銀盟会
冒険者局の二階。
分厚い扉が並ぶ通路は人影も少なく、階下のロビーとは打って変わって物静かである。
おかげで他人に聞かれたくない会談などには、ぴったりの場所だ。
「こちらですよ、トールさん。皆様はもう中でお待ちです」
「助かったよ、ありがとう」
トールの率直な感謝の言葉に、案内をしていた受付嬢のエンナはにこやかに笑みを浮かべた。
冒険者も真銀級となれば立場が逆転し、冒険者局内では深く頭を垂れられる扱いとなる。
そのせいか、職員に対しぞんざいな態度になる人間が大半だ。
だがボッサリアを解放した英雄として一足飛びにBランクになったトールには、そんな気配はみじんも感じ取れない。
それは謙虚というより、むしろ変わりないといったほうが正しいだろうか。
泰然とした態度で扉を開けて入っていくトールの背に、エンナは自然に頭を下げていた。
そして階段を降りていつもの窓口に戻りながら、四ヶ月ほど前までは言葉をほとんど交わしていなかった事実を思い出し、独りでに持ち上がる口元を我慢しながら呟いた。
「……もうすぐ半年か。Aランクまであと少しですね、トールさん」
部屋は思ったよりも広々としていた。天井は高めで、鎧戸の付いた窓が二つ。
中央に長方形の大きな樫のテーブル。
椅子の数は四つで、そのうちの三脚にはすでに先客が腰掛けていた。
一番奥にいた男が、入ってきたトールに手前の空いている椅子に座るよう視線で促す。
「トールだ。よろしく頼む」
椅子を引きながらの挨拶に真っ先に反応したのは、右側にいた赤毛の男だった。
年の頃は三十には届いてないだろう。肉付きの良い柔和な顔つきで、こざっぱりとした黒いローブに身を包んでいる。
後衛らしい装いの男は大袈裟に頷きながら、両手を持ち上げ他の二人に呼びかけた。
「どうも、バルッコニアと申します。いやはや、お噂はかねがね伺っておりますよ。泥の中から這い上がってみせた英雄だとか。皆様、そういった噂話はたいへんお好きなようで。どうでしょう? ぜひこの場でも、いろいろとお聞かせ願えればと――」
「まて、お喋り屋。そういったことは、酒の席のほうが良いだろう。どうだ、あんた、飲める口なのか?」
即座に横から口を挟んだのは、左側に座っていた翠の羽を長く伸ばした男だ。
こちらは一転して目付きが鋭く、猛禽類を思わせる風貌をしている。
右腕だけ二回りほど太いので、どうやら弓を扱うと思われる。
「酒は好きだが、無駄話は苦手でな」
「そうか、残念だ。ああ、申し遅れたな。嵐峰同盟の盟主、常盤家のチルだ」
名乗ったあと、男は何かを期待するように様子を確かめてくる。
だが、トールの顔に思っていたような反応がなかったせいか、顔をわずかにしかめながら横を向いた。
「……ソルルガムだ」
最後に短く声を発したのは、向かい側に座っていた偉丈夫だった。
おそらくトールがこれまで出会った中で一番、大きな男かもしれない。
くすんだ金髪を短く切り揃え、くぼんだ眼窩の奥には力強い光を湛えた紫の眼が覗く。
むき出しの丸太のような二の腕には、歴戦の古傷が刻まれていた。
三人が名乗りを終えたところで、赤毛の男が再び口を開く。
「それでは第……、何回でしたっけ。まあ、いいか。銀盟会の会合を始めましょうか」
「バルッコニアか。"灼炎の担い手"の隊長で、かなりやり手の炎使いだって噂だな」
いきなり回想場面に口を挟んできたガルウドに、トールは呆れたような眼差しを向ける。
だが得意そうに顎を持ち上げる友人の姿に、諦めたように息を吐いた。
「"灼炎の担い手"は聞いたことがあるな。ストラッチアらの親衛隊に近いらしいな」
「ああ、隊員はほぼ紅尾族ばかりで……。あ、お前の知り合いもいたな」
「誰かいたか?」
「ほら、訓練場で一度、叩きのめしたろ。ラッゼルって奴だ」
「……あ、ああ! あいつか。名前は知らなかったが、なんとなく思い出したよ」
まだソラと二人パーティだった頃、禁止されている新人冒険者の案内の疑いで難癖をつけてきた相手だ。
懐かしさに頷きながら、トールは二人目の話へ切り替える。
「翠羽族の男も知っているのか? 名前を知らなかったらガッカリされたんだが」
「常盤家のチルか。あいつは自尊心が強い男だからな。というか、そっちも知り合いがいるだろ」
「うん? いや、心当たりはないが……」
「はっ? おいおい、こないだ蟻の巣を一緒に回ったばかりだろ!」
