幕間 悩める姉妹たち
「耳障りったらありゃしないわ。もう良いわよ、ネネ」
窓の下から聞こえてくる奇天烈な歌に舌打ちをしながら、女性は長椅子の上でしなやかに背を反って両腕を伸ばした。
金色が混じった黒く短い巻き毛の下には、目尻が持ち上がった大きな紫の瞳が強い光を放つ。
高い鼻筋に口元からわずかに覗く犬歯。隅々まで引き締まった体は、黒い革鎧でピッタリと包まれている。
均整が取れ美しくはあるが、見る人の大半が似たような印象を抱くだろう。
――まるで一匹の虎が、そこに悠然と寝そべっているようだと。
不機嫌そうに顔をしかめる若き女性の名はキキリリ。
"白金の焔"で前衛を務める金剛級の戦士である。
キキの言葉に、長椅子の端に腰掛けていた女性は、無言のまま全身から突き出していた青白い針を消し去る。
姉とは違いまっすぐな髪は首元で切り揃えられているが、それ以外はそっくり同じ外見をしている。
無表情のまま黙りこくる女性の名はネネミミ。
"白金の焔"で後衛を務める金剛級の雷使いである。
「しっかし、お爺様も偉そうなことを言ってた割に、何よあのザマは」
<雷針>の効果がなくても薄っすらと響いてくる足踏みの音に、キキは不服そうに呟きを続けた。
彼女たちの祖父の執務室は大広場に面しているため、外で催されているボッサリア奪還の騒ぎは否応なしに聞こえてくる。
「……あの男は呪いでお払い箱となり、獣の巫女が労せず手に入るというわけじゃ」
眉間にシワを寄せながら、キキは誰かの口ぶりを真似てみせる。
そこで聞き慣れた声の独唱が耳に飛び込んできて、女性は奥歯をギリリと噛み締めた。
「とか言ってたくせに、結局、アイツラだけ英雄扱いじゃない!」
悔しそうに顔を歪めたまま、キキは歓声と拍手が巻き起こる窓の外を睨みつけた。
そして少しだけ表情を緩めて手を伸ばすと、妹の髪をゆっくりと撫でつける。
「ええ、そうね。まだ機会がなくなったわけじゃないもの。ありがとう、ネネ」
優しく話しかけてくる姉に対し、妹は身動ぎもせず前を向いたままだ。
その唇は固く結ばれ、一言も声を発してない。
「ふふ、耄碌しすぎは言い過ぎ。でも、お爺様もそろそろ引退が近いかもしれないわね」
広場で大歓声が湧き上がる中、二人しか居ない部屋で、誰かに話しかけるようにキキの声だけが響き続けた。
ボッサリア奪還の騒ぎが収まった夕方。
ダダンの施療神殿の一角にある自室で、ラムメルラは小さく吐息を漏らした。
「……四回目」
ベッドに腰掛け笛の手入れをしていた姉のリコリは、顔も上げずにボソリと呟く。
ため息の回数を指摘されたラムメルラは、大人気なく頬を膨らませながらそっぽを向いた。
しばしそのままで横を向いていた乙女は、反応を確かめるように目だけ寄越して姉の様子を眺める。
そしてまったく関心を寄せてこない素振りに、もっと頬を膨らませた。
「……わけを聞いてほしいの?」
「別に」
「悩みは誰かに話せばスッキリするわよ。……とか言ってほしそうな顔してるけど」
「してない!」
むくれてしまった妹の姿に、リコリは手を止めるとため息を吐き返してみせた。
半分閉じたような眼差しをラムメルラへ向けて、露骨に怠そうな表情で促す。
「ほら、ちゃんと聞いてあげるわよ」
「すごく義理っぽいんだけど、面倒とか思ってない?」
「思ってる」
「それ! そこが姉さんの悪い癖だと思う。正直だからって、何でも許されるものじゃないのよ。あ、また嫌な顔した! もう、いい!」
完全に拗ねて椅子の上で膝を抱えてしまった妹を、リコリは自分の隣をポンポンと叩いて招く。
ラムメルラは俯いたまま無言で立ち上がると、ベッドに近寄って姉の横に腰掛けた。
そのまま肩を傾けて、リコリにもたれかかって体重を預ける。
そして、ポツリとため息の理由を明かした。
「…………トール様に、白金の焔に入りませんかって尋ねてみたの」
「また、無茶な誘いをしたものね」
「分かってたわよ、断られるのは。でも、それはいわゆる交渉の糸口ってやつよ」
「で、本命は?」
「無理なら、その……、私をトール様のパーティに入れていただけませんかって」
一呼吸溜めた後、ラムメルラは細い声で結果を呟く。
「駄目だった。私が抜けたら白金の焔が困るだろって……」
「…………そう」
短く返事をしたリコリは、妹のゆるふわの黒髪を優しく撫でる。
目を閉じたラムメルラは、黙ったままぐったりと体の力を抜いた。
「ねえ、パーティは無理でも専属の水使いとかどうかな? 天幕とか馬車で待機しておくの。それで戻ってきたらおかえりなさいって出迎えて、ごはん作っておいたり……」
「……重い」
「えっ、私、太った?」
「体重の話じゃない」
意味が分からず首をひねるラムメルラの喉へ、リコリは静かに指先を伸ばした。
そのまま胸元まで広がる青い部分を、うっとりとした表情でなぞっていく。
「こんな綺麗な鱗してるのに、本当にもったいないわね」
「くすぐったいわよ、姉さん」
多くの枝を伸ばす水精樹の持ち主であり、また凄まじい記憶力により道に迷う恐れは決してない。
しかも愛らしく素直で、見た目も中身も文句なしときた。
やや体型は幼いかもしれないが、それでも冒険者ならまず誘いを断るなどあり得ない話だ。
ふざけた真似をしでかした中年冒険者の顔を思い浮かべながら、リコリは内心で強く舌打ちをする。
そして同時に、高まってくる安堵の気持ちを気づかれないよう押し隠した。
水神アルーリアの施療神殿にも、大瘴穴を封じるための聖遺物は存在している。
名は"悲嘆の苦水"。
ただの器物では保管できず、人の体内でしかその力を維持することができないため、代々の器の巫女に継承され続ける特殊な形態を持つ。
そして欲望を喰らい続ける炎の例があるように、苦水もその存在を保つために必要な感情があった。
苦しみや悲しみ。
治療施設である施療神殿では、事欠かない情動だ。
ただし、それはあくまでも維持に必要であって、成長を促す要因とはなりえない。
大瘴穴を抑えるに足るまで力をつけるには、器である人物の悲嘆の感情が必須だった。
身近な人間を多数失い、その身に残った醜い火傷の痕を見る度に否応なしにその時の激情が蘇ってしまう。
さらに頼りになる姉が代わりに呪いを引き受け引退に追いやられたことで、心の拠り所までも失う。
これで苦水の育成は順調なはずであった。
しかし思わぬところから、その痛みは緩やかに和らぎつつある。
だが同時に新たな悲嘆の芽が育ちつつあることを、リコリは密かに感じ取っていた。
今はまだその痛みはゆっくりだが、やがて大きな傷口になるだろうと。
少しだけ明るさを取り戻したラムメルラの笑顔を、リコリはその首元から指を離さずに目を細めて眺め続けた。




