迷宮主、序戦
「なかなかの眺めだな」
「うわー、おっきな蟻だね。しかもいっぱい!」
「キラキラだなー、トーちゃん」
「あれが大瘴穴ですか。本当に禍々しいとしか……」
全身を輝かせる金剛蟻の数は七体。
部屋の奥に覗く黒い巨大な根を守るように、扇状にずらりと広がって侵入者を待ち構えている。
「一気に出してきやがったですね。こっちを殺す気満々ですよ」
「でも、切りがないより、分かりやすいといえば分かりやすいじゃない」
「そうですね。向こうも後がないといった感じがします」
「ふ、我のために全ての力を振り絞ったか。それでこそ、倒しがいがあるというものだ」
「王子、こないだギリギリ一匹倒せただけじゃないですか。そんな大口叩いてますと、次は間違いなく死ぬですよ」
「あれは過去の我であり、今の我ではない。生まれ変わった我が威光の前に、心胆寒からしめるがよいぞ」
前回、手酷い撤退を経験したはずの"白金の焔"の面子に怯む様子が微塵も見えないことに、トールはそっと唇の端を持ち上げた。
だからこその金剛級なのかと納得しつつ、作戦の相談を持ちかける。
「ストラッチア、<炎転示罪>で、あれの殻が分離するまで耐えられそうか?」
金剛蟻の特徴は、その強固な外殻だ。
最高の硬度を誇り、熱だけでなく状態の異常にも耐性を有している。
さらに等間隔で放たれる輝きは、近づいた者の高まった闘気や掛けておいた強化の魔技までも霧散させてしまう。
そんな強力な外装だが、一定のダメージを受けると本体から離れ、大量の小型の金剛蟻へと変化する。
前回は押し寄せる蟻の群れをニネッサの上枝魔技で一掃し、窮地をしのいだのだが、今回はそれが七匹分という困難さである。
しばし眩く輝く蟻どもを眺めていたストラッチアは、わざとらしく肩をすくめた。
「ふむ、一分と持たぬな」
「やはり無茶か」
<炎転示罪>はあらゆる物理的な攻撃をいなし無効化できる上級武技だが、溜めておいた体内の闘気を少しずつ消費する型のため非常に相性が悪いといえる。
「ニネッサ、<百火燎乱>だけで、殻を剥がすことはできるか?」
「<因果返報>なしでは、おそらく無理ですね。ヒビさえ入らないかと」
一匹ずつの登場であれば持久戦に持ち込めるため、トールの<復元>さえあれば長時間、耐え忍ぶことも余裕のはずであった。
それを見越しての作戦を考えていたのだが、やはり大瘴穴は甘くないといったところである。
数人で対処してやっとどうにかなる相手に数を揃えられると、打つ手がほぼなくなってしまう。
圧倒的な数の暴力の前に、トールは黙って顎の下を掻いた。
初手に最大の攻撃を仕掛けてきたのであれば、それを何とか耐えしのぎ一匹ずつ数を減らしていけば勝機は芽生えてくるかもしれない。
ただ問題は、七匹もの迷宮の主を前に耐えきれる盾が存在しないことである。
「…………いや。ならいっそ、まとめてやれば良いのか」
勇ましい掛け声とともに、ムーが<雷針>と<電棘>を発動させる。
負けじとクガセが続けざまに<地解>と<硬刃>をストラッチアとトールに施していく。
ソラが深呼吸して杖を握りしめる横で、ラムメルラがその背中を落ち着かせるようにさする。
左右に分かれて立つユーリルとニネッサが、互いの目を合わせて静かに頷いた。
「いくぞ」
「我の勇姿、その目にしかと焼き付けよ!」
トールの声に応えて飛び出したのは、凄まじいほどの闘気を溜め込んだストラッチアであった。
大地を蹴りつけ、七匹の巨大な影に堂々と挑みかかる。
いきなりの無謀な挑戦者に、迷宮の主どもは侮りの色を一切見せず無機質に迎え撃つ。
一糸乱れぬ整然とした動きでまたたく間に赤毛の剣士を取り囲み、その身を噛み砕こうと次々と顎を開いた。
一匹目の顎がその身を捉える寸前、ストラッチアは高々と叫んだ。
「さあ、我が双剣の前に貴様らの罪を示せ! ――<炎転示罪>」
渦巻く白い炎が吹き上がり、またたく間に剣士の全身を包み込んだ。
白炎を纏った体が円を描き、突き出された両の剣が蟻どもの噛みつきをことごとく弾き返す。
独楽のように回り続けるストラッチアを見つめながら、ニネッサはその双眸を真っ赤に光らせた――<心意炎昇>。
同時にその赤い唇から、炎神への祈りの言葉が静かに漏れ出す。
「天焦がす輝きの樹よ。今こそ、その炎威の枝を揺らし、紅焔の葉を広げし時が訪れり……」
だが蟻どもは、悠長に待ってくれるような生易しい相手ではない。
数合の斬り合いで火花を飛び散らせたあと、最初の一匹がその身から打ち消しの光を放った。
その寸前、トールが動いていた。
トンッと、軽く地面を蹴る。
その音を置き去りにするように、すでに数歩先を疾風と化した身体が駆け抜ける。
金剛蟻の群れに一瞬で入り込んだトールは、闘気を失い黒く染まるストラッチアの鎧へ手を伸ばした――<復元>。
即座に白い炎が燃え上がり、赤毛の剣士は再び二枚の刃を旋回させた。
硬い音が響き渡り、巨大な顎が方向を転じて目標を見失う。
そこへ――。
「灰燼をもたらす火葬の弔花よ、舞い咲き誇れ――<百火燎乱>」
頭上に浮かび上がった幾つもの花の形をした炎塊が、炎使いの指し示す方角へといっせいに飛び立つ。
金剛蟻の一匹にぶつかった花は舞い散り、無数の超高熱の花びらをばら撒く。
次々と猛火が咲き乱れ、モンスターの体表を焼き尽くしていく。
だが事前の予想取り、その熱の大半は輝く外殻を滑り落ちていってしまう。
静かに息を吐いたニネッサは、銀の髪を揺らめかす氷使いへと呟いた。
「前座が場を温めておきましたよ。さぁ、どうぞ」
耳先を器用に回して了承を示したユーリルは、灰色の氷晶石を戴く神官杖を優雅に宙へ差し出す。
<魔力注入>で限界まで注ぎ込んだ不可視の力を、遠慮なく解き放つ。
「月光よ、結べ――<月禍氷刃>」
とたんにポッカリと真円状に切り取られた空間が、金剛蟻たちの頭上に現れた。
その中空の穴から溢れ出したのは、貫くような銀の光であった。
あっという間に銀光はモンスターの体を覆い尽くし、全ての動きを止めながら凍らせていく。
しかし蟻の内部には、先ほどの超高温に包まれた影響がたっぷりと残っていた。
膨張しようとする内の力に対し、縮もうとする外殻。
超高熱と超低温という相容れぬ関係はあっさりと破綻し、大きな亀裂を生んだ。
無数のヒビ割れが生じ、次々と金剛石の殻が砕け落ち出す。
「おー、やったぁ!」
「ゆでたまごみたいだなー、ソラねーちゃん」
「ムーちゃん、卵好きだよね」
いつの間にか張られていた薄い水の膜を通して、ソラとムーがのん気に会話を交わす。
呆れたように息を吐くクガセの隣で、赤毛の魔技使いはすでに次の大技へ取り掛かっていた。
「炎樹の葉よ、散りて惑わせ――<一騎灯千>」
詠唱の終わりと同時に、ストラッチアの体が幾重にも分裂していく。
生み出された幻影がさらに幻影を生み、無数のストラッチアが高笑いしながら高速で回転し続ける。
そこへ殻の破片から作り出された大量の蟻どもが、次から次へと押し寄せた。
幻影が生まれる速度を上回る勢いで群がるモンスターに、数多のストラッチアがまたたく間に消されていく。
しかし時間は十分に稼げたようだ。
いつの間にか戻っていたトールに、魔力を完全に戻してもらったニネッサがまたも真っ赤な瞳で詠唱を終える。
「――<百火燎乱>」
再び咲き乱れる炎渦の嵐に、小さな金剛蟻は為す術もなく飲み込まれていく。
そこへ止めとばかりに、ユーリルも魔力を解放した。
「――<月禍氷刃>」
あらゆる物を凍てつかせる冴え冴えとした光が、七匹の主と無数の蟻とストラッチアをまとめて照らし出す。
小型の金剛蟻どもの透き通る殻の内部に、不規則にヒビが生じ光を乱反射して美しく輝く。
次の瞬間、いっせいにモンスターたちは砕け散った。
キラキラと舞い散る金剛石の断片に、ソラとムーが感嘆の声を上げながら手を叩く。
どうやら上枝魔技の四連続発動という、豪華かつ無茶苦茶な作戦は無事に功を奏したようだ。
相手が初っ端から全力を出すなら、それに耐えきるのではなく、こちらも全力を出す。
果断の剣筋を好むトールらしい考えである。
そしてそれは、予想以上の効果を発揮した。
しかし、まだ全てが終わったわけではなく、ここでようやく半分である。
きらびやかな外殻を失った七匹の主たちは、ゆっくりと身じろぎした。
残った破片が滑り落ち、漆黒に染まる新たな殻がその下から現れる。
第二幕の開演を知らせる耳障りな翅音が、深い深い地の底で鳴り響いた。