四層、そして五層へ
宝玉蟻の巣は、四層でまたも様変わりを見せた。
通路はさらに幅広くなり、天井もより高くなる。
そして住民たちも、その広さにふさわしい大きさを示し始めた。
この層から琥珀蟻や乳石蟻などの小型蟻たちの姿が消え、代わりに二種類の大型蟻が現れる。
一匹目は緑玉蟻。
美しい深緑色の胴体は、琥珀蟻の約三倍の体長を誇る。
さらにこのモンスターの特徴は、その球状に膨らんだ腹部だった。
異様に大きなこの部位には甘い蜜が大量に蓄えられており、それを他の蟻に与えることで状態の異常や疲労を回復させる習性を持つ。
さらに緑玉蟻の唾液には、外殻の破損を修復する働きまであった。
いわば、蟻どもの水使いに相当する役割を担っているのだ。
もう一匹は黄玉蟻。
こっちは色違いの対のように、見た目も大きさも緑玉蟻とそっくりである。
だがハッキリとした違いは、その黄金色に透き通る腹嚢に蓄えられているのが厄介な液体だということだ。
この蟻は、腹端から溜め込んだ蟻酸を吹き出して攻撃してくる習性を有していた。
蟻が体内で作り出すこの酸は、皮膚に付着すれば酷い火傷のような症状を引き起こす代物である。
新たな大型蟻が参戦したことで、よりモンスターどもの陣形は完成に近づく。
翡翠蟻が頭部の盾で攻撃を受け止め、石英蟻が棘を震わせて攻撃を妨害する。
そして硬い外殻が割れれば緑玉蟻がすぐに補修し、後方に潜んだ黄玉蟻が危険な酸を吹き付ける。
互いの役割を本能的に理解している蟻どもの動きは、ベテランの冒険者たちに比肩しうるほどであった。
対してこちらは、ストラッチアの剣の冴えが一段と増した。
白い斑点が浮かびだした龍の牙の刃は、やすやすと美しい色をした蟻の外殻を切り裂いていく。
さらにクガセも、この層から前に出るようになった。
「大いなる地樹の支え手よ、授けるですよ。空、彷徨えるものに重き碇をです――<磁岩盾>」
空中を飛来する攻撃を全てその身で引き受けてくれる岩が、酸弾をまたたく間に吸い寄せる。
その隙に<地解>を多重に施した少女の体は、あり得ない速さでモンスターへ接近した。
金剛鉄の籠手に覆われた拳の一撃が、鮮やかな踏み込みとともに黄玉蟻の腹部に吸い込まれる。
澄んだ音が鳴り響き、その内部に稲妻のようなヒビが走った。
そして次の瞬間、丸く膨らんでいた腹が粉々に砕け落ちる。
とてつもない硬さを誇る宝玉蟻の外殻だが、一部の蟻はこのように強い衝撃を腹端に与えると内部亀裂が起こるのだ。
もっともそれを行うには、間近で恐ろしい酸を浴びる覚悟が必要であるが。
「あ、あちちち!」
軽やかに跳び退ったクガセであるが、激しく撒き散らされた酸をすべて避けきれなかったようだ。
<衛命泡>の守りで幾分かは防げたようだが、少しだけ浴びてしまったらしい。
しかし、それくらいでは少女の動きは止まらない。
さらに追加で二体の緑玉と黄玉を破壊してみせる。
その間にストラッチアが翡翠の盾と石英の棘を叩き切って、あっさりと残りを片付けた。
得意さが溢れんばかりの顔で戻ってきたクガセは、手にした物をトールへ差し出す。
少女の手のひらの上で輝いていたのは、美しい緑色と黄色の宝玉たちだった。
「ほら、見るですよ。これ一個で銀貨三枚もするです」
「ほほう、お高いな」
トールが受け取ろうと手を差し出すと、少女はニッコリと微笑んで自分の腰帯の袋に戦利品をしまい込む。
どうやら、見せびらかしに来ただけのようだ。
その辺りも紫眼族の子どもとそっくりである。
