思わぬ依頼
「で、最後のこれが、あんたらの一番読みたい物だろうな。ほれ、冒険者の探索と戦闘の記録だ」
オレンが机の引き出しの鍵を開けて取り出したのは、黄ばんだ紙の束だった。
今からおよそ三十年以上前、大瘴穴が生み出した迷宮"悍ましき蛇穴"を制覇した英傑がいた。
その人物の名を取った街が、ここダダンの境界街である。
この街を拠点に、冒険者たちはもっと奥地へと探索を始める。
モンスターと戦いながら森を切り拓いて道を作り、血の如く赤く濁った流れの岸辺に停留施設を設ける。
さらに砂まみれとなって荒野を渡り、獣鬼たちと激しく刃を交わした。
順調に次の大瘴穴を目指して進む冒険者たちだが、それも荒野を抜けた先までであった。
そこで待ち受けていたのは、果てしなく広がる黒い沼と、より凶悪さを増したモンスターどもだ。
それでも何とか泥をかき分け進む彼らの前に立ち塞がったのは、その体を蝕む白い霧だった。
さらに濃霧の向こうにそそり立つ巨大なモンスターの姿に、冒険者たちは声を失い立ちすくむ。
そしてその老婆そっくりの影像に、思わず口をついて出た言葉が一つだけあった。
「…………魔女?」
――妖かしの沼の魔女の呼称が生まれた瞬間である。
もっともこの恐ろしい怪物の実態を明かすことはできないため、その言葉だけが境界街に広まってしまったが。
呼び名がなんであれ、魔女が強大な障害物であることは間違いない。
意を決した当時の英傑候補たちが、勢い込んでモンスターへと挑んだ。
だが戻ってきたのは、たった一人であった。
そこから沼地の魔女の噂は実態とはかけ離れ、人をさらう存在として拡散していくこととなる。
「そんな経緯があったのか」
「だから、具体的な魔女らしき逸話が存在しなかったのですね」
その後、対策を練りつつ先達の冒険者たちが挑んだ戦闘回数は三度。
勝敗の結果は、魔女がいまだに健在の時点で言うまでもない。
「そうなった点のいくつかだが、挙げるべきはまず畏怖の特性だな」
「いふ?」
「強い恐怖を抱かせるという意味だ。記録によると魔女を近くで直視するだけで、手足の力が抜け震えが止まらなくなったとあるな」
思い当たる節があったトールとソラは、無言で本棚を見上げる子どもへ振り返る。
いつもであればとっくによじ登って怒られている頃合いだが、今日はあまりにも静かすぎた。
おそらく幼いうえに、人一倍に敏感なせいで影響が大きかったのだろう。
手を差し出すと子どもは黙ったまま近寄ってきて、ギュッと握り返してきた。
そのまま抱き上げてやると、トールの首元に顔を埋めてくる。
「次は腐蝕霧だな。高い濃度で浴びると、全身が腐り落ちたとの記述がある。そのため闇技ではないかと推論されているようだ」
「闇技!?」
闇技とは、邪神の洗礼を受けた亜人たちが使う技である。
その点からも、ただの精霊系でないのは明らかだ。
「……厄介というレベルを通り越しているな」
「他にも大きな杖を振り回したり、巨人や邪霊を呼び寄せたなども書かれているな。しかも、それだけじゃない」
「まだ、あるのか?」
「いや、ない。正確には目撃例がない、だがな」
「どういう意味ですか?」
首をかしげるユーリルに、少しだけ眉を持ち上げながらオレンは種明かしをする。
「三回の戦闘全てだが、狂乱相が確認されていない」
思わぬ一言に、トールも眉を持ち上げた。
強い個体であれば、ある程度の損傷を受けると、形態を変え凶暴性を増大させる狂乱相へと変化するはずだ。
それを見せていないということは――。
「底なしの体力か、もしくは嫌ってほど再生力があるかだな」
「泥毒の巨人の特性を踏まえるに、後者だとは思うがね」
「その巨人でさえ、そう簡単に倒せないとなると、これはもうどうしようもないな」
巨人を倒さねば、金剛級に上がることができない。
かといって、何も考えずに倒してしまうと魔女の報復が来る。
完全な手詰まり状態であった。
黙り込んでしまったトールへ、資料室の主は言葉を続ける。
「分かってくれたようで何よりだ。若者の無謀をいさめるのがここの役目でな。悪く思わんでくれ」
「いや、いろいろと助かったよ。ありがとう」
礼を述べたトールたちは、本棚だらけの部屋を後にする。
扉の外に出たとたん、待ち構えていたシエッカが寄ってきた。
「あまり良いとはいえないご様子ですね、トール様」
「察しが早くて助かる。今は打つ手なしというのが本音だ」
「では、耳寄りなお話を一ついかがでしょうか?」
タイミングを狙い澄ましたかのような申し出に、トールの目元がわずかに動く。
それに気づいたシエッカは、慌てた声で疑念を打ち消した。
「いえいえ、誤解なさらずに。これはトール様が資料室から出ておいでの際に、持ちかけるように言われておりましたので」
さらに怪しくなった言葉に、トールは鋭く問いかける。
「誰に言われたんだ?」
「それはもちろん、トール様もよくご存知の私の元上司です」
となると、心当たりは一人だけである。
頼りにはなるが会うとなると腰が重くなる、とある人物を思い浮かべながら、トールは仕方なしに耳を傾けることにした。
「どうやらお聞きいただけるようですね。では――」
数分後、話を聞き終えたトールたちは、冒険者局を出て外門へと向かった。
門の脇に停めてある馬車に近づくと、まだトールの首にしがみついていたムーが小さく尋ねてきた。
「なー、トーちゃん」
「どうした?」
「また、あのどろだらけのとこいくの?」
「ふむ、どうかしたか?」
「えっと、そうだったら、ムーはちょっとおやすみしたいかも」
上目遣いで見つめてくる子どもに、トールはしっかりと頷いた。
その金色の巻き毛を優しく撫でながら答える。
「すまなかったな、ムー。次はちゃんと、トーちゃんが気づいてやるからな。あと安心しろ。沼地は当分休みだ」
その言葉通り、馬たちが走り出した先は、瘴地へ向かう東ではなく北の方角であった。




