再会と勧誘
嵐峰同盟の野営地は、沼の中にポツリと建てられた高床式の小屋であった。
一階部分は太い埋れ木の柱だけで構成されており、二階部分へは長い幅広のはしごで直に上がれるようになっている。
他の野営地と違い、しっかりとした屋根や壁があるのは初めてである。
だがその分、材木が足らなかったのか、広さは他の半分以下だ。
もっともギリギリ詰めれば、十人ほどなら寝泊まりできそうではあるが。
さほど広くない小屋の中は、カーテンで区切られており、奥には二段になったベッドがいくつも並んでいる。
手前には椅子と大きなテーブルがあり、壁には荷を置く棚がある。
トールたちの荷物も、そこに置かれてあった。
それと、棚と反対側にあったのが、人ひとり立つだけで手狭になる調理場だ。
大きな水瓶の横に台が設えてあり、発熱盤やまな板が置かれている。
頭上に張られた紐にはソーセージや革袋が吊られ、鍋や木杓子が壁に等間隔でぶら下がっている。
手入れの行き届いた小さな台所に立っていたのは、顔馴染みの女性だった。
鮮やかに目を引く翠色の羽が、頭の両側からふわりと突き出している。
身長はソラよりも小柄だが、胸回りや腰回りは軽く追い抜いているようだ。
広い額と目尻の下がった大きめの瞳のせいで幼く見えるが、れっきとした成人女性である。
戻ってきたチルたちへ手を止めずに、妹であるチタは間延びした口調で呼びかけた。
「ほらぁ~、着替えてきて。ごはんもうできるよ~」
その言葉に泥銀鉱の詰まった革袋を床に置いた盾士たちは、いっせいに兜を脱いだ。
互いに鎧を脱がせ合いながら、カーテンの奥の寝室へ足早に向かう。
壁に弓と矢筒を引っ掛けたチルは椅子に腰掛けると、トールたちにも座るように促した。
しかし腹を空かせた好奇心旺盛な二人が、そうそう落ち着くはずもない。
匂いにつられたソラとムーは、さっそく調理中のチタの背中にまとわりつく。
「うわー、いい匂い。何作ってるんですか? チタさん」
「ソラねーちゃん、しりあいか?」
「ほら、おっきな蟻の巣でいっしょに冒険したお姉さんだよ」
「おー、おはねのねーちゃんか! きょうはりゅーにのってないのか?」
「竜なら沼の外でお留守番だよ~」
おっとりした喋り方とは裏腹に、チタは手早く発熱盤で煮込んでいた鍋の野菜を皿に移していく。
そして湯気を上げる丸芋や玉ねぎ、青豆や黒キノコたちへ、もう一つの鍋の中身を木杓子ですくってたっぷりと回しかけた。
たちまち溢れ出した芳しい香りに、見物中の二人は目を輝かせると互いの手をギュッと握りあった。
黄味がかったとろりとしたソースの正体を、ソラが興奮気味に尋ねる。
「これってチーズですか!?」
「そだよ~」
「もう、できあがりか? 食べていいのか!?」
「まだだよ~」
チタの手が伸び、切り分けてあった燻製肉と黒パンの薄切りが皿の端に添えられる。
軽く頷いた翠羽族の女性は、仕上がった料理をソラたちへ手渡した。
「はい、できたよ~。運んでくれる?」
「はーい」
「いただきます」
「ムーちゃん、みんな揃ってからだよ」
「まだかー。もうすわってるばあいじゃないでしょ、トーちゃん!」
子どもの叱責に顔を見合わせたチルとトールは、苦笑いを浮かべて立ち上がると、料理を運ぶのを手伝う。
全員分の皿が行き渡り、葡萄酒が注がれたカップも揃う。
ソラとムーだけ、絞ったみかんの果汁が入った水だ。
中央の皿には、尖りキャベツを千切りして塩漬けにしたものがたっぷりと盛られている。
「では、風の恵みと地の支えに感謝を」
祈りが済むと食事の始まりだ。
まずはトロトロに溶けたチーズに、酸味の強い黒パンを浸してゆっくりと噛み締める。
癖のある風味が鳴りを潜め、互いの旨味だけを最大限に引き立て合う組み合わせに、トールは何も言わずに頷いた。
次に芋や燻製肉も、チーズと一緒に口に運ぶ。