「えっ、もしかして、チタさんか?」
おっとりした口調の騎乗師を思い出したトールは、驚きで背を伸ばし目を見張った。
そのせいで背後のムーが圧迫され、むずかるような寝言をはにゃほにゃと漏らす。
「ああ、あの子はチルの妹だぞ。そりゃ、てっきり名前くらい聞いていると思うだろうな」
「どうりで何度も睨まれるはずだ……。嵐峰同盟というのも有名なのか?」
「翠羽族と茶角族の連合派閥だな。俺も順調に荒野を抜けていたら、おそらく加わっていたはずだ」
「そうか。紅尾族がバルッコニアのところで、翠羽族と茶角族がチルのところとなると……」
「ソルルガムが団長をやってる雷哮団が、紫眼族の派閥だな。確かダダンじゃ一番、規模が大きいはずだぞ」
「なるほど。言われてみれば、風格は立派だったな。蒼鱗族や灰耳族のはないのか?」
「俺が知る限りないな。回復職や支援職は前に出たがらんし、数も少ないから徒党を組み難いんだろうな」
もっともらしい理由を述べたガルウドは、手綱を緩めながら軽く首を振ってみせた。
「そいつら三人が率いる三派が、実質、真銀級以下を仕切っている感じだな。で、その頭首どもの集まりが銀盟会ってわけだ。で、いったい、何を話してきたんだ?」
「つまらん話だったよ……」
真銀級の狩場である瘴霧の妖かし沼には、金剛級らの通う監獄迷宮が存在する。
泥地は飛竜艇の着陸が難しいため、ストラッチアらがそこにたどり着くためには、手前で降りて沼を横断しなければならない。
トールたちBランクの冒険者に課せられた仕事とは、そのための往復路の確保であった。
邪魔になるモンスターを駆逐し、壊れた通路を補修し、つつがなくAランクの冒険者たちが迷宮にたどり着き戻ってくるのを見守る役目だ。
そのために道沿いにある三ヵ所の野営地を使い、ストラッチアたちの予定に合わせていろいろとやらねばならない。
会合とは、その持ち回りの担当の順番を決めるためのものであった。
当然、新規であるトールたちには、その野営地を使う資格はない。
そのため、三派閥のどれかに所属するよう提案されたのだ。
「ボッサリアの英雄様なら引く手あまただろ。どこに決めたんだ?」
「今すぐ決めるのは難しいだろうと言われて、三ヶ所を週ごとに回ってみるって話になった。お試し期間だそうだ」
「そうか。ま、ゆっくり考える時間ができて、よかったじゃねえか」
「俺としては、第四の選択が希望なんだがな。見えてきたな……」
長々と話をしているうちに、馬車はいつの間にか黒く染まった湿地が見渡せるほどの位置にまで来ていた。
それと同時に靄の奥に広がる信じがたい光景も、トールたちの視界に否応なしに映り込んでくる。
独特の湿気を含んだ風が吹き付け、眠りこけていたムーがぷくしゅっと小さくくしゃみを放った。
その音が聞こえでもしたのか、御者台の後ろにある小さな扉が開き黒髪の少女が顔を出した。
いつもは自由に遊ばせている髪が、今はきっちりと結われて団子のように両側にまとめてある。
「トールちゃん、そろそろ、ついたー?」
「お、今日は可愛い髪型だな、ソラ嬢ちゃん」
「へへーん。ユーリルさんにやってもらったんですよ」
「よく似合ってるな、ソラ。砦跡までは、あと五分足らずってとこだな」
沼の入り口付近にある朽ちた石壁は、まだ央国が軍隊を瘴地に駐留させていた頃の名残だと言われている。
すでに夕暮れも近いので、トールたちはそこで一泊する予定であった。
馬は濃い瘴気に長く耐えられないので、ガルウドは荷物を下ろしたらそのまま引き上げる。
トールの返事に頷きかけたソラだが、その視線が前に向いた瞬間、体ごと静止する。
唖然としたまま目をそらせない少女の眼前に広がるのは――。
奥行きが見えないほどの一面の黒い泥の海。
その陰鬱で単調な風景には、ぽつりぽつりと目を引く変化があった。
泥から突き出すように、いくつかの縦長い影がそそり立っていたのだ。
まだ距離はかなりあるはずだが、ハッキリと視認できるほどに大きい。
しかも一見、大木のようにも見えるそれらは、ゆっくりと動いていた。
虫が這うほどの速度ではあるが。
ところどころで白い靄が晴れているせいで、影に手足らしきものが備わっているのが辛うじて見て取れる。
瘴気に満ちた沼地を歩き回っていたのは、巨大な人型の群れであった。
この泥毒の巨人を打ち倒すのが、Aランクへの昇級条件である。




