三つ目の野営地の洗礼
「泥漁りの英雄の力、しかと見せてもらうぞ!」
その言葉に呼応するように、そそり立つ黒い泥の柱が大きく震えた。
間を置かずに柱の一部が本体から分かれ、沼の上を滑るように迫ってくる。
すかさずトールは前に踏み込み、その動きに刃を合わせた。
滑る足元を物ともせず、すれ違いざま黒い柱を斜め下から斬り上げる。
手応えをほとんど残さず、泥柱はあっさりと両断された。
斬られた部分が泥の中に倒れ込み、黒い飛沫をまき散らす。
飛んできた泥が体に当たると、鎧のあちこちから細い白煙が上がった。
ほとんどの物を溶かす毒が含まれているのだ。
一瞬で元に戻した体を前に動かし、トールはモンスターとの距離を詰める。
再び柱が震え、その分身が何本も生み出される。
沼地を滑走する黒い柱たちは、次々とトールに襲いかかった。
数が増えたせいで、先ほどのように、脇へすり抜けるわけにもいかない。
だがそのうちの何本かは、いきなり逆方向に曲がったり根本から折れてしまう。
さらに冷え冷えとした声が響き渡った。
「氷、滑せ――<氷床>」
たちまち本体の柱を含む周辺の泥が、柔らかさを急速に失いながら凍り固まる。
分身の泥柱の隙間を抜けたトールが、駆け寄り剣を振りかざす。
いつもの必勝パターンだ。
「ふっ、そう甘くはないぞ」
再び声が響くと同時に、トールと泥柱の間に何かが急速に割り込んでくる。
それは球形をした青白く淡い光を放つ存在だった。
つい今しがたまで、柱からやや離れた場所に浮かんでいた光の球だ。
とっさに剣が軌道を変え、青白い玉を打ち抜く。
刃が光の集まりを切り裂いたとたん、まばゆい輝きが生じた。
閃光がトールたちの目を貫く。
「わっ!」
「めっ、めー!」
眩しさに耐えきれず、ソラとユーリルは両眼を手で覆った。
ムーも奇声を発しながら、ソリから落ちて泥の中にすっ転ぶ。
トールの視界も白一色と化したが、すかさず十秒前の状態に<復元>し直す。
そのまま空間に残った履歴をたどり、放たれた光の結果だけを消しさった。
一秒足らずでパーティの現状を回復してみせたトールは、まだ根本が凍りついて動けない柱へ距離を詰める。
その体が残像を生み出しながら、刃を縦横無尽に振るう。
十数回もの斬撃を一瞬で放った剣は、吸い込まれるように鞘に収まった。
一拍おいて、カチンと硬い何かを断ち切った音が響く。
斬り刻まれた泥の柱が崩れ落ちる中、すでにトールの体は後方へと退いていた。
数歩離れた場所で、深々と息を吐き出す。
鮮やかにモンスターを屠ってみせたその姿に、嵐峰同盟の盟主を務める男は感じ入ったように呟いた。
「……まさか初見で、妖泥の邪霊をこうも簡単に仕留めるとはな。しかも、惑わし火の目眩ましまでもあっさりいなすとは」
「あー、まぶしかった」
ケロリした顔をしているムーだが、その体中はいまだに泥まみれである。
<遡行>で直せるのは強い光で視力が失われた部分であって、そのせいで転んだ結果から生じたことをなくすには、もう一度<遡行>するしかない。
使い勝手が格段に良くなった<遡行>は、このところ使用頻度が急速に増えていた。
使用可能回数を温存するため、トールはじっと見つめてくるムーから無言で視線を外した。
「もう、まぶしいのは、さきにいっとかないとダメでしょ!」
綺麗にしてもらえないと分かったのか、ムーは隣で見物していたチルに怒りの矛先を変えた。
「いや、それを先に言ってしまうと力試しにはならんだろ」
「むぅむー!」
翠羽族の男の返答に頬を膨らませた子どもは、全身をぶるぶると雨に濡れた犬のように震わせた。