食べ慣れたはずの食材が見せる新たな顔に、またも無意識に顔が緩んでしまう。
葡萄酒で口の中をさっぱりさせたトールは、満足の吐息を漏らした。
ふと顔を上げると、じっと様子を窺っていたらしいチタと目が合う。
翠の羽をふわりと揺らした乙女は、ニッコリと微笑んでみせた。
「どうだった、グランの料理は?」
腹がくちくなったとこを見計らって、チルが上機嫌に話しかけてきた。
グランとは、央国の南西に位置する茶角族の国の名前だ。
山岳や峡谷が多く、牧羊が盛んでチーズやソーセージの名産地でもある。
「ああ、美味かったよ。ご馳走様」
「そうか。それはよかった。俺は美味いものは、どこの生まれだろうが、迷わず受け入れる口でな」
そう言いながらチルの目が、トールを通り過ぎユーリルへと向かう。
「これまで氷系魔技といえば、少し涼しくなる程度の認識だったが、今日ですっかりその考えも失せたな」
「それは、ありがとうございます」
葡萄酒のカップを優雅に口に運んでいた灰耳族の女性は、伏せていた灰色の眼差しを持ち上げた。
視線を合わせたチルは少しだけたじろいだ顔になったが、そのまま話しかける。
「正直、これほどの使い手が、今まで名を知られてないのは不思議に思ってな。うちの神殿の伝手で、少し探ってはみたが……」
一息置いて、チルは言葉を続ける。
「上がってきたのは、ずいぶんと昔に活躍した冒険者だけでな。凍白のユーラルリールという二つ名を持つ氷使いだが、知っているか?」
「それは祖母の名前ですね」
表情を一切変えることなく、ユーリルは己の過去を誤魔化してみせた。
だが初耳であった呼び名にトールたちが眉を持ち上げたことに気付いたのか、長い耳先だけがじんわりと赤く染まりだす。
「やはり身内の者か。ふむ、素晴らしい血統だな。なんでも杖を振りかざすだけで、全てを白く凍らせるほどの腕前との言い伝えが残っていてな。羽を膨らませた話かとも思ったが、ユーリル殿の戦いぶりを見るに、あながち嘘ではなかったようだな」
「いえ、少し大袈裟に伝わっているようですね。そこまでではありませんでしたよ」
「おお、実際にご覧になったのか?」
「あ、いえ、祖母がそう言ってましたから」
珍しく言葉を詰まらせたユーリルを、しばし眺めたチルは再び口を開いた。
「素晴らしい美貌と優れた技倆を持ちながら、その謙虚な佇まい。ぜひとも嵐峰同盟に加わってほしい逸材だな。いや、本音で言うと俺の妻に欲しいところだ」
「あら、いきなりですね」
「これは急ぎすぎたな。まあ、俺たちのことは、おいおい知ってくれればいい。だが、結論は早めに願いたいところだ」
「申し出はたいへん光栄ですが、婚姻は謹んでお断りさせていただきますね」
きっぱりと言い切ったユーリルは、安心させるようにトールを見つめる。
チルも答えは分かっていたのか、気落ちする素振りもなく、今度はトールへ話題を向ける。
「やはり、振られてしまったか。では、逆に泥漁りの英雄殿に嫁はどうだ? ここになかなかのお勧めがいるんだが」
隣に座るチタを視線で指し示しながら、兄であるチルは自信ありげに頷いてみせる。
見た目も愛らしく性格も良好。
さらに双樹持ちという類まれな才能を有する冒険者でもある。
引く手数多の人気は間違いないだろう。
しかし断わりの声は、すぐさま発せられた。
「ダメですよー。トールちゃんにはもう許嫁がいますから」
「そうだったんですか? トールさん」
「いや、初耳ですね……」
「おはねのねーちゃん、トーちゃんといっしょにくるのか? ムーはかんげいするぞ! あと、ちーずのおかわりください!」
「ムーちゃん、裏切るの!」
「ムーはいつだって、おいしーもののみかただぞ!」
口を挟む間もなく会話を続けるトールたちに、翠羽族の兄妹は顔を見合わせると楽しそうに唇の端を持ち上げた。




