幕間 遠方からの便り
虚無の大穴が穿たれた央国。
その西方に、森林に覆われた広大な土地が存在した。
樹々溢れる地を治めるのは、雷神ギギロを崇める紫眼族の国家――ハクリ。
民の多くは林業や製紙業を生業とするが、家具や楽器作りなどでも有名である。
また樽でじっくり寝かせた蒸留酒や、キノコの名産地としても知られている。
だが豊かな森の恩恵を授かるこの国の賜物でもっとも名を馳せているのは、各地の法廷を預かる審理師の存在であった。
ハクリの南東に位置する神宮の都ディン。
巨木を基礎に用いた階層構造の都市は、白波川の河口近くに位置する水利の良さもあって行き交う人の流れが絶えることはない。
その巨大な都に足を踏み入れれば、否応なしに目に飛び込んでくるのが中央にそびえ立つ白亜の尖塔だ。
雷神の落とす裁きの雷槌を模したと言われる、その塔の名は大法廷神殿。
ここで下される裁定こそが、神の審理にもっとも近いとされる。
その最上階に近い一室に、法王と呼ばれる男が座っていた。
歳は五十歳前後。
短く切り揃えられた金色の髪の頂には、稲妻状の飾りが並ぶ冠が輝く。
均整の取れた身体は、白い法衣と紫色の毛皮のマントに包まれていた。
テーブルに向かい書簡を整理していた男は、ふと一通の手紙に目を留める。
封蝋に印されていたのは狼の横顔。
急ぎの知らせを示す証だ。
レターナイフで切り取り、中身を確認する。
差出人はザザム。
境界街で梢を担う人物からの密書を、男は理知的な眼差しでじっと眺める。
そしておもむろに読み終えた手紙を、指で挟んだまま軽く持ち上げた。
パチッ。
親指と中指が擦れあって音を立てた瞬間、その狭間から火花が飛び出す。
たちまち放たれた紫の雷は、紙に飛び移り黒く焦げた穴をうがっていく。
手の中で失われていく手紙を見つめながら、男は静かに言葉を発した。
「…………また随分と幼い獣の巫女候補だな」
それに遡ること数日。
遥か北の地でも、興味深い知らせを受け取った集団がいた。
央国の北に位置する大国ストラは、国土の半分が氷と雪に覆われた大氷原で占められる。
資源も乏しい極寒の地であるが、住民たちはその寒さを巧みに利用する知恵を持ち合わせていた。
低温であればあるほど、魔石具の製作には適しているのである。
研究塔と呼ばれる建物の最上階。
分厚いガラスで包まれた半円形の部屋の中央には、大きな水晶体が浮かんでいた。
その周囲には灰色のローブ姿が数人。
稀に放たれる輝きを読み取ろうと、結晶体へ目を凝らしている。
この世界で最も速い連絡手段は、翠羽族の交易神殿が有する飛鳥便だと言われている。
しかしながら、それは真実ではない。
すでに灰色の長い耳を持つ彼らは、密かに世界中をつなぐ通信機関を作り出しつつあった。
氷鏡と呼ばれる中継機を使い、光の反射を利用して遠方とつながる手段を発明したのだ。
もっとも天候の影響が大きいうえ、長い文章や細かいニュアンスを伝えるのもまだまだ難しい状況であるが。
不意に覗き込んでいた一人が、ペンを持ち上げてカリカリと単語を書き取り始めた。
「ダダン……境界街…………子ども……混交樹……生存可能……確認と」
「ほほう、それは興味深い」
「ええ、珍しいですな。さっそく賢人会議へ回しておきましょう」
書き留めた単語を文章に仕立て直したものが、灰色のローブの一人に手渡される。
その書類の末尾にある発信者の欄には、オーリンドールという名が記されていた。