コボルト襲来
地を駆け抜けてきた獣たちは、またたく間に丘の上へと集った。
その外見だが、灰色の毛並みも合わせて顔や下半身は犬そっくりである。
しかし革鎧に覆われた上半身は、胸板が広く腕も長いため猿のような印象を与えてくる。
高みからトールを見下ろした獣たちは、次々と上半身を持ち上げた。
移動時は四足歩行だが、戦闘は直立体勢となる犬と猿が合わさったような亜人。
それがこの丘一帯に棲息するコボルトどもである。
身長は小鬼と呼ばれるゴブリンとは違い、シサンたちと同等の高さを誇る。
武器は持っていないが、鋭い牙や力任せに振り回す長い両腕は中々の脅威とのことだ。
通常は三匹ほどで群れているが、耳と鼻がいいため、異変があるとすぐに集まる習性を持っている。
すでに十匹近い群れとなったモンスターどもは、いっせいに低い唸り声を漏らした。
その様子に、やらかした張本人のムーは、やれやれといった口調で隣の少年に言ってのける。
「もう、しかたないねー、ヒンクは」
「えっ、俺か? いや、俺はちゃんと倒したぞ」
「おもしろそうなことしたら、ちいさい子もやりたくなるからね。だから、おとなはもっときをつけないとダメでしょ」
「ええー、無茶いうなって」
「……ふう。よし、いつもので行こう。トールさん、後ろはお任せしてもいいですか?」
「ああ、分かった」
ムーとヒンクのやり取りで、シサンは即座に平常心を取り戻したようだ。
視線をいったん丘の上のコボルトどもから外し、周囲を油断なく見回して素早く指示を出してみせる。
その様子に唇の端を小さく持ち上げたトールは、さらに後方からも迫りくる数匹の獣たちへ剣を抜いた。
「いくぞ!」
掛け声とともに盾を持ち上げたシサンは、いつもの<石身>を発動させる。
先ほどの牙ミミズで、闘気はすでに溜まっていたようだ。
その身を石のごとく硬くして敵愾心を煽る武技に、たちまち犬どもは吠え立てながら丘を駆け下りてきた。
盾でさばけるのは、せいぜい三体ほど。
その三倍近い数を前にしても、少年の顔に怯む様子はない。
押し寄せたコボルトの群れは、一瞬で盾士を呑み込もうとして――。
突き出された盾にぶち当たった先頭の亜人が、口を大きく開けたまま軽々と宙に舞った。
同時に振り回された鈎棍棒で、二匹目が地面へ引きずり倒される。
足元にしがみついたコボルトもいたが、<石身>の効果もあってシサンは少しも揺るぎはしない。
やすやすと蹴り飛ばし、容赦なく踏みつける。
さらに盾を前後に動かすことで空間を作り、そこへ巧みに棍棒を振り回していく。
逆にコボルトどもはシサン一人に対し、正面から大勢で押し掛けてしまったため、数の有利さを全く活かしきれていなかった。
数匹がそのことに気づき、盾のない無防備な背後へ回り込もうとする。
すかさず弓弦が鳴り響いた。
立て続けに足を矢で撃ち抜かれたモンスターどもは、唸り声を上げて標的を弓士の少年へと変える。
だが動き出そうとした矢先、真横から旋風のような影が横切った。
双剣を手にしたリッカルだ。
ヒンクに集中していた二匹が、喉元から鮮血を噴き出して膝をつく。
その隙に弓を構えた少年は、リッカルとは逆の方向へその身を動かす。
再び弓弦が鳴り響き、赤毛の剣士を追いかけようとしたコボルトの背中に矢が刺さった。
怒りの表情で振り向いたモンスターだが、死角から振り抜かれたシサンの鈎棍棒でその眼球がえぐられる。
そこへ戻ってきたリッカルの二つの刃が、その首元に苛烈な一撃を加えた。
特性で強靭となった肉体を<石身>でさらに高め、大量のモンスターを余裕で引きつけるシサン。
そこから一定の距離を取って、さばききれないモンスターを的確に仕留めるヒンク。
増強した筋力で動き回り、思わぬ位置からモンスターを掻き乱してみせるリッカル。
少年たちが形成する三角の陣形は、見事にコボルトどもを翻弄していた。
そこへ満を持して、真っ赤な炎がほとばしった。
――<熱線>。
エックリアの放つ高熱の魔技は、一匹のコボルトを捉えると、その頭部を一瞬で焼き上げる。
<火弾>よりも有効距離は短いが、コントロールが利きやすい<熱線>は乱戦こそ真価を発揮する。
鼻や口から煙を吐きながら、モンスターは黒焦げとなった頭部を地面へ打ち付けた。
そんな仲間の姿に、コボルトどもは怒りで牙を剥く。
だがそこへ、闘気を溜め直したシサンが再び<石身>を発動させた。
モンスターの敵意は、一瞬で盾を持つ少年へと移る。
あとは先ほどの繰り返しである。
数を順調に減らしていく若手組の戦いぶりに、トールは静かに頷いた。
「よし、俺たちもやるか。ほら、こっち来い、ムー」
「おこんない?」
「次は気をつけろよ。あと<電投矢>はまだ弱いから、無闇に投げるな」
「そっかー。むやみへは、なげちゃダメかー。うん、わかった!」
「ムーちゃん、無闇ってのは、えっと、一杯って意味だよ」
得意顔でフンフンと頷いてみせる子どもの頭を、トールは優しく撫でる。
「ほれ、ピカピカのやつに変えてみろ」
「あれか? ムー、あれだいすきだぞ」
トールに<電投矢>の枝スキルを短くしてもらった子どもは、その隣にある枝瘤へ水瓶のスキルポイントを注ぎ込んだ。
現在、二本の下枝スキルを完枝状態にさせたムーには、新たに二つの中枝スキルが発生していた。
一つ目は先ほどの紫の小さい雷を飛ばす<電投矢>。
レベル1では、ビリッと痺れる程度らしい。
そして二つ目がムーの<感覚共有>をもっとも活かせる魔技、<迅雷速>だ。
「らいらいらい!」
一つ余計に増えたムーの掛け声と同時に、その足元が青白い輝きを放ち始める。
まばゆい光はすぐに消えたが、その革靴は淡い光をまとったままだ。
トントンと足踏みをして調子を確かめたトールは、剣をかざしながら少女へ声をかける。
「ソラも機会があればどんどん使っていけよ」
「う、うん。がんばってみるけど……。あんまり期待しないでね」
「ユーリルさん、右任せます」
「はい、任されました」
いつもの微笑を浮かべた銀髪の美女は、するりと杖を持ち上げた。
「疾く、睡れ――<冷睡>」
勢い込んで駆け寄ってきた五匹のコボルトは、またたく間に足を止めその場で頭を垂れてしまう。
鮮やかな手並みに安心感を覚えながら、トールは左手から向かってくる三匹を見据えた。
こちらとの距離は、すでに二十歩を切っている。
荒々しい息遣いが、ハッキリと耳に届くほどだ。
しかしトールは、慌てる素振りもなく軽く地面を蹴る。
次の瞬間、その体はコボルトどもの向こう側に立っていた。
一拍遅れて、先頭の一体の首がゴロリと地面へ落ちる。
体はその事実をすぐに認識できなかったのか、数歩ほど進んだ後、地面へようやく倒れ込んだ。
そこで残った仲間が異常に気付き、クルリと身体をひるがえす。
またもその背後にあったのは、剣を振るい終えたトールの姿であった。
いかなる仕組みかは不明であるが、雷を脚部に付加することで使用者の高速移動を可能とする魔技、<迅雷速>。
その恩恵が、このありえない速さを誇るトールの動きだった。
同じく、首をいつの間にか落とされ息絶える二匹目。
しかし三匹目はさすがに用心したのか、とっさに地面を蹴ってトールが動く前に距離を詰める。
それに対しゆっくりと剣を定めるトール。
誰がどう見ても間に合わない速さであるが、剣を構えるその顔はいつもどおりである。
迫る獣に的を絞りながら、静かにトールは魔力を解き放った。
――<加速>。
持ち上がっていたはずの刃は、気がつくと地面すれすれに留まっていた。
そしてなぜかモンスターの顔面は、真っ二つに断ち切られている。
血しぶきを上げながら、三匹目は声も上げずに地に伏した。
剣を振り下ろしたならば、いくら速くとも、その動きはわずかなりとも目に映るはずである。
しかし今の一振りは、放った本人でさえ認識できなかった。
それほどの一撃であった。
対象の物体を、十一秒後へ先送りする。
これが<復元>と<遡行>を極めたことにより、トールが得た新たな魔技<加速>の正体である。
再び剣を握り直しながら、トールは深々と息を吐いた。