青蛇狩り
音もなく黒い泥が盛り上がる。
一瞬で大きな泡のように膨れ上がったそれは、次の瞬間、あっさりと弾けとび、泥の奥から何かが姿を現した。
丸太のように太く長い。
しかし、その色は目が覚めるような美しい青だ。
沼の中から襲いかかってきたのは、巨大な蛇であった。
モンスターはわずかに弧を描きながら、凄まじい速さで一直線に獲物へ向かう。
十歩以上の距離が、まばたき一つの間に消え去った。
泥を払い落としながら、空中で顎を開く大蛇。
その真っ赤な腔内には、隙間なくずらりと鋭い牙が並んでいる。
泥から出ている部分だけでも、軽く大人数人分の長さはあろう。
一抱えできそうな胴回りの太さからして、人間など軽く一呑みにしそうである。
もっとも対する相手も、そう簡単にはいきそうにない大きさだ。
斧槍を構えたソルルガムは、短く呼気を吐くと足首まで泥に沈めたまま力強く踏ん張ってみせた。
その肩口に、容赦なくモンスターが衝突する。
岩を殴ったような音が響き、黒い泥が周囲に撒き散らされた。
だが、それだけであった。
紫眼族の巨漢は、自分の数倍の体長を誇る蛇の体当たりを、ほぼ完璧に受け止めていた。
即座に両手槍を構えた副隊長が前にでる。
ソルルガムの肩に噛み付いた状態の青い蛇の頭部へ、渾身の力を込めて穂先を振り下ろす。
上手く目の辺りを狙った一撃に、モンスターはわずかに身動ぎすると、青い鱗に包まれた胴体がうねった。
一拍置いて泥の中から飛び出してきたのは、大蛇の尾の先端だった。
先ほどと同様に、目にも留まらぬ速さで紫眼族の女性へと伸びる。
しかし副隊長は、その動きを予見していたようだ。
地に這わせた穂先が跳ね上がり、尾の一撃をすくい上げるようにしてそらす。
だがこちらは、体重の差をいかんともしがたい。
勢いを殺し切れず、鈍い音とともに数歩後退する。
もっとも彼女の役割は、その尻尾の注意を引くだけで十分だったようだ。
次の瞬間、肩を半ば呑み込まれかけていたソルルガムが、片腕だけで斧槍を蛇の頭部に振り下ろす。
――<紫断>!
紫の電流を纏った斧槍の刃が、モンスターの頭部を横殴りにする。
下枝スキルの武技ながら、その威力は十分だったようだ。
蛇の噛み付きが緩んだ一瞬を見逃さず、ソルルガムは強引に体をねじって隙間を作り上げる。
そして両手で握り直した斧槍を、間髪容れず突き出した。
――<電閃破>!
無防備な口の内部から大量の電気を流し込まれた大蛇は、大きく身を震わせた。
同時にその目や鼻孔から、煙が吹き出す。
数度、その胴体をのたうたせた蛇は、ずるりと泥の海へと倒れ込んだ。
独特の空気が焼ける臭いが立ち込める中、ソルルガムは無言で身動ぎを止めた蛇の腔内から斧槍を抜いた。
すかさず駆け寄った副隊長が、沼の中に沈んでいく蛇の頭を掴んで引っ張り上げる。
一分にも満たない攻防と、その鮮やかな決着に、見学していた少女たちは弾んだ声を漏らした。
「わわ、あっという間にやっつけたねー」
「あれがへびかー。おもったよりニョロニョロしてたな!」
「あの大きさで、意外と素早いな」
「ええ、なかなかに手強そうな相手ですね。ふふ、楽しみです」
妖かしの沼の野営地に来てから二日目。
トールたちは、ソルルガムの青縞大蛇の狩りに同行していた。
実はムーを連れていくのは、最初はかなり渋られた。
が、ムーが最近覚えた太ももしがみつきおねだりを繰り出したら、何とか折れてくれたのだ。
厳つい外見だが、子どもには甘いようだ。
そして見学を許された雷哮団の戦闘だが、豪快としか言いようがないやり方だった。
武技を放つための闘気は、攻撃を加えたり与えられたりすれば体内で高まっていく。
そのため回避行動というのは、あまり重要視されていない。
殴られた方が怒りが溜まりやすく、より強く殴り返せるという理屈である。
ソルルガムの戦い方は、それをそっくり実践した感じだ。
しかし、その場合は当然ながら――。
「だ、だいじょうぶかな、団長さん。がっぷり噛まれてたよね」
ソラの指摘どおり、蛇に噛まれたソルルガムの肩は酷くえぐれ、左腕全体が赤く染まりつつある。
もっとも、その辺りは杞憂のようだ。
「生命の樹の御主よ。傷つきし子らに、憐れみの涙をお流しください――<流涙癒>」
トールたちから少し離れて立っていた男性が雨晶石のついた神官杖を掲げると、ソルルガムの肩の肉が盛り上がり傷口が独りでに塞がれた。
闘気を高めるための負傷は、水使いの治療に任せるというわけだ。
跡形もなく傷がなくなったソルルガムは、黙ったままトールたちへ視線を寄越した。
見本は示したということであろう。
「よし、俺たちもやってみるか。ムー、いつものだ」
「らいらい!」
紫電をまとう<電棘>と、感覚を強化する<雷針>を続けざまに発動した子どもは、さらに<電探>でたちどころにモンスターの位置を探り当てる。
「トーちゃん、あそこだぞ」
「分かった。任せたぞ、ソラ」
「はーい、ばっちり任されたよ!」
いつも通りの元気な返事をしてくる少女に、トールは軽く頷いた。
チラリと視線を向けると、ユーリルは小さな笑みを返してくる。
こちらも準備は万全なようだ。
ぶらりと力を抜いて剣を下げたトールは、深みギリギリへと大胆に足を進めた。
またも泥が大きく盛り上がり、ムーが指摘した場所から青い大蛇が飛び出してくる。
そのまま無防備に立ち尽くすトールに襲いかかるはずであったモンスターは、寸前で見えない壁にぶつかったように空中で止まった。
――<固定>。
ただ静止したのは頭部だけであったので、勢いがついた胴体は止まらない。
軋むような音を立てながら、頭に体部分がめり込んでいく。
さらに――。
「氷、滑せ――<氷床>」
凛とした声をとともに、沼地の一面がパリパリと音を立てて凍りついていく。
それに泥の中に残っていた大蛇の下半身が巻き込まれる。
今しがたの戦闘で、わざわざ副隊長が手出ししたのは、尻尾の注意を引きつけるためだと、ユーリルはあっさり見抜いていたらしい。
その対策は意外な効果ももたらした。
氷漬けにされて動けなくなったせいで思わぬ力が掛かったのか、蛇の胴体も嫌な音を立てながら引き伸ばされる。
そこにソラが新たな魔技を繰り出した――<反転>。
九割の力で逆行を命じられた下半身が、もと来た場所へと戻りだす。
頭部を空中に固定されたモンスターは、為す術もなく自らの力で分離していく。
肉が裂ける太い音が、泥の上に響き渡った。
しかし下半身を半ば失った状態でも、大蛇はまだ息絶えていなかった。
さすがは濃い瘴気の中で、生まれ落ちたモンスターだけのことはある。
牙を剥き出しにして大きく口を開いたまま、大蛇は無機質な眼球を向けてくる。
その青い鱗に包まれたモンスターの顔へ、トールは静かに剣を持ち上げた。
副隊長が槍の刺突を試みなかったのは、おそらくこの鱗が滑るせいであろう。
だがトールは恐れる素振りもなく、真っ向から刃を振り下ろした。
数秒後、<固定>を解かれたモンスターの体が動き出す。
そのままトールへ襲いかかろうとした蛇だが、次の瞬間、その頭部がぱっくりと左右に開く。
たった一振りで顔面が両断された青縞大蛇は、力尽き泥の中へと沈み込んだ。
自分たちとは、また違った次元の戦いぶりを見せられたソルルガムらは静かに呟いた。
「あれが、ボッサリアの英傑になりかけた男か」
「凄まじいですね。何が起こったのか……」
「うむ。やはり手放すわけにはいかんな」
その日は一日中、蛇狩りを満喫したトールたちであった。




