泥質鉱床
自信たっぷりに言ってのけた嵐峰同盟の盟主だが、前に進み出たのは同士である茶角族の三人であった。
全身を鎧で覆った男たちは、横並びで大きな長盾を構え、しっかりとした壁をまたたく間に作り上げる。
軽く弓弦を引いて放たれたチルの矢は、放物線を描いて泥の柱、妖泥の邪霊に突き刺さった。
たちまち、その体から分身の柱が生まれ、泥を波立たせながら滑走する。
まともにぶつかると、大の男でも弾き飛ばされそうな泥柱を、がっつりと正面で受け止める盾士たち。
衝突の瞬間、踵を支える泥地が激しく盛り上がった。
だが盾を合わせた三人は体勢を崩すことなく、邪霊の攻撃をがっつり受けきってみせる。
勢いを潰された泥柱は途中でへし折れ、派手に飛び散った泥が白銀の鎧に降りかかった。
しかし、もろに溶解毒を頭から浴びたはずであるが、泥は白煙を生じることもなく盾士たちの足元へ滑り落ちた。
もう一度、矢が飛び、お返しとばかりに邪霊が泥柱を撃ち出す。
そして盾にぶつかっては、沼へ返還されていく。
見ごたえのある攻防であったが、それも最初の一分間ほどだけであった。
「ねー、トールちゃん。あれ、いつ終わるのかな?」
「ふむ、もう少しかかりそうだな」
泥柱を見事に受けとめる盾士たちだが、その実、最初の立ち位置から一歩も前に進んでなかった。
淡々と放たれるチルの矢も、精霊核に狙って絞りこんでいるような雰囲気はまったくなく、しかもその数は次第に減りつつある。
たまに生気につられるのか、割り込んでくる惑わし火が、撃ち落とされるくらいしか変化がない。
ただチルの矢に当たった光球が、破裂することなく消えていくのは不思議であったが。
「こらー、さぼるなー、がんばれー」
すっかり飽きたムーは、トールの腕にぶら下がりながら、おざなりな応援をしていた。
下が泥なので、落ちても痛くないと分かっているのだろう。
泥だらけの足をトールの二の腕に絡めて逆さまになったりと、やりたい放題に遊んでいる。
その様子に、ユーリルが唇を綻ばせた。
「ふふ、なんだか懐かしい気持ちになりますね、ムムさんのその応援も」
「あー、なんか見覚えがあるとおもったら、血流しの川の橋づくり!」
以前にトールたちは、血流しの川の流れを横断する石山作りを手伝ったことがあった。
その時に三兄弟が手本に見せてくれた戦いぶりが、今のチルたちとそっくりなことにソラも気づいたようだ。
「ああ、おそらく似たような目的だろうな」
トールの指摘は正しかったようで、五分ほど続いた戦闘は、チルたちが後退することであっさりと終わった。
どうやら妖泥の邪霊は、立っている位置からはほとんど動かないようだ。
やすやすと泥柱の射程外まで逃れた男たちは、トールたちのところまで戻ってくると、足を緩めることなく歩き続ける。
「待たせたな、こっちだ。ついてきてくれ」
チルと盾士三人の先導で、一行は少し離れた沼地へと向かった。
かなりの重装備のはずだが、トールたちと変わらない足取りで、鎧姿の男たちは悪路を平然と進んでいく。
そして五分とかからずたどり着いた場所は、見慣れてきた沼の風景とはずいぶんと変わっていた。
泥に覆われているところは同じであるが、地面が皿状に大きくくぼんでいる。
目測ではあるが、窪地の直径は五十歩以上はありそうだった。
皿の縁に当たる部分は土が盛り上がっており、柔らかな泥水が流れ込むのを防いでいる。
男たちは土手を乗り越えると、窪地の底まで行き、再び盾を構え直した。
――<岩杭陣>!
