天井と氷に挟まれたモンスターの体から発せられる。
膨張した氷の柱は金属製の巨体を巻き込んだまま、容赦なくその力を解放していく。
直線状の足が抗うようにいっせいに蠢くが、次々と膨れ上がる氷にあっさりと呑み込まれてしまう。
そのまま氷の柱は、モンスターを天井に縫い付けた形でようやく止まった。
「うわわ、すごいねー……」
「狭い場所だと、こんな風になるのか……」
止めきれない勢いで迫ってくるはずだった巨体は、氷の柱によって完全に身動きが取れなくなっていた。
固い天井に押し付けられた上半身は無残に折れ曲がり、下半身は完全に氷の中へ埋もれてしまっている。
もっともまだ動けるようで、二本の腕だけが何かを探すようにゆっくりと蠢いていたが。
つい先ほどまでの手強そうな雰囲気が嘘のように消え去ったモンスターの哀れな姿に、トールとソラは白い息を吐きながら率直な感想を漏らした。
限定された空間という利点もあったが、いつもよりも威力が凄まじいのは元より冷え込んでいた空気のせいもあるようだ。
目を丸くして氷の柱を見上げていたムーは、ニッコリと笑ったあと無言でユーリルの足にしがみついた。
そのまま嬉しそうに鼻先をグリグリと押し付ける。
銀髪の美女の白い手が子どもの柔らかな頬に添えられ、優しく包み込んだ。
「ふふ、くすぐったいですよ、ムムさん。どうか、しましたか?」
「ユーばあちゃんがたのしいと、ムーもたのしいからなー」
「あら、伝わってしまいましたか。ええ、ちょっとスッキリしましたからね」
その言葉に目を合わせたトールとソラは、何も言わず互いに頷きあった。
「それはそうと、まだ終わってはないようですよ」
ユーリルの言葉通り、まだ残っているものがあった。
最初に通路の天井にへばりついていたモンスターだ。
亀の甲羅そっくりのそれは、いつの間にか耳障りな音を出すのを止めていた。
虫そっくりの四本の足を器用に前後に動かしたかと思うと、天井に張り付いたまま呼び寄せた仲間へと近づく。
巨体の太い手が伸び、小さなモンスターを鷲掴みにした。
そして胴体上部の頭があるべきところに、そのまま押し付ける。
とたんに紫色の太い電流が、その全身を覆うように走った。
ゆっくりと巨躯を揺らすモンスター。
二体がくっついた様は、人の形を模したものが失った頭部をようやく取り戻したようにも見えた。
その片腕が不意に持ち上がり、トールたちへ向かって突き出される。
瞬間、まばゆく発光した太い光の束が、その手のひらから発せられた。
雷でできた蛇はうねりながら、トールたちへと迫る。
――<反転>。
尋常ならざる集中力で、その一刻を待ち構えていた少女の魔力がほとばしった。
閃光のような一瞬を経て、放たれた稲妻は向きを変えていた。
もと来た場所へと、音もなく戻っていく。
次の刹那、モンスターの全身に再び電気の茨が走った。
それに合わせるように、魔力で生み出された氷も消え去っていく。
支えを失い床に落ちた巨躯は、三度目の硬質な音を通路へ響かせた。
しばらく剣を構えたまま、トールは様子を窺う。
だが金属製の胴体が歪に変形したモンスターは、今度こそ仮初めの生命を失ったようだ。
地に伏したまま全く動く気配がない。
モンスターに近づいたトールは、その大きな体を改めて観察した。
体高は成人した男性の五割増しといったところだろうか。
馬のように見えた下半身だが、上半身とはちょうど真ん中の部分で繋がっている。
どちらかと言えば跨っている人間の位置に近いようだ。
おそらく前後左右に、即座に動けるような重心なのだろう。
長い足は直線的で、関節らしき部分で鋭角に折れ曲がっている。
逆に胴体や腕は丸みを帯びており、滑らかに動かせるようだ。
ただしその体表は、黒い光沢を帯びた金属でできていた。
真銀製の剣で軽く叩いてみたが傷やへこみは、ほとんど生じていない。
黒鋼に似ているが、手応えからしてそれ以上の硬さが感じられた。
「これがもしかして、鋼人形かな?」
「ああ、おそらくそうだろうな」
第二階層の看守は人ではなかった。
この冷気に満ちた監獄を守っていたのは、虚ろな魂を持つ存在だった。
偽魂系と呼ばれるこれらのモンスターは、系統的には地精樹の魔技である<地精喚>で呼び出される土人形と性質が酷似している。
ただ与えられた命令をこなすだけなので複雑な動きはしないが、その肉体は強靭で生半可な攻撃は通用しない。
正面から対峙すると、非常に厄介な相手であった。
だが倒せた場合は、その見返りは十分に大きい。
トールはひしゃげた鋼人形の体へ、持ち替えた黒い剣鉈を突き刺した。
そのまま強引に左右へ斬り開いていく。
腐屍龍の牙から削り出された剣なら、なんとか刃が通るようだ。
胴体部分を掻き分けたトールは、それらしい部分を見つけて手を伸ばした。
「お、これか」
小指の先ほどの小さな欠片。
それが鋼人形の核であり、金剛鉄の原料となる金剛原石であった。
別名、金剛片とも呼ばれている。
「うわ、きれいだねー!」
「ムーにも! ムーにもみせて!」
透明に透き通る欠片をつまみ上げると、傍らに来ていた少女と子どもが口々に声を上げた。
手のひらに乗せてもらったソラは、目を輝かせながら転がして感触を確かめる。
「へー、ちっちゃいのにずっしりしてるね」
「あら、思ったよりもずいぶんと綺麗ですね」
髪を掻き上げながら覗き込んだユーリルが、興味深そうな声を上げた。
ソラの腕を掴んで踵を持ち上げたムーも、紫の瞳をキラキラさせて眺めている。
この石は加工のやり方で、金剛石と金剛鉄のどちらにも仕上げることができるらしい。
そのせいか宝石好きな女性陣には、なかなか好評なようだ。
だがトールの注目点は、ソラの言葉が示した部分であった。
「本当に小さいな。剣を一本仕立てるのに、これいくつ要るんだ?」
思わずぼやいたトールの言葉に、ユーリルは苦笑しながら倒れ伏す番人の頭部を指差した。
「そちらにも核があるかもしれまんよ」
頷いたトールは、鋼人形の頭部である甲羅状の部分へ黒い刃を突き立てた。
カチリと小さい音を手掛かりに、透明な破片を見つけ出す。
「ありました。これも小粒ですね」
「でしたら、天井にくっついていたのも鋼人形ということになりますね」
「ええ、こっちのは聞いてませんでしたね」
金剛片を有する鋼人形の存在自体は、ストラッチアたちから聞き及んでいた。
が、小型と大型の二種類に分かれているという話は出ていない。
「あいつらめ。驚かせるために、あえて黙っていたんでしょうね」
「ふふ、そうかもしれませんね」
「では、次から鋼人形はユーリルさんとソラにお任せしますか」
「はーい、がんばるよ! うん?」
差し出されたトールの手に、ソラは疑問符を浮かべながら自らの手を重ねる。
しばし手を握り合って見つめ合ったあと、トールは淡々と理由を述べた。
「いや、原石をしまっておこうと思ってな」
「あれ! 返してない?」
「ああ、もらってないぞ」
「えっ?」
慌てた顔で体のあちこちを探るソラ。
次第に焦った表情となるが、不意にポンと手を打って視線を巡らす。
その先に居たのは、不自然に横を向く子どもであった、
「ムーちゃんでしょ?」
「トーちゃん、きょうのおやつなんだ?」
「こら! ごまかさない」
「むやみにひとをうたがっちゃダメって、がっこーでならったぞ」
「ムーちゃんしかいないでしょ、犯人。もう、早く返して」
「ムーのはんこうというしょーこはない!」
半開きの眼差しでムーを眺めていたソラだが、そっと手を伸ばし子どもの頭を撫でる。
見つめ合ったまま、和やかに微笑み合う二人。
そのまま容赦なく弱点のつむじを押されたムーは、愕然とした顔で抵抗の力を失った。
「ほら、あったー」
もう片方の手で子どもの首に下がる革袋がまさぐられ、動かぬ証拠が白日の下にさらされる。
「あー、かえしてー!」
「はい、トールちゃんどうぞ」
「お、おう」
「ムーの! ムーの!」
涙目になったムーは、トールにしがみついて手を伸ばした。
だが返してもらえないと理解すると、腕を振り回しながら地面を何度も踏みつける。
可愛く駄々をこねる子どもの姿に、トールは困った顔で顎の下を掻いた。
「確か金剛蟻の核がまだあったな。よし、ムー、いい子にできるか?」
「ムーはもう、これいじょうないほどいい子でしょ!」
「お、おう。そうか」
「ムーもキレイな石ほしー! トーちゃんだけずるい!」
「わかった、わかった。戻ったら何か作ってやるから、それまで我慢しろ」
「あら、ありがとうございます。トールさん」
「いいの!? トールちゃん」
「え」
なぜか、そういうことになってしまった。




