三匹目
二人がたどり着いた先は、薄暗い路地であった。
不安げに辺りを見回すソラを置いて、トールはさっさと奥へ進んでいく。
通りのざわめきがほとんど聞こえなくなるまで奥へ進んだトールは、背負っていた袋からモンスターの肉が入った葉包みを一つ取り出した。
地面において、小刻みに舌を鳴らす。
即座に通路の奥で、何かが動く気配がした。
怯えた顔のソラが、トールの背中に慌ててつかまる。
スンスンと鼻を鳴らしながら登場したのは、虎縞と黒毛の二匹の猫であった。
こちらを窺っていた猫たちは来訪者がトールだと気づいたのか、猛烈な勢いで駆け寄ってくる。
そして小さく息を呑むソラを無視して、二匹はトールの革靴に飛びつくとガブリと牙を立てた。
「ト、トールちゃん、おそわれてるよ!」
「すまん、来るのが遅くなったな」
五日も放っておいたことを謝罪しながら革手袋をとったトールは、二匹のゴワゴワした毛皮をゆっくりと撫でてやる。
しばしカジカジと怒りを表現していた猫たちだが、優しく触れていると次第に甘噛へ変わっていく。
猫たちの興奮が収まったのを見計らったトールは、そっと山盛りの肉を二匹へ押しやった。
「ほら、食べろ。うまい肉だぞ」
尻尾をピンと立てた二匹は、我先に鼻を突っ込んで肉に食らいつく。
よほど腹が空いていたのか、珍しくその場で食べ始めた。
ガツガツと肉を食いちぎる二匹に、トールは少しだけ頬を持ち上げる。
その横でようやく事態を把握したソラが、一緒に屈み込んで猫たちの食事風景を興味深そうに観察し始めた。
「あいつらって、この子たちのことだったんだね」
「ああ、ここでよく餌をやってたんだが、ちょっと間が空いてな」
「そーなんだ。ほーれ、おいしい? お姉ちゃんも運ぶの手伝ったんだぞ」
そう言いながらソラは、肉を貪る猫の背中にひょいと手を伸ばした。
「おい、食事中にさわるな。嫌がるぞ」
「うん? でも、よろこんでるよ」
「なっ」
食べながらお尻を持ち上げ、ゴロゴロと大きく喉を鳴らす縞猫の姿に、トールは我知らず小さな声を上げた。
前にトールが撫でようとした時にみせた、毛を逆立てて低く唸り声を上げた姿はどこにもない。
「うっふふ、なかなか。うんうん、なかなか」
「おい、あまりしつこくするなよ、ソラ」
「うん? 君もなでてほしいの?」
「なっ」
黒猫が少女の足元にすり寄る姿に、トールはまたも鋭い声を発した。
ソラにさわられた黒毛も、甘えるように喉を鳴らしだす。
半年以上、餌をやり続けてようやく懐かれた日のことを、無表情な顔になったトールは淡々と思い出していた。
そんなトールの様子を気にもとめず、ソラは懸命に肉をほおばる猫の背に触れながら含み笑いを漏らす。
「ふふふ、ねー、とてもおいしそうだね、この子たち」
ピタリと二匹の喉鳴らしが止まった。
トールも黙ったまま、ソラを凝視する。
雰囲気が変わったことに気づいたのか、顔を上げたソラはそこでようやく自分の失言に気づいたようだ。
あわてて取り繕うように言葉を続ける。
「うそうそ、じょうだんだよー。……もっと太らせたほうが、おいしいんだよね」
田舎育ちの少女には、猫も山羊もあまり大差はなかったようだ。
そっとソラの手から背中を外した二匹は、肉を咥えたままトールの足元へと移動した。
ちょっとでも少女から、距離を空けるように。
内心の喜びを隠しながら、トールは手を振ってソラに離れるよう命じる。
不満げに唇を尖らせた少女は、立ち上がって路地の奥へブラブラと歩き出した。
「ふーんだ。やせてるの食べても、おいしくないのにねー」
邪魔者を追い払ったトールは、屈み込んで肉を貪る黒猫の背中に優しく手を伸ばす。
バシッと叩かれる。
もう一度伸ばすと、渋々といった感じで触らせてくれた。
大きく頷いたトールは食事の邪魔をしないよう気をつけながら、軽く指先で毛先をかすめる程度に撫で回す。
「ねーねー、トールちゃん。なんかへんな感じがするよ」
「後にしてくれ」
「わかったー」
暇を持て余したソラの声を、黒毛に夢中なトールはあえて無視する。
調子に乗ったトールは、虎縞にも手を伸ばした。