「なに、じゃれてんのよ。ほら、回復するわよ。生命の樹の御主よ。彷徨いし子らの渇きを、どうぞ潤しください――<回生泉>」
ラムメルラの魔技で温かな感触が体内へと広がり、失われた体力がたちまち戻ってくる。
すでにダンジョンに突入してから、六時間が経とうとしていた。
だがまともに休憩できるような場所もないため、この体力を癒やす<回生泉>は一行に欠かせない存在だった。
もちろんトールの<復元>でも体力を戻せるが、使用可能回数が八回に減ったため、今は魔力を戻す時だけしか使えないのだ。
それに体力が減りやすい理由は他にもあった。
ちらりと覗いた自分の技能樹の根元の眺めに、トールは思わず顎の下を掻く。
魔力の回復を遅らせる<魔力不良>に、体の抵抗力を下げる<抵抗弱体>。
魔技の使用可能回数を減らす<回数制限>に、この四層では体力の上限と回復を引き下げる<体力低下>ときた。
よくぞまともに戦い続けられるなと、改めて感心する。
やはり、大勢の中から厳選されてきただけのことはあるようだ。
「あ、さっきちょっと火傷したでしょ、クー。治すから出しなさい」
「はいはい、ラムちゃんは優しいですね。いつも無料でありがとうです」
「もう、無茶するなとは言わないけど、怪我したらさっさと言いなさいよ――<水癒>」
少女の引きつれた皮膚の有り様に、トールは路地裏に隠れ住んでいた子どもらの顔を思い起こす。
あの酷い火傷の正体は、この街に入り込んだ蟻どもの仕業であった。
ボッサリアの境界街を襲った悲劇は、たった一匹の蟻が引き起こしたのだと語られている。
以前から街に近い丘陵地帯には、石殻蟻の巣穴と呼ばれるダンジョンがよく発生していた。
ダダンの境界街で言えば、小鬼の洞窟に相当するレベルの難易度である。
通常、ダンジョンは瘴気によって形成されるが、一度出来上がってしまうと構造に大きな変化は起こらない。
だがまれに、それに手を加える例外的なモンスターが存在する。
脆い石の外殻を持つ蟻たちもそうであった。
迷宮主が倒され瘴穴が閉じられると、ダンジョンは自壊し内部のモンスターも道連れになる。
しかし討伐から漏れた一匹が、たまたま深く穴を掘って生き延びてしまう。
こうして迷宮主は倒され続けダンジョンは次々と消滅していったが、一部の蟻は消えずに残り続けたのだ。
やがて地中を掘り進んだ蟻どもは、街の底部へと達する。
そこに隠されていたのは、かつて英傑たちが封印を施した大瘴穴であった。
"昏き大穴"へ通じる地脈から溢れる大量の瘴気を浴びたモンスターは、恐るべき宝玉蟻へと変化を遂げる。
そして危険な巣を、ボッサリアの境界街の真下に張り巡らしたのだ。
その後の惨劇は詳しく語るまでもない。
残っているのは、蟻の穴から壁も破られるとの言葉だけである。
しかし、その脅威はまだ終わりを告げていない。
上下層の移動だけなら、蟻たちは狭い縦穴を使えばいい。
それにそもそも縄張りがあるため、層をまたいで移動する必要もないのだ。
大量の蟻が歩きやすい広い通路や斜面が存在する理由は唯一つ。
地下深くで生み出された大型の蟻どもを、地上に速やかに送り出すためである。
つまり蟻たちは、次の目的地を虎視眈々と狙っているのだ。
四層を無事に通り抜けたトールたちを待ち構えていたのは、<成長阻害>の呪縛と行き止まりの大きな部屋であった。
五層に存在するのは黒くポッカリと穿たれた瘴気の穴と、それを守る二匹の巨大な蟻だけである。
広々とした空間は、唸り声のような耳障りな音で満たされていた。