たちまち泥の雫が四方に飛び散る。
「こら、ムーちゃん!」
「ふっ、この程度!」
もろに黒い泥を浴びてしまい、お気に入りのローブに染みができたソラが怒りの声を上げる。
チルのほうは軽やかに身をひるがえして、器用に泥を全て避けていた。
「やるなー、おっちゃん」
「来い、小娘! 格の違いを教えてやろう」
足元の泥をすくって宙に放ったムーに、素早く回り込んだチルがトンッと足踏みをする。
つま先から生じた泥の雫は、子どもの顔へ容赦なく襲いかかった。
しかしいつの間にか青い雷の針を全身から生やしていたムーは、難なくその攻撃をでんぐり返しで回避する。
押し出された泥が、派手に周囲へ飛び散った。
「そうくるか!」
大きく後退しながら、チルは続けざまに足踏みをして泥を放つ。
それらを全て転がりながら、掻い潜ってみせるムー。
「ムーをここまでてこずらせるとは」
「ふっ、伊達にこの沼で長らく過ごしてないぞ」
互角の戦いのような口ぶりだが、全身が黒一色に染まりつつあるムーがどうみても完敗状態である。
呆れた顔で、トールは不毛な勝負に口を挟んだ。
「で、どうなんだ?」
「ああ、見事だったぞ。文句なしの合格だ」
きっぱりと言い切ったチルは、満足そうに頷いてみせた。
そして次の瞬間、注意がトールへ移った瞬間を見逃さなかったムーが飛ばした泥玉が、その胸当てにベッタリとくっついた。
岸辺の砦跡から出立して四時間半。
三番目である嵐峰同盟の野営地にたどり着いたトールたちを出迎えたのは、その盟主である常盤家のチルが放った一言であった。
「待っていたぞ、英雄たち! では、その力、さっそく測らせてもらおうか」
そのまま荷物を一部下ろしただけで、強引にこの場所へ連れてこられたという流れである。
どうやら仲間として迎え入れるなら、その力量を知るのが先決という考えらしい。
先ほど倒したのは、妖泥の邪霊。
精霊系のモンスターで、土に属している。
溶解毒が交じった泥の柱をいくつも生み出し、追い詰めると本体も泥に紛れるため止めを刺すのが厄介な相手とのことだ。
さらに途中で戦闘に交じってきたのは――。
「惑わし火とかいってたな。あれも精霊系なのか?」
「いや、屍骨系だ。熱を持つ相手を見つけたら襲いかかってくるぞ」
胸当てにへばりついた泥をこそげ落としながら、チルが疑問にすんなり答えてくれる。
よくよく見渡せば、浅瀬が続く沼地のあちこちに青白い輝きが浮かんでいた。
「邪霊と戦ってると、ほぼ間違いなく絡んできてな。で、剣や矢で触れると、目眩ましをして消えるという面倒な奴だ」
「確かに面倒だったな」
間近で喰らったトールの目は、失明に近い状態であった。
「無視するとどうなるんだ?」
「体に触れると、ごっそり体力が奪われる。どのみち面倒というやつだな」
無理やり倒してみても消滅してしまうため、討伐した証拠も残らずという有り様らしい。
「ああ、そういえば邪霊を倒した証を拾ってなかったな」
「残念だが、地晶石は泥に紛れるから回収は厳しいぞ」
「そうなのか」
「トーちゃん、これか?」
またもいつの間にか泥を漁っていた子どもが、真ん中で綺麗に割れたゴツゴツとした黒い塊を突き出してくる。
「お、よく見つけたな。偉いぞ、ムー」
「えっへん。なんかチクチクしたからなー」
「……ふむむ、どうして子どもなど連れ回しているかと思ったが、なるほど泥漁りの後継を育てているのか」
感心したように呟いたチルは、腰に手を当てながら高らかに宣言する。
「では、次は我らの戦いぶりを見てもらうとするか!」




