意外な面
薄曇りの視界を、どこまでも埋め尽くす暗い泥の眺め。
のはずであったが、そこには違う色があった。
黒一色の中に、散らされたように淡く輝く銀色の点々。
泥の中から奥ゆかしく顔を出していたのは、可憐に咲きそろう花々であった。
茎や葉は泥に隠れて見えず、手のひらに載るほどの銀色がかった花弁だけが優雅に沼の面に開いている。
その不思議な光景に、女性陣は弾んだ声を上げた。
「ふぅ……。これは……、何とも素晴らしい眺めですね……」
「すごい! お花だけ浮かんでるみたい。こんなところにも咲くんだねー」
トールたちがやってきたのは、"灼炎の担い手"の野営地から南にある泥地が広がる地点であった。
監獄へ向かう通路からは、大きく外れた場所だ。
銀色の花に満ちた沼の周りには巨人の影も見えず、いつもとは違う落ち着いた雰囲気を漂わせている。
思わぬ一面を見せられたユーリルとソラは、目を見張って口元を綻ばせた。
「驚かれましたか? ええ、この少々変わった見た目のために、これらは銀浮花と呼ばれおります。水草の一種らしいのですが、詳しい生態はよく分かっておらず、この厳しい沼の環境でどう生き延びているのか、はなはだ興味深い――」
「本当に花が咲いているとはな。で、この花を何のために摘むんだ?」
さっそく解説しだしたバルッコニアに、花にはあまり興味がないトールは単刀直入に尋ねた。
黒衣の炎使いは笑みを浮かべたまま、大きく頷いて今度は花の効能を説明し始める。
「正確には摘むのではなく、花弁に溜まった水の回収ですね。その水には特殊な効能がありまして、摂取すると精神的な疲労を和らげてくれます。ただ、そのままでは効果が薄いので大量に集めて煮詰める必要があり、そうそう量産できないという――」
「つまり、飲めばどうなると?」
「はい、具体的には魔力回復薬というものになりますね。では、集め方をお見せしましょうか。じゃあ、ラッゼル君任せたよ」
バルッコニアの言葉に、長い棒を手にした剣士が無言で前に進み出た。
棒の先は穴掘り鋤のように幅広になっており、船を漕ぐ櫂にやや似た造りである。
ラッゼルは黙ったまま櫂を沼に差し入れて、静かに泥を揺らした。
シワのようなさざ波が生じ、銀色の花々がふわりと岸へ近付いてくる。
待ち構えていたもう一人の剣士が、すかさず花びらの奥に細巻き貝をそっと差し込んで、蜜混じりの水を集める。
見ていると花三輪で、細巻き貝一本を満たせるようだ。
櫂の持ち手が次々と花を手繰り寄せ、他の男どもが手早く水を回収していく。
その鮮やかな連携に見入っていると、バルッコニアが受け取った細巻き貝をトールたちに差し出してきた。
「煮詰める前ですので効能は薄いですが、ご試飲いかがですか? 驚くこと請け合いですよ。さぁさぁ、どうぞどうぞ」
あまり飲むと腹を壊す危険もあるらしいので、一口だけ含んだトールだが、その味に思わず眉を持ち上げた。
口当たりはどこまでも優しく、スルリと喉奥に入り込んでしまうほどである。
その後に爽やかな香りが鼻孔を通り抜け、ほんのりとした甘みだけが舌に残る。
気がつくと、口の中から消え失せている。
としか言いようがない飲み心地だ。
「えっ、今、のんじゃった?」
「あら、美味しいですね」
「あまい! もっと!」
「腹壊すから、それくらいで我慢しとけ」
「むぅ! がまんばっかりしてると、ムー、いつかどどんってはれつしちゃうぞ」
「大丈夫だ。その時はトーちゃんがちゃんと治してやるから」
銀浮花は長い根を持つらしく、少し波を作れば簡単に岸辺に寄ってくるのだそうだ。
しかしそれはあくまでも岸の近くだけであって、櫂が届かない距離のはどうしようもない。
そのため岸に沿って延々と歩きながら、集める必要があるのだとか。
「じゃあ、沼の中のほうのは手付かずってことかな。よし、ムーちゃん、出番だよ!」
「いきなりどうした、ソラねーちゃん?」
「そこはらいらいって返事しようよー。ほら、ムーちゃんのソリなら、沈まずにあのお花のとこまで行けるでしょ」
しばし考え込む顔になった子どもは、ポンと手を叩いてトールを見上げた。
「なー、トーちゃん。ムーきづいたんだけど、おはな丸なら、あのまんなかのおはなまでいけるかも」
「お、よく気づいたな、ムー」
「じゃあ、あまいのいっぱいとってきていい?」
「ああ、その前に危なくないか確認しろよ」
「らいらい!」
「えー、……ええー」
上機嫌で<電探>でモンスターが居ないことを確かめたムーは、細巻き貝を手に勇んで沼へ乗り込む。
バルッコニアの長い話を省略をすると、どうやら銀浮花の群生地にはモンスターが発生しにくいとのことだ。
子どもは器用に嵐晶石で風を起こして向きを調整しつつ、花の水を回収していく。
よく溜まっているようで、たちまち細巻き貝が満たされてしまった。
革袋に移してもらったムーは、得意顔で何度も往復する。
調子にのって二回ほど横転したが、それは見守っていたトールが<遡行>でなかったことにしてやった。
日が暮れる前に引き上げとなったが、革袋五個となる大収穫であった。
バルッコニアが目を丸くして称賛する。
「素晴らしい! 半日でここまで集まるのを見たのは初めてですよ。いやはや、本当にトールさんたちは多才でいらっしゃる。是非にも、今後もうちに参加してほしい気持ちでいっぱいです!」
夕食も豪勢な焼き肉であった。
甘い水をつまみ飲みしすぎたムーだが、ケロリとしてソラと一緒にお肉祭りの舞を披露していた。
その後はトールとユーリルだけ、バルッコニアの天幕に招待されて細かい説明を受ける。
基本的にこの野営地でやることは、沼の入り口と監獄ダンジョンをつなぐ通路のモンスター退治である。
それ以外は数日置きに、銀浮花の蜜水集めだ。
滞在は十人が上限で、四日ごとに三人単位で入れ替わっているらしい。
トールたちが参加してくれるなら、四人一纏めの交代もいいそうだ。
散々、熱のこもった勧誘を受けたが、トールらは返事に関しては保留を通した。
野営地の狭さから、やはりここでも就寝用の天幕の割当は四人で一つだった。
その夜、案の定、水を飲みすぎたムーに、トールは揺り起こされる。
「トーちゃん、おしっこ……」
「ああ、わかった」
ムーを小脇に抱えて天幕を出たトールは、石壁の横の階段を下りて、一層にある便所へ向かった。
少しばかり瘴霧が出てきたのか、辺りには白い靄がうっすらと立ち込めている。
便所に子どもを押し込みながら、トールはその霧の向こうに立つ人影に気づく。
その影は、長く伸びた剣を振りかざしていた。