溜め込んだ闘気がほとばしり、粘土状の泥が雄々しく持ち上がった。
「あー、やっぱり、おんなじだ!」
「モリモリってなったぞ、トーちゃん! あっ、ムー、いいことひらめいた!」
「ふふ、どうだ? 見事な掘りっぷりだろう」
「それで、あれは何を集めているんだ?」
誇らしげに腕を組むチルへ、窪地の縁から様子を眺めていたトールが尋ねる。
盾士たちは盛り上がった泥に手を突っ込むと、何やら懸命に選り分け出していた。
大仰に頷いた彼らの盟主は、すでに準備していたのか、小さな革袋をひっくり返し中身を手のひらに盛り上げてみせる。
目を惹き寄せる銀色の斑が交じる石粒の山に、ソラは大きな瞳を輝かせた。
「うわ、キレイー。こんなの採れるんだ」
「これは真銀の原鉱ですね」
「お、よく知ってるな。魔技の腕だけじゃなく、見識もあるとはな。これは泥銀鉱と呼ばれている物だ」
正体を簡単に言い当てたユーリルに、チルは嬉しそうに笑ってみせた。
真銀というのは、現在のトールたちの階級の名称となった金属であり、通常の銀とは違う性質を有した鉱物である。
高い靭性と普通の銀にはない硬度があり、切れ味がよく取り回しのいい武具や、衝撃に強く壊れにくい防具を作ることができる。
さらに鎧を着込んだ盾士たちが、泥地でも余裕で動き回れるほどに軽いときた。
それだけではなく、真銀にはもう一つ大きな特徴があった。
瘴気を寄せ付け難い効果を宿しているのだ。
ふと思いついたトールは、先ほどの戦闘を思い出しながら確認する。
「もしかして、惑わし火を散らしたのは、真銀製の矢尻か?」
「ああ、そのとおりだ、泥漁りの英雄殿。真銀に触れると、目眩ましを放つ間もなく消滅するというわけだ」
「そいつは便利だな」
「うむ。この真銀、非常に使い勝手はいいのだが、問題もあってな」
「おーい、チル殿、何とかしてくれー」
そこで話に割り込むように響いてきたのは、窪地の底で掘削作業をしていた盾士の助けを求める声であった。
目を向けると茶角族の青年たちは、困ったように手を振っている。
その彼らの前に座り込んでいたのは、ソリにまたがった紫眼族の少女だ。
「はやく、モリモリして! ムー、ばーんてとんで、びゅーってすべるから」
「いや、危ないからね」
「怪我しちゃうぞ、嬢ちゃん」
どうやら盛り上がった泥山を見て、新しい遊びを思いついたようだ。
恐れ知らずな子どもの姿に動きを止めたチルだが、採掘を妨害する理由を理解したのか大声で笑い出した。
「なんとも大物ばかりだな。いやはや、気に入ったぞ、英雄殿」
「こらー、ムーちゃん! もう」
慌てて傾斜を駆け下りるソラに、ムーはソリを叩いて急かす。
「ほら、ソラねーちゃんがくるまえに、はやくはやく!」
角を見合わせた盾士たちは、頷くと息を合わせたように盾を持ち上げた。
――<岩杭陣>、<岩杭陣>、<岩杭陣>!
またたく間に子どもとソリをのせた泥山が、空高く盛り上がった。
泥の塊に押され勢いよく空中に持ち上げられたムーだが、ソリを巧みに動かして山の側面に着地する。
そのまま、風を切って泥山を滑り下りてみせる。
そして泥を跳ね飛ばしながら、今度は窪地の斜面を駆け登った。
さらに途中で体重をかけつつ風を吹かすことで、ソリを右へ傾ける。
無事に窪地の斜面の周回軌道にのったソリの上から、はしゃいだ子どもの声が響き渡った。
だがぐるりと回った先に待ち構えていたのは、腰に手を当てて仁王立ちをした少女であった。
慌ててソリの行く先を変えようとしたムーだが、一歩早くソラの手が子どもの首根を掴む。
「お仕事のジャマしちゃダメでしょ!」
「むむぅー! いいとこだったのにー」
「で、問題というのは?」
「えっ、ああ……」
何事もなかったかのように話しかけてきたトールに、チルは驚いたように頭部の羽を揺らした。
窪地へ下りながら、手の中の泥銀鉱の粒を持ち上げてみせる。
「問題は一日で採れるのが、だいたいこれの三倍ほどってとこだ」
「それは、また少ないな」
「石とりかー、なら、ムーにまかせろ!」
またもいつの間にかトールの腕にしがみついていた子どもが、楽しそうな声を上げる。
ソラにおはな丸を取り上げられたムーは、転げるように斜面を下り、泥の山に手を突っ込んだ。
「とれたぞ、トーちゃん!」
引き抜かれた子どもの手には、大きめの石が握られていた。
覗き込んだ茶角族の男が、びっくりした声を放つ。
「おお、これは大物だぞ。すごいな、嬢ちゃん」
「もっととれるぞー、ほら」
「なんだと!?」
次々と石を掘り当てるムーを、仰天したように男たちが取り囲む。
「ど、どうなってんだ?」
「たまたま……、じゃないみたいだな」
「すごいな、おい」
唖然としてムーを見つめる盾士たちの背後で、チルが感心した声を漏らした。
「地晶石を簡単に見つけ出したのはマグレかと思ったが、素晴らしい才を持っているようだな……」
その日は夕方まで、モンスターの沼地と泥銀鉱が埋まる窪地を往復し、ムーは存分にソリ滑りと石取りを楽しめたようだ。
結果、泥銀鉱は大袋五個という大収穫であった。
最大限にお腹を空かせた一行が野営地に戻ると、美味しそうな匂いが出迎えてくれる。
それと意外な人物も、トールたちを歓迎してくれた。
「みんなお久しぶりぃ~、元気だった~?」
エプロン姿で夕食の支度をしていたのは、飛竜を巧みに操る騎乗師のチタであった。




