久しぶりでもない再会
トールたちが近づくと門扉がひとりで開き、左右からそれぞれ誰かの顔がひょいと覗いた。
二人とも髪を白い頭巾で覆い、同じく白い前掛けをつけている。
年端もいかない少女たちは互いの目を合わせて頷くと、扉の後ろから飛び出してきた。
そして丁寧に頭を下げつつ、声を揃えて挨拶した。
「皆さま、おかえりなさいませ」
「ただいま」
「久しぶりー、二人とも元気してた?」
「アイサツだな! おはよう!」
「ムムさん、もう夜も更けているので、こんばんはですよ」
出迎えてくれたのは、家政婦の女の子たちだ。
歳はソラより、少しばかり若い。
挨拶を返された少女たちは、はにかみながら懸命にコクコクと頷いた。
その背後の玄関の扉がまたも勝手に開き、今度は初老の男性が顔を出す。
こざっぱりとした黒い服に身を包んだその人物は、優雅に一礼してトールたちを家の中へ招き入れた。
「お待ちしておりました、ご主人様。じきに夕食ができあがりますので、それまでゆるりとお部屋でおくつろぎください」
「それは助かるな。ありがとう、エリッキさん」
ここには荷物だけ置いて、晩飯はどこかへ食べに行こうと考えていたトールは、その準備の良さに驚く。
それから、ふと思いついて尋ねた。
「もしかして、俺たちがここに来るのを?」
「はい、昼前にダダンをお立ちになったと、冒険者局の方より言付けがありまして」
どうやらシエッカ課長が気を利かせて、早馬か飛鳥便辺りで連絡しておいてくれたらしい。
想像以上の気の回しぶりである。
気遣いといえば、家令のエリッキや家事手伝いの少女たちもそうだ。
彼や彼女らは、このボッサリアの別邸を管理、維持するために、冒険者局がわざわざ雇った人間である。
他にもエリッキの妻で家政婦長を務めるミリッラと、下働きの少年もいるのだが、全員分の給与などにはトールは一切関わっていない。
そのためご主人などと呼ばれるとむず痒くて仕方がないのだが、エリッキ曰くこの家の主なのは間違いないとのことだ。
そういった事情から、トールも使用人ではあるが年上の二人はさん付けで呼んでいる。
ただエリッキ夫妻は以前はここの内街の大きな屋敷で働いていたのだが、大蟻どもによって主人ごと仕事場がなくなってしまったらしい。
少女たちも同じく逃げ延びた子どもたちで、実は二人ともトールが傷を治した経緯があったりもする。
現状、ボッサリアはまだ治安が安定しておらず、そういった他人を雇えるような人間が少ない。
なので住み込みができるこの別宅は、なかなかの職場だということだ。
しかし主がいない仕事場は虚しいものである。
そのため、この家にはトールの許可を得た間借り人が暮らしていた。
「トールさん、お疲れ様です!」
居間に入ったとたん、声を張り上げて距離を詰めてきたのは、若手組のリーダーであるシサンだ。
嬉しさを隠しきれない顔で、トールを見上げてくる。
「ソラちゃん、ユーリルさん!」
「こんばんは、お久しぶりですね」
その隣では若手組の回復役アレシアと、炎使いのエックリアが女性だけで賑やかに挨拶を交わす。
「よう、ムー、ほら手だしてみろ」
「こうか?」
若手組の遊撃手リッカルの言葉に、ムーは素直に手を差し出す。
子どもの手にポンと置かれたのは、ツヤツヤと黒光りする物体であった。
その正体が分かった瞬間、ムーの紫の瞳が大きく見開く。
「かぶと虫だ!」
「あんまり、ツヨくにぎんなよ」
「ほぉぉぉ!」
手のひらにしがみつく虫の足の感触に、驚いて奇声を発するムー。
その頭の上に、今度は虫かごが押し付けるように置かれる。
「あんまりさわるとヨワるから、ちゃんとこれに入れてやれよ」
「ほー!」
「エサはリンゴのヘタとかでいいからな」
「はー!」
「お日さまにあててやるのもいいが、あてすぎるのもチューイな」