肉がよほど気にいったのか、縞猫は気にすることもなく撫でさせてくれる。
「ねー、トールちゃん。なんかこれ、おもしろいよー。誰かにのぞかれてるみたい」
「後だ」
「はーい」
二匹の猫との触れ合いを楽しんでたトールは、チラリと目の端に映った光景に思わず顔を上げた。
それは路地の奥から、何かをズルズルと引っ張りだすソラの姿だった。
「あっ、トールちゃん、みてみて。なんかつかまえたよ」
「なっ」
ソラが両手で捕まえていたのは、ジタバタと動く黒っぽい塊であった。
猫にしては大きすぎる。
あと手足も長い。
それに汚いぼろ切れのようなものを体に巻きつけていた。
どう見てもそれは、人間の子どもだった。
「奥のほうでうずくまってたよ。ここらへんの子かな」
子どもはなんとかソラの束縛から抜け出そうとしてるが、力が入らないのかじゃれているようにしか見えない。
暴れるたびにボサボサに伸びた髪が揺れ、通りから差し込むわずかな灯りがその下の紫色の瞳を浮かび上がらせた。
その見覚えのある大きな目に、トールは思わず声を漏らす。
「お前、まさか三匹目か?」
どんなに呼びかけても、姿を見せなかった最後の一匹。
いつかその臆病な猫を撫でることが、トールのささやかな望みだったのだが。
その正体が小汚い子どもであったことに、トールはガッカリした顔になる。
ソラに掴まれたまま、子どもは真顔で声を張り上げた。
「ムーを食べても、おいしくないぞ!」
「食べないよー。名前、ムーっていうの?」
「さっき、おいしそうっていってた!」
自分の言葉に反応したのか、子どもの腹が小さく音を立てる。
「お腹すいてるの? ムーちゃん」
「ほら、もう放してやれ」
呆れたように促しながら、トールは背負い袋の中からリンゴを取り出した。
空腹になりやすいソラのために、手をつけず残しておいたものだ。
リンゴを差し出すと、解放された子どもは鼻を突き出して匂いを嗅いでから、いきなりガブッと噛み付いた。
そして息継ぎもせず熱心にかぶりつき、またたく間に芯まで食べきってしまう。
そのまま地面に四つん這いになって、猫たちに混ざって生肉を食べようとしたので、トールが首根っこを掴んで持ち上げる。
「もしかしてお前、ずっと猫の餌、食べてきたのか?」
「これ、ムーたちのごはんだぞ!」
「せめて焼いてから食え。親は?」
質問の意味が分からなかったのか、子どもは首を横にブンブンと振った。
数ヶ月は洗ってなさそうな頭から、すえた臭いが溢れ出す。
顔をしかめたトールは元の位置に戻してやろうとして、ソラの訴えかける視線に気づいた。
日も暮れたこの時間に路地裏にいて、猫と餌を分け合っている。
親の名前を言えない。
ボロボロの衣服に裸足で、長く風呂に入ってない体臭。
確実に浮浪児だろう。あまり珍しくはない存在だ。
相手にしてたらキリがないし、面倒を見るなどもっての外である。
だが街の生活に慣れてない少女に、その辺りの事情が理解できるのはもう少し先の話だ。
ソラにとって村の住人はすべて顔見知りであったし、困っていれば助け合うのも当然であった。
しばし子どもの首を掴んだまま考え込んでいたトールは、根負けしたように大きくため息をついた。
「……大家さんに聞いてからだぞ」
「うん! よろしくね、ムーちゃん」
「ムーをどーするきだ?!」
「えーと、もっとおいしいもの食べたくない?」
腹の虫が代わりに返事をする。
「よし、決まり。わたしはソラ、このカッコいい人はトールちゃんだよ」
「ソラ!」
「そうそう、ソラおねーちゃんて呼んでごらん」
「ソラねーちゃん!」
「うん、上出来上出来。じゃあ、こっちはトールちゃんね」
トールをジッと見上げながら、子どもはゆっくりと口を開いた。
「…………トーちゃん?」
「なんでだよ。なんでルを抜かすんだよ」
「トーちゃん!」
「いや、トールだ。その呼び方はやめろ」
「トーちゃん、はらへった!」
「おい、くっつくな。離れろ」
汚い子どもに抱きつかれたまま、トールはもう一度、深々とため息をつく。
足元では食事を終えて満足した猫たちが、毛づくろいを始めていた。




