二つ目の野営地
魔力によって生み出された火は、数分と経たずに消えた。
剣士たちは沼に入ると黒焦げになった蜘蛛の背後に回り、ナイフを突き立ててズルズルと臓器を引きずりだす。
「ほー、内臓も美味しいのかな? トールちゃん」
「いや、あれは食用じゃなさそうだな」
乱雑に不要な部位を投げ捨てる男たちの行為を、横に立つバルッコニアがすぐに説明し始める。
「はい、糸腺という出糸器官を回収しております。あのモンスターは腹部から糸を出して罠を張るんですが、この糸が非常に厄介でしてね。くっつきやすいうえに、真銀製の武器でようやく断ち切れるほどの強靭さを兼ね備えてまして。ああ、ソラさんはよくご存知でしたね」
白い蜘蛛糸で編んだローブを身につけていた少女は、嬉しそうに笑いながら服がよく見えるよう、その場でくるりと回ってみせた
そして何かにつまずいたかのようにバランスを崩しかけ、トールに手を貸してもらう。
「おっと、大丈夫か」
「ありがとー。あ、もしかして、これがその糸?」
泥の中から足を引き抜いたソラは、革靴に巻き付いていた白い束を指さした。
泥に触れているが濡れたような気配はなく、蜘蛛糸は艷やかな光沢を放っている。
これもさっそくバルッコニアが解説してくれた。
「はい、その通りですよ。ただそちらは、空気に触れてしまっているので、残念ながら加工は無理ですね」
「そうなんですか?」
「はい、糸腺から直に取り出した糸でしか、編むのが難しいんですよ。しかもちょっぴりしか取れないんですよ、これがもう。だから服一着作るだけでも、あの蜘蛛を何十匹と倒す必要があったりなかったりで」
大袈裟に肩をすくめながら語るバルッコニアの話を聞き流しながら、トールは"灼炎の担い手"一行の足元に注目していた。
彼らは糸の罠が張り巡らされている沼に入って、平然と作業を続けている。
黒い泥にまみれた長靴を見つめながら、トールは喋り続ける炎使いに声をかけた。
「すまないが、蜘蛛の足の先を少しもらっていいか?」
「おや、空腹のご様子ですか? でしたら、もうしばらくお待ちいただければ、素晴らしい昼食をご用意しておりますので、ご心配なさらなくても――」
「いや、皮が少し欲しくてな」
遮るようなトールの短い返答に、バルッコニアには両の眉を大きく持ち上げた。
そして溢れそうな笑みを浮かべながら会話を続ける。
「この短い時間によくお気づきで。その通り、私どもが糸から無事なのは――」
「あ、みんな革靴に何か巻いてるんだ。そっか! 蜘蛛なら自分の糸には引っかからないってこと?」
かぶせるように少女に答えを言われたバルッコニアは、今度は残念そうに顎を引く。
どうやら剥いだ蜘蛛の皮膚で靴を包んでおくやり方は、正解だったようだ。
「あーあ、きえちゃった」
燃えていた蜘蛛にリンゴを押し付けて炙っていたムーが、器用にソリを操って戻ってきた。
そしてトールとソラを見上げながら、得意げに宣言する。
「ムー、さいきんきづいた。やくと、なんでもおいしい!」
「えー、そのまま食べても、おいしーのもあるよ」
とんでもない暴論に少女が首をかしげる中、バルッコニアは指をパチンと鳴らす。
「よくぞ、その真理に気づきましたね! ムーさんは素晴らしい才能をお持ちだ。そう料理とは火! 炎から生み出される芸術なのですよ。さぁ、急いで参りましょう。丁度いい具合に焼き上がるよう準備しておりますので」
"灼炎の担い手"の野営地は、雷哮団のところと同じく二層構造になっていた。
ただし、その広さは三割ほど減っていたが。
そして、一瞬で見て取れる決定的な違いがあった。
二つ目の野営地は、一層部分が石でできていたのだ。
角ばった石が積み上げられ、その上に木製の床が設えてある。
上部に三角の天幕がひるがえる様は、まるで小さな塔が立っているかのようにも見えた。
「わ、なんか普通のお家みたいだね」
「ああ、石造りとは驚いたな」
基底部分の石は独特の赤みを帯びており、黒一面の沼や青い天幕と合わさって、なかなかに目を惹き付ける景観だ。
「あの石は赤砂の巨人が落とす特別な物を、わざわざズマ本国から運んできたんですよ。ええ、普通の石ですと緩い地盤なので、どんどん沈んでしまうんです。その点、あの石は軽いうえに水に強く、おまけに耐熱性もバッチリです。ただお値段が少々……」
「むむむぅ! なんかいいにおいするぞ、トーちゃん!」
「あ、ホントだ。布越しでも匂ってくるねー」
石壁から突き出した木の棒の階段を上がり、トールたちは二階へと案内される。
そこで待ち受けていたのは、丸いテーブルに並ぶ色とりどりの大皿と、薄着の女性二人だった。
「お待ちしておりました」
「ちょうど焼けた頃合いですよ」
よく見ると赤髪の女性たちの胸元には、銀色の冒険者札が光っていた。
どうやら見目麗しい格好をした彼女たちも、"灼炎の担い手"の一員らしい。
そのまま天幕の一つに案内されたトールたちは、かいがいしく荷物を下ろす手助けをしてもらう。
そして再びテーブルに案内されると、珍しいガラス製の盃を手にしたバルッコニアが待ち構えていた。
「まだ昼からも仕事がありますので、軽く一杯ですがお付き合い願えますか? いい火精酒を用意してますよ」
その誘いにユーリルの長い耳先がピクリと動く。
テーブルを軽く見回し、グラスに注がれた透明の液体を眺めた灰耳族の女性は、無言でトールに振り返りしばし逡巡の様子を見せたあと頭を縦に振った。
「……疲れを癒やすために、少しお酒を嗜むのは悪い考えではありませんね」
瘴気避けの布を取りフードを脱いだユーリルは、チラリと薄着の女性たちを見て、少しだけ胸元を緩めて息を吐いた。
足下から熱気が上がってくるせいか、ここはかなり暑いようだ。
銀色の髪が揺れ露わになった美貌に、男どもはいっせいに黙り込んだ。
明らかに露出はユーリルのほうが遥かに少ないのだが、その衆目を惹き付ける度合いは数段上のようである。
目を合わせた紅尾族の女性たちは無言で天幕に引き返し、今度はしっかりとローブを着込んで戻ってきた。
「で、では乾杯いたしましょうか。とこしえの炎に栄えあれ!」
「栄えあれ!」
食事の大半は、じっくりとローストされた肉が主体であった。
中央の大皿には大きめの角モグラの丸焼きがのっており、散らされた香草が芳しい匂いを放っている。
串に刺された大ぶりの肉や、甘辛いタレがかかった山盛りの肉だんごもある。
最初は出された食事に、猫のように紫の瞳孔を細くして警戒していたムーだが、一口食べて美味しいと分かったようだ
がっつくように、料理を口の中に押し込んでいる。
その隣でソラも負けじと、溢れ出る肉汁を堪能していた。
「ふぐふぐ、うまいなー、ソラねーちゃん!」
「うんうん、この丸焼き、皮のところが絶品だよ!」
「気に入っていただけて何よりですよ。こちらの鎧猪の肉は、十日ほど熟成させてますから――」
「うわ、すごく柔らかいです。ここは料理に火を使ってもいいんですね」
「ああ、どこぞの粗食狂いの方々の食事では口に合わなかったようですね。ご安心を。ここは下の階に特製の石窯がありまして、いつでも温かく美味しい食事が楽しめますよ」
「へー、それいいですね」
「ムーは、ずっとここでくらしてもいいぞ!」
勝手なことを言い出した子どもを横目に、トールは白い薄切りの肉を口に運ぶ。
あっさりとした味わいだが、塩タレにつけると旨味が増す。
盃を呷ったトールは、陰鬱な沼の風景へ視線を移しながら深く息を吐いた。
泥まみれの下と快適な上では、少しばかり格差が大きすぎるようだ。
「どうですか? 蜘蛛の肉の味わいは。こちらはさっと湯通ししてから、遠火で焼き上げてまして――」
「ああ、楽しませてもらっているよ。酒もうまいし、言うことはないな。これで眺めが良ければな……」
トールが視線を向けた先にいたのは、見慣れてきた光景に混じる異物、遠くでうごめく巨大な人影どもだった。
泥毒の巨人に話題になったと察したのか、バルッコニアの口元からわずかに笑みが消え去る。
「あれを倒す機会が、一年に一度ほどしかないと聞いてな」
「ええ、私たちも討伐したいのは山々なのですが、現状では"白金の焔"の皆様のために通路を確保するのが手一杯といった有り様なんですよ。ですので、ここに加わっていただけると仰るムーさんのお言葉は大変ありがたく感じております」
しっかりとムーの言葉を拾い上げるバルッコニアに、トールは軽く顎の下を掻いた。
「こいつの世話はたいへんだから、あまりおすすめしないがな」
「どうでしょうか、トール様方もご一緒に、この"灼炎の担い手"に加わっていただくというお話は?」
「その辺りはもう少し、見学させてもらってからでもいいか?」
「ええ、勿論でございます。じっくり隅々までご覧になって、私どもの良い点を確認していただいてからでも。お、そうだ」
くるりと赤みを帯びた目を回した紅尾族の男性は、嬉しそうに言葉を続けた。
「どうでしょう? お昼からは予定を変更して、お花摘みへ参るというのは」




