侵入呪詛
「炎樹の梢より来よ――<幻灯>」
ニネッサの言葉とともに、白く輝く球体が宙に現れた。
<幻灯>は炎精樹では珍しい補助系に属しているが、下枝スキルながら色々と応用が利く魔技である。
特にダンジョンでは燃料いらずな上に、自在に位置を変えられる明かりとして重宝されていた。
ふわりと浮かび上がった鶏卵ほどの光球は、地面にポッカリと空いた穴に近づき奥を照らし出す。
どうやら中で待ち構えるモンスターの姿はないようだ。
土人形が蟻の大群を引き付けてくれている間に、さっさと逃げ込みたいところだがそうもいかない。
「生命の樹の御主よ。どうか、招かれざる災いを退けください――<衛命泡>」
視界の確保が終わると同時に、続いてラムメルラが祈句を唱え始めた。
こちらは肉体の異変を、ある程度防いでくれる水精樹の魔技だ。
水使いの少女は詠唱の終わりに、大きな涙滴型の雨晶石がついた杖を高く掲げる。
とたんにトールの体表を、湿り気のような何かが覆っていく感触が伝わってきた。
本来であれば一人にしか効果のない魔技なのだが、特製の神官杖により範囲内の全員が恩恵を受けられるようになっているのだ。
準備を手早く整えた一行は、<幻灯>の光を先頭に斜めの穴を下り出した。
ここまでに祈句以外は誰一人、無駄な言葉を発していない。
下り坂は三十歩ほどで、水平に切り替わった。
穴の底、第一層の最初の場所は、少し大きめの部屋のようであった。
床や壁は土を塗り固めてあるらしく、軽く蹴ってみたが崩れそうな感触はない。
天井は飛び上がれば何とか指先が届きそうな高さで、こちらも滑らかに仕上げられていた。
トールの知る唯一のダンジョン、小鬼の洞窟とはかなり造りが違っているようだ。
白い光が届く範囲には、モンスターの姿は見当たらない。
ただ数箇所に枝分かれした通路らしきものは視認できた。
振り返ったトールは、降りてきた穴を見上げた。
脆い土の巨人はとうに分解されてしまったようだが、坂を下って蟻が迫ってくる様子はない。
これは、それぞれの蟻に棲息域が定められているせいらしい。
そのため、階層を移動してしまえば簡単に追跡を振り切ることも可能だ。
そしてその安易な逃げ道こそが、このダンジョンの最大の罠でもあった。
パチンと泡が弾けるような音とともに、トールの体を覆っていた感覚が消え失せる。
<衛命泡>が発動し、体への異常の発生を防いでくれたのだ。
階層を下降するごとに、心身に何らかの異変を不規則に生じさせる。
この侵入呪詛と呼ばれる罠こそが、前回、ダダンの境界街が誇るAランクのパーティ"白金の焔"を大いに苦しめた呪縛であった。
精神や身体への異常は階層を下りる度に発生し、深くなるにしたがってその数は増していく仕組みらしい。
つまり先へ進めば進むほど、邪魔な足かせが増えていくようなものだ。
ただし普通の状態異常であれば、癒やしを司る水神アルーリアの加護を持つラムメルラなら元の状態に戻すのは難しいことではない。
それに先ほど、トールを守ってくれた身代わりの泡のような手段もある。
しかし彼女ほどの高位の魔技使いでも、治せない異常が存在した。
それこそがかつてユーリルを長らく苦しめた、技能樹に特性として付加されてしまう根源呪詛だ。
もっともここの侵入呪詛は一時的なもので、ダンジョンから離れればあっさり消滅するらしいが。
「うーん、一層目から外れを引いたっぽいですね。魔力が戻る感覚がまったくないですよ」
しばし集中するように目を閉じていた茶角族の少女は、残念そうな口ぶりで言い放った。
あれほど巨大な土人形を召喚したので、かなりの魔力を消耗したようだが、回復する気配がないということだろう。
これは<魔力不良>と呼ばれる呪詛で、魔力の回復が著しく遅くなるという特性だ。
魔技使いが主体のパーティでは、ほぼ詰んだと思える状況である。
前回、四層目でこれに当たってしまったストラッチアらは、高価な魔力回復薬をがぶ飲みして乗り切ったそうだ。
「うむむ、本当ならおさわり一回で銀貨一枚は取りたいところですが、その……お願いするですよ」
じいっとトールを見つめながら、クガセは少しだけ顔を強張らせて手を差し出してくる。
事前の打ち合わせで、こうなった場合はトールの<復元>の出番だとあらかじめ決めてあった。
トールがその手を握り返そうとした瞬間、不意に誰かがクガセの背後から顔を出した。
悪戯っぽい表情を浮かべたニネッサは、いきなり少女のくびれた腰に手を回す。
驚いて振り向こうとしたクガセの頬に口を寄せた赤毛の美女は、からかうような口調で話しかけてきた。
「ふふふ、ねぇ、じゃあ金貨一枚ならどこまでさわっていいの?」
「ちょっ、止めるですよ、ニネ姐さん」
「えー、お金払ったら、好きなだけさわっていいんでしょ」
「それは言葉の綾ですよ。あっ、もう!」
背後からクガセを柔らかく拘束したニネッサは、意味ありげにトールへ片目をつむってみせた。
どうやら少女の緊張をほぐすために、わざとからかっているようだ。
背中に気を取られているクガセの手に触れたトールは、素早く少女の体を着陸前に戻す。
「ちょっと、どこに手を入れるんですか!」
「ほら、終わったぞ」
「えっ?」
「あら、もうおしまい?」
あっさりと手を放したニネッサは、蠱惑的な笑みを浮かべたまま問いかける。
「どう、魔力は?」
「あれっ、戻ってる……ですよ。…………えっ?」
「本当に!?」
横からちらちらと成り行きを眺めていたラムメルラも、焦った口ぶりで会話に参加してくる。
「完璧に回復してるですよ。す、すごいですよ」
「………………うそ。あの一瞬で……全部?」
「う、うん。満たんですよ……」
対象的な二人の少女は互いの目を合わせた後、トールの顔をしげしげと眺めた。
それから、少しだけ棘を和らげた言葉で褒め称える。
「おっちゃん、中々ですね。見直したですよ。これでかなり節約できるですよ!」
「驚いたわ。あの王子が連れてきたにしては、まともに使える人間だったのね」
「ふっ、異端はいつの時代も理解されないもの。だが恐れるな、トール。時代など所詮、凡愚の語る代物だ」
「さて、お喋りはそれくらいにしましょうか。王子?」
ニネッサの言葉に頷いたストラッチアは、腕組みをしたまま部屋を見回す。
そしておもむろに眼帯を持ち上げると、鋭く奥へ延びる通路を睨みつけた。
「我が呪われし魔導の眼よ、真実の道を指し示せ!」
「右から二番目よ、王子」
なぜか道を示したのは、ストラッチアの左目ではなく呆れた顔のラムメルラであった。
パチリと眼帯を戻した王子は、大きく頷くと通路の先へと歩みだした。




