嵐の結末
先ほど、ムーの眼を通して見えたユーリルの指の数は、折返して八本目であった。
すでに戦況は、終盤にさしかかっている。
ガルウドの背後に身を潜めながら、トールは白い息を荒々しく吐いた。
動き回っているせいでマシではあるが、周囲の寒さはかなり危険な状態になりつつある。
もっとも傷口から噴き出た血が、すぐに固まってくれるのはありがたいが。
前方から飛来する石つぶては、ことごとく盾士が防いでくれている。
だが、地面にぶつかって不規則に跳ね回る物までは防ぎようがない。
すでにトールの身体のあちこちは、打ち身と裂傷だらけになっていた。
よく滑る鱗地の革鎧でなければ、もっと酷いことになっていたであろう。
トールは心の内で、防具屋の店主の腕前に感謝の言葉を呟いた。
それと、密かに打撃を和らげてくれているムーの支えにも。
普段であれば、とっくに<復元>している状態ではある。
が、今はそうもいかない。
腕を伸ばしたトールは、前に立つガルウドの肩甲に軽くふれた。
体を硬く強化するだけの<石身>と違い、中枝スキルである<鉄塊骨>は熱や冷気への耐性も付与してくれる。
おかげでこの凍てつく空気の中でも、普段と変わらぬ動きはできているようだ。
だが、その身を覆う鎧兜は別である。
特に風に逆らってガルウドが持ち上げる大きな盾からは、硬く鋭い音が絶え間なく響いてきていた。
素早く確認を終えたトールは、鎧は諦めて長盾だけを新品の状態に戻す。
これで<復元>の残り使用可能回数は六となった。
まだ少しだけ余裕はあるが、倒した後の警戒も考えるとそろそろ追い込みに取り掛かるべき数字だ。
剣の柄を握り直し、白い砂煙の向こうを窺うトール。
その耳に、不意にガルウドが発した悪態が飛び込んでくる。
「くそっ! ここでか!」
ほぼ間を置かずして、真上からの突風に二人は地面へ強く押し付けられた。
身に覚えのある激しい空気の動き――破れ風だ。
最悪のタイミングである。
いきなり襲いかかってきた大風は、身動きできないトールたちの上で荒れ狂った。
猛り暴れる風の波に身体を持っていかれそうになった二人は、必死で地面に身を伏せる。
わずか数秒足らずの時間。
だがそれは、恐ろしく長く思えた。
唐突に静けさが戻ってきたことに、トールは気づく。
耳元で轟々と鳴り響いていた風の音は、いつの間にか消えていた。
あれほど冷え込んでいた空気も、今は砂とともに跡形もなく失せている。
顔を上げたトールは、固唾を呑んだ。
視界を埋め尽くしていたのは、立ち塞がる巨人の姿だった。
しかも、その胴体から突き出す竜巻の腕は、両方とも根元で二つに枝分かれしていた。
四本に増えた腕を、嵐砂の巨人は高々と持ち上げた。
その全身から甲高い風切り音が、長々と鳴り響く。
群れの数が増えすぎた場合、モンスターは群生相という特殊な形態に変わる時がある。
それと同様、追い詰められた上位のモンスターは、まれに狂乱相と呼ばれる変化をとげる。
どうやらそれが、眼の前のモンスターにも起こったようだ。
立ち上がったガルウドとトールは、肩で息をしながら天を衝く巨人の体躯を見上げる。
ここまで積み上げてきたものは、あっさりと根底から覆されてしまった。
むしろ危険はこれ以上ないほど、高まっている。
退くか、進むか。
一瞬の勝負の分かれ目を、トールは躊躇なく選び取る。
それは二十五年間、独りで危険な目を掻い潜ってきた男が身につけた嗅覚であった。
周囲の状況を見とったトールは、まず自分の身体を最善の状態に戻す。
次に拳を突き出して、ガルウドの背中を強く叩いた。
同時にその肉体を、最大限まで闘気を満たした状態に<復元>する。
それは仕上げに入る合図であった。
即座に意図を理解した盾士は、全ての闘気を解放しながら絶叫を放つ。
――<不壊魂剛>。
鎧を内側から弾き飛ばすほどに、ガルウドの身体が一気に膨れ上がる。
この瞬間から一分間、盾士へのあらゆる攻撃は無効と化した。
魂を破壊するような闇技でさえ、今のガルウドには一切通用しない。
そして放たれる凄まじい威圧感は、否応なしにモンスターの敵対心を極限まで煽った。
足元でうごめく無視できない小さな存在へ、巨人は四本の腕をいっせいに振り上げる。
そのまま、まとめて叩きつけた。
寸前、トールは矢のように、盾の後ろから飛び出していた。
巨人の足元を目指して、窪地の底を疾走する。
竜巻の拳がガルウドごと地面を打ち、激しい突風が巻き起こる。
その風を背に受けて、トールは一息に加速した。
鮮やかに巨人の股下をくぐり抜け、破れ風のせいで砂の下から顔を出した岩山の一つにしがみつく。
そこがトールの目的地でもあった。
ありったけの集中力を駆使して、掴んだ岩の塊の過去、こうなる前の姿を探る。
そして魔力を惜しみなく注ぎ込んだ。
――<復元>。
次の瞬間、トールは窪地を見渡せる場所にいた。
足元には、白い岩山がそそり立っている。
砂嵐の化身であるモンスターに削られる前の状態だ。
そして眼前には身体を丸め、ひたすらガルウドを殴り続ける巨人の背中が広がっていた。
下からでも確認できたが、やはり胴体部分の厚みが明らかに減っている。
おそらく腕を四本に増やしたせいであろう。
これがトールの見出した勝機であった。
「冴え凍れ――<冴凍霧>」
渾身の武技を放ったガルウドの絶叫を、長い耳を持つユーリルが聞き逃すはずもない。
トールたちの動きを察した女性は、それに合わせて新たな祈句をすでに詠唱していた。
発生した真っ白な霧は、空中に広がり巨大なモンスターの背中を覆い尽くした。
空気が軋んだ音を立て、またたく間に凍りついていく。
「どうぞ、トールさん」
その機を逃さず、トールは力強く足元の岩を蹴った。
高く跳躍したその身体は、巨人の背中の真上へと到る。
全ての関心をガルウドに向けていたはずの巨人だが、狂乱相はそう甘くはなかったようだ。
真上に飛来した存在に反応して、巻き上げた石つぶてが次々と空へ撃ち出される。
凍った背部を突き抜けた石たちは、ヤマアラシの棘の如くトールに襲いかかった。
とっさに空中で、青縞模様のマントをひるがえすトール。
最大に高めた防御性能は、跳ぶ前から引き出し済みである。
さらにマントへ食い込む小石どもを、湧き出した小さな紫の雷の束が次々と弾き飛ばす。
<電棘>を忘れないという言いつけを、ムーがきちんと守っていたことに、トールは小さく頷いて剣を抜き放った。
「いけー、トーちゃん!」
ユーリルの魔技で、モンスターの上半身は完全に止まっている。
そのおかげで、胴体の内部まで容易く見通すことができた。
中心部に浮かんで見える黒い塊。
嵐砂の巨人の精霊核だ。
薄氷を突き破り、目指す場所へトールの剣が走る。
凍霧の呪縛は表層に近い部分だけだが、なぜか内部で渦巻くはずの風も動きが止まっていた。
――<固定>。
「今だよ、トールちゃん!」
飛び降りながら、風さえも断ち切る白刃が振り下ろされる。
カチンと澄んだ音が鳴り響いた。
一拍遅れて、黒い塊である精霊核が真ん中で半分にずれる。
同時に集っていた風が、全方向へと解放された。
その風に押されて、宙を跳んでいたトールの身体は下方へ加速する。
しかし、着地点にはすでに先客がいた。
盾を投げ捨て両手を広げるガルウド。
その腕がガッシリと、落ちてきた男を受け止めた。
防具が壊れ半裸状態で抱きあった二人の男は、しばしそのままで宙を眺める。
そしてモンスターが完全に消え失せたことを確認して、目を合わせると静かに互いの握り拳をぶつけ合った。
「……やってくれたな、トール。見事な伏せ駒ぶりだったぜ」
「ああ、なんとか片付いたな」
顔を上げると斜面の途中で、ユーリルたちが座り込んでいるのが見える。
トールの視線に気づくと、三人とも疲れ切った顔で手を振ってきた。
どうやら気力を使い果たしてしまったようだ。
「どこだ? どこにいる? セルセ!」
不意に響いてきた叫びに、トールは首をめぐらせた。
わずかに残った岩山に向かって、髭面の案内人が何かを捜すように声を発している。
無敵の武技の効果がようやく切れたらしく、その足取りはよろよろと覚束ない。
近づいて声を掛けようとしたトールだが、その脇を誰かが急に走り抜けた。
竪琴を抱えたサラリサだ。
奏士は窪地の真ん中近くまで行くと、軽やかに弦を爪弾いた。
"負音の調べ"――砂の密度を音の反響で聞き分けるという技法だ。
ただし今回、彼女が探していたのは安全地帯ではなかったようだ。
顔色を変えたサラリサは、岩山の残骸の一つに駆け寄る。
そして大事な竪琴を投げ捨てると、懸命に砂を掻き分け出した。
トールとガルウドが追いつくと、ちょうどサラリサは何かを掘り当てたようであった。
近づくとそれは明らかになる。
砂の下から現れたのは、誰かの頭蓋骨だった。
枯れた草のような物が、その虚ろな眼窩にへばりついている。
それに気づいた瞬間、ガルウドが絞り出すように声を発した。
「ああ、やっぱりか……。やっぱり、遅かったか」
サラリサは何も言わず、砂をどけていく。
露わになった白い頸骨には、貝殻を束ねたような物が絡まっていた。
おそらく冒険者札を下げていた飾り紐だろう。
以前の夕食時、サラリサは目立つアクセサリーを付ける意味をぼかしていたが、本来はこういった確認のためである。
やっと姉だと確信がもてたのか、サラリサは嗚咽を漏らしながら立ち上がった。
そしてなぜか、スルリと腰帯のナイフを抜き放つ。
止める間もなく、波状にうねる刃は隣にいた義兄の腹部へ吸い込まれた。
くぐもった声を上げるガルウド。
思わず手を伸ばしかけたトールを、サラリサは赤くなった瞳で睨みつけて制した。
「言っておいたはずです。姉の敵を討つ邪魔はしないでくださいと」