その辺りでムーも、リッカルの言葉の意味を理解したらしい。
キラキラした目のまま、赤毛の少年を見上げる。
「こいつ、ムーにくれるのか!」
「ああ、かわいがってやれよ」
「いいのか!?」
「あんまりよくねーけど、おまえもそろそろメンドーくらいみれるだろうしな」
しぶしぶといった少年の態度に、隣でそのやり取りを見ていたガルウドが面白そうに呟く。
「ほう、リッカルも落ち込んでる妹分に気をつかえるようなったのか。なかなか成長してるじゃねえか」
「御者、お疲れ様でした、ガルウドさん。いや、あれ増えすぎたんで、少し減らせってシサンに怒られたんですよ」
「おいおい、そんなオチかよ」
若手組の攻撃の要であるヒンクにしれっと内情を暴露されたが、ムーにとってはどうでもいい話のようだ。
二人ですっかり盛り上がってしまっている。
「よし! こいつのなまえは、くろいからくろすけだ!」
「おお、ヤベえな。センスありすぎだぜ、ムー!」
「かぶと虫って全部、黒いだろ」
「うるせぇよ、ヒンク。くろすけ、だいじにしてもらえよ」
「まかせろ!」
はしゃぐ子どもたちだが、そこへ前掛け姿の年配の女性が姿を現す。
「お待たせしました。ご夕食ができあがりましたよ。どうぞ、食堂へ」
「おー! ムー、今日の晩メシたのしみにしとけよ!」
「ごちそーか!?」
「食べすぎて、はらこわすなよ」
「まかせろ! ムーのいぶくろはムテキだからなー」
すでに食堂の大きなテーブルには、湯気の立つ豆のスープとさっと炙ったパンが並べられていた。
茹でて潰した丸芋に、青豆が交じったサラダも山盛りにされている。
ただムーの大好物である肉が見当たらない。
露骨に顔をしかめる子どもだが、不意に奥の扉が開き、少女たちが二人がかりで大きな皿を運んでくる。
その上に載っていたのは、丸焼きにされた大きな肉の塊だった。
よだれを垂れ流しながら、子どもは口をまん丸に開ける。
「お、きたきた! これ、オレがしとめたんだぜ!」
「こいつは美味そうだな。なんの肉なんだ?」
「怒り穴熊ってモンスターです。爪さえ気をつければ、そう怖くはない相手です」
トールの質問に、向かい側に座っていたシサンがすかさず返事をする。
現在、若手組はボッサリアの近辺にある犬鬼の丘で狩りを行っていた。
メンバーの一人であるエックリアがボッサリアの出身であり、その生まれ育った街が人手不足で危険だという事情を汲んで活動の場をこっちへ移したのだ。
それと五人とも、蟻の巣穴で様々な特性を身に着けてしまっている。
あまり人が多い狩場だと、下手に目立ってしまうという懸念もあった。
「狩りのほうは順調なのか?」
「はい、無理はせず、今は数をこなすようにしています」
一足飛びに強い特性や魔技や武技を手に入れたとしても、体や心がそれに慣れて使いこなせるようになるには時間がかかる。
特性や技任せで強引に進むこともできるが、それだけではやがて行き詰まってしまうだろう。
素晴らしい武具を手に入れたとしても、腕前が伴っていなければただの宝の持ち腐れに過ぎない。
まずは自分たちの状態をよく把握することから始めろというトールの助言を、シサンたちはきちんと実践しているようであった。
「ただ、そろそろ力試しということで、ダンジョンの制覇に志願しまして」
「なるほど、それでか」
シサンら若手組は同じ派閥であるため、トールに手助けの話がきたのであろう。
すべてにおいて手抜かりのないサッコウのやり方に、トールは思わず顎の下を掻いた。
「明日からよろしくお願いします、トールさん」
「こちらこそ、案内を頼むぞ」
「はい!」
夕食の後は、この家ならではの楽しみがある。
大きな邸宅だけあって、自前の風呂が備え付けられているのだ。
しかも裏庭に向けて開放されている、半露天風呂である。
女性陣がお先ということで、さっそくソラはぐったりとしたムーを抱きかかえて脱衣所へ向かった。
「おじゃましまーす。あ、エックリアちゃん」
「さ、先に入ってますね」
フサフサの赤い尾を持ち上げて、そそくさとエックリアは浴場へ向かってしまう。
その褐色の綺麗な背中に少しだけ見とれたあと、ソラは食べすぎて動けないムーの服を脱がす。
自分も手早く素っ裸になると、子どもを背後から持ち上げて、赤毛の少女の後に続いた。
脱衣所から一歩踏み出すと、そこはもう家の外であった。
手前の部分は迫り出した屋根に覆われており、洗い場となっている。
奥の部分に広々とした湯船があり、そこは完全に開放された空間であった。
もちろん周りは高い塀に囲まれ、外壁もあるので覗かれる心配もない。
湯船の中央には岩が置かれており、背もたれに使えるようだ。
さらに岩の上には大きめの傘が立ててあり、ぶら下げられた魔石灯が淡い光を投げかけていた。
「アレシアちゃん、もう入ってたんだ」
湯船の中央岩の前には、先客の姿があった。
蒼鱗族の少女が湯に浸かったまま、とろけそうな顔で大胆に裸身を浮かべている。
おかげであまり豊かではない胸元までも、露わになっていた。
「ア、アレシアはお風呂大好きなんです」
「そうなんだー。もしかして水使いだから?」
「はい、う、鱗が乾くのが嫌なんだそうです」
「ほー、いろいろあるんだね」
漆喰が丁寧に塗られ心地よい足触りの石床を踏みしめながら、ソラはエックリアの隣に腰掛けた。
水桶からぬるま湯をすくい、無抵抗のムーの頭へ躊躇なくぶちまける。
そして石鹸を手にとって泡立てると、子供の全身をくまなく揉み洗い始めた。
「くふふ、くふふふ」
「ここかなー。こっちはどう?」
「くふふふふぅ」
「ぜんぜん、嫌がらないんですね」
気持ちよさそうに声を上げるムーの姿に、エックリアが驚いたように感想を述べる。
「ムーちゃん、キレイキレイ大好きだからね」
「こ、紅尾族の子は、尻尾が濡れるの嫌がるので……」
「エックリアちゃんは尻尾、大丈夫?」
「はい、私はもう平気ですよ。大人ですから」
「じゃあ、教えてくれたお礼に洗ってあげるね」
泡だらけの手で、隣人の赤い尻尾を無造作に掴むソラ。
とたんに赤毛の少女は、大きく背を反らして豊かな胸を上下に揺らした。
「あん! そ……、あ、ダメ……、うっ」
「ソラちゃん、尻尾敏感だから、あんまり強くしちゃダメだよー」
「へー。ありがとう、アレシアちゃん」
湯船の中から発せられたアドバイスに頷いたソラは、優しく尻尾を擦り始める。
「いっ……、うう、そこ、あっ! く、もう……」
誤解されそうな声を漏らすエックリアの反応が面白いのか、ソラは付け根から尖端まで勢いよく手を往復させる。
「あ、ダメ! つ、強いです。も、もっとゆっくりで」
しかしその声は夢中になったソラの耳には届かないようだ。
さらに力を加えようとしたその時――。
「強くしちゃダメって言ったのに、もう」
「ひゃん!」
いつの間にか浴槽から上がっていたアレシアが、手を泡立たせて背後からソラの胸を揉みしだいた。
「お返しに私も洗ってあげるよ」
「もう、くすぐったいよ、アレシアちゃん」
「ほら、エックリアも加勢して」
「こ、こうですか」
少女たちは泡まみれになって、互いを触れ合って笑い声を弾かせる。
段々と大きくなっていくソラたちの声を遮るように、新しい声が響いた。
「あまりお風呂場で、はしゃいではいけませんよ」
振り返った女の子たちは、その声の主、ユーリルのタオルが巻かれた姿に動きを止める。
そして生地越しでもハッキリと突き出す膨らみに、大きく目を見開いた。
「す、すごい……」
ムーだけが一人我関せずとばかりに、湯船にぷかぷかと浮かんでいた。
明日からは新しい狩場である。




