第二階層の新たな出会い
「霧り、塞げ――<凍晶>」
凛とした声とともに、白い霧が通路を覆い尽くすように広がった。
たちまち空気が凍りつき、あらゆる物から熱が奪われていく。
だが冷え切った霧の壁を突き抜けて、死霊どもは平然と姿を現した。
ボロボロの布切れをかぶった骸たちは、生への渇望を満たすため、骨のみとなった腕をまっすぐトールへ伸ばしてくる。
囚人であるがゆえ、死霊どもの手には武器はない。
しかしその失われた肉体こそが、彼らの唯一の武器であり最大の脅威であった。
半透明のその体に触れると、生気がごっそりと持っていかれてしまうのだ。
緩急をつけた動きで、トールの体がモンスターの手をかいくぐる。
が、不意にその腕が急激に伸びたかと思うと、死角からトールの背に迫った。
しかし死者の手が触れたかと思えた瞬間、いきなりトールの体から紫の電流が生じた。
<電棘>が生み出した茨状の電気は、瞬時に骨の腕に絡みつく。
大きく体を仰け反らせた死霊は、麻痺したかのようにその場で身動ぎを止めた。
すかさず銀の刃が宙を走り、バラバラに切り刻まれたモンスターはあっさりと姿を消した。
残った死霊どもも懸命に手を伸ばすが、ことごとく紫の茨に阻まれた挙げ句、真銀の刃の前に消滅していく。
戦闘は五分とかからず終了した。
「……やはり氷系魔技は、効き目がありませんね」
「ええ、相性が悪いようですね」
「こっちもダメだねー。さっぱり効かないよ、トールちゃん」
元より発する熱を一切持たない死霊どもには、魔技で生み出された冷気だろうと関係ないようだ。
そのうえ、眠りも必要としないため、干渉系の<冷睡>も効果は期待できない。
さらに不定形な体は<固定>や<反転>は無意味で、<再現>も意味をなさないときた。
ソラが使える魔技では、<消去>だけが今のところ通用していた。
「死霊どもは、俺とムーに任せてください」
現状、ムーの<電棘>や<電投矢>で守りを固め、トールが真銀の剣で相手すれば苦戦するような場面はなさそうである。
むろん、<電滞陣>は使用禁止中だ。
これまでパーティの切り札の役目を果たしてきたユーリルは、トールの言葉に少しだけ気落ちしたような表情を浮かべた。
黙って大人たちのやり取りを見上げていたムーは、さみしげな銀髪の女性へ近づくとその腰にぴったりと体をくっつける。
元気づけるような子どもの行為に、ユーリルは穏やかな笑みを浮かべて金の巻き毛を優しく撫でた。
視線を上げたムーは、そっとユーリルを手招きして顔を寄せる。
「どうかしましたか? ムムさん」
「…………あのね、おしっこ」
どうやら凍えた空気は、狙った以外の箇所に影響を及ぼしてしまったようだ。
ムーの白鼬の着ぐるみは、手伝ってもらわないとまだ一人で脱げないのである。
何もない牢屋の一つへ連れていかれるムーを見送ると、今度はソラがギュッとトールに体を寄せてきた。
「どうした?」
「ううん、寒いなーっと思って。どう、あったかい?」
「ああ、温かいな。地図は順調か?」
「うん、バッチリだよ」
ソラの首にかかる画板を覗き込むトール。
そこには丁寧な線で、これまで辿ってきた道筋が描かれていた。
一見、整理された区画のように思える監獄の内部だが、通路ごとに微妙な差異が生じていたり、行き止まりが多くあったりと、迷いやすい構造となっていた。
おそらく脱走がしにくいように、あえて入り組んだ造りにしているのだろう。
そのせいで、探索はかなり難航していたが。
現在のトールたちの目的は、地下十五階までたどり着き、次の階層へ進むための鍵を手に入れることだ。
だがそのための下り階段が、まず見つからないという有り様である。
なかなか進みが悪いのは、面倒な牢獄の造りだけが理由ではない。
スッキリした顔で牢屋から出てきたムーに、トールはいつもの頼みごとをしてみた。
「どうだ、ムー。居るか?」
「らい!」
元気よく走り寄ってきた子どもは、トールに飛びつきながら紫の蛇を宙へと放つ。
頭の上の輪っかをギュルギュル明滅させた子どもは、しばし考え込む顔になったあと不機嫌そうに唇を尖らせた。
「だめむぅ。やっぱり、なんかおじゃましてくるやつがいるぞ! トーちゃん」
「そうか。じゃあこのまま進むか」
ここに来てさらに役に立ちまくりのムーだが、これまで素晴らしい効果を発揮してきた<電探>だけが、なぜか不発となっていた。
そのためモンスターの群れを避けることができず、続けざまの戦闘で時間がかかっているというわけである。
予想ではボッサリアの蟻の巣穴に居た石英蟻のような、探知を妨害する存在が居るのだろう。
その後、五回ほど脱走した囚人どもを斬り刻みながら進んでいると、不意にソラが通路の先を指差した。
「トールちゃん、あれなんだろ?」
「どれだ?」
「あそこ。ほら、天井になにかついてるよ」
言われてみれば出っ張りのような物が、通路の天井にへばりついている。
大きさは手のひらに余るほどで、亀の甲羅っぽいが、見た目は金属でできているように見える。
とたんにソラのマントの内側に潜んでいたムーが、顔だけ出して怒りの声を上げた。
「あいつだぞ、トーちゃん! ムーのおじゃましてたの!」
「となると、モンスターなのか?」
「モンスターだとすれば、少し変わった見た目ですね。屍骨系の類とは思えませんし、もしかしたら探知を妨害する仕組みかもしれませんね」
「らいらい!」
トールとユーリルが正体について結論を出す前に、ムーが勝手に確認を行なってしまう。
鬱憤がかなり溜まっていたようだ。
より長くなった<電投矢>は、子どもの指先からまっすぐに前方の天井めがけて飛んでいく。
そして突起物にぶつかると、紫の電流をその表面に派手に這わせた。
しばし何も起こらないまま、数秒が過ぎ――。
トールたちが見守る中、不意にその突起物から四本の細い足らしきものがニュッと出てくる。
虫のように折れ曲がる足で、亀の甲羅はそのまま天井に逆さまにぶら下がってみせた。
そして次の瞬間、けたたましい音を唐突に発した。
目と口をまんまるに開けた子どもは、毛を逆立ててトールの背中に飛び込む。
ソラも杖を掲げて、困ったようにうるさく音を発するモンスターを見上げた。
「――何か来ます」
通路に響き渡る音以外を聞き取ったのか、ユーリルが短い警告を発した。
同時に奥の角から、巨大な影が現れる。
その背丈は、天井に頭が届きそうなほどだ。
もっとも頭部に当たる部分は見当たらず、肩の上には少しだけ弧を描く膨らみがあるだけだが。
二本の腕は太く長い。
そして否応なく目を引くのは、その下半身だ。
こちらも虫の如く折れ曲がった足らしき物が生えていた。
前と後ろにそれぞれ二本ずつだ。
まるで馬の体の上に、人がくっついているような外見である。
だがその全身を覆っていたのは、金属の冷たい輝きだった。
次の瞬間、四本足の巨体は、凄まじい勢いで通路を突進してきた。




