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荒野の決戦


 真上に達しつつある太陽からは、強い日差しが容赦なく降り注いでいた。

 乾いた空気はそれを遮ることもせず、むしろ強調するように熱を孕みつつある。


 座り込んでいた子どもは退屈そうにあくびをして、それから小さい手で革袋を持ち上げた。

 吸口に唇をつけると、懸命に喉を動かして中の水を飲もうとする。

 だが残り少ないのか、上手く吸い込めないようだ。


 少し不機嫌な顔になった子どもは、小さく喉を鳴らして隣の男へ革袋を突き出した。

 やれやれといった顔で受け取った男は、革袋を逆さまにする。

 そして子どもが両の手のひらで作った杯に、絞り出すように水を滴らせる。

 

 たちまちいっぱいになった手のひらに、子どもはさっそく唇を寄せた。

 ゆっくりと喉が上下して、幼い顔に満足げな表情が広がっていく。

 飲み終えた子どもは、顔だけでなく襟元まで濡らしたまま口角を大きく持ち上げてみせた。


 砂粒を含んだ風が少しだけ収まったのを感じ取った男は、空になった革袋を地面に置いて立ち上がる。

 砂よけの布を宙にはためかせながら、黙って顎の下を掻く。

 そして、じっと機を待っていた仲間に声をかけた。


「行くか」

「……ああ」


 返事をしながら、身体のあちこちを白い鎧で包んだ男は兜の面頬を下ろす。

 そのまま長盾を持ち上げると、窪地の底めがけて走り出した。

 

 斜面を駆け下りながら、鎧の男は雄叫びを上げる。

 その声には、様々な強い感情が込められていた。

 戦いが始まった。


 ムーがトールに言いつけられたことは三つ。

 一つ目は、<雷針>と<電棘>をなるべく欠かさないこと。

 これはいつもどおりである。


 二つ目はちょっと大事で、ソラやユーリルから決して離れないこと。

 勝手にどこかに行ったら、昼ごはん抜きだと言われている。 

 まぁ子どもなので、どこかに行ってしまうのは仕方がないことであるが。


 三つ目は新しい子分となったガルウドに、自分の姿をずっと見せてやること。

 子分であるルデルの父親なので同じく子分のようなものだと、トールに言われてしまったので仕方がない。


 砂煙の中で動き回る兜の天辺を、ムーはじいっと眺めた。

 その背後にくっつくトールの姿も、ほんの少しだけ見える。

 不意に隣に立つユーリルが、杖を持ち上げていつもの言葉をささやきだした。


あだと咲き乱れよ――<霜華陣>」

「みだれよー、そうかじん」


 最後だけ一緒に唱えながら、ムーは自分の視界をトールにも共有させる。

 この時は、トールにも見せておく必要があるからだ。

 ついでにユーリルの伸ばした指にも、一瞬だけ視線を向けておく。

 これが四つ目の言いつけだ。

 ちょっとだけ首をひねった子どもだが、言われたことをきちんと守るべく頑張って目を凝らし続けた。


 厳かに神々を讃える歌が、ムーたちの後方に立つサラリサの喉から溢れ出る。

 響き渡る歌声が聞き手の心を安らげ、失われた魔力を取り戻していく。 


 この<賛美歌>は()であるがゆえ、歌唱スキルがある程度なければ歌うことは許されない。

 当然、その資格をサラリサは持っていなかった。

 ――今日の朝まで。


 実は歌唱スキルの枝自体は、元からサラリサの技能樹に存在はしていた。

 ある個人的な理由から、彼女はその成長をあえて止めていたのだ。

 だが今回はその歌が必要であると、トールに説得され承諾したのである。

 ただ涙を流すだけだった惨めな自分を黙って慰めてくれた男性の言葉を、サラリサは強く退けることはできなかった。


 自らが爪弾く竪琴の音にのせて、奏士は美麗な声を荒野に響かせていく。 

 三人の聴衆の背中を見つめながら、サラリサは今朝のやり取りを思い出して少しだけ歌声を軽くした。


「これでスキルポイントが、水瓶に戻っているはずだ。あとは歌唱スキルの枝に振り直せば――」

「こんなことまで……、本当に凄い人なんですね、トールさん。あの、歌うのは久しぶりなので、少し練習しててもいいでしょうか?」

「あ、サラリサさんってそんな通る声をしてたんだねー。いままで、全然気づかなかったよー」

「おうた、うたうのか? ムーもいっしょにうたっていいか?」

「本当に美しいお声ですね。しかしトールさんは、よくお気づきになりましたね」

「そういわれたらそうですねー。いつも小声だったから……。ねー、トールちゃん、どうやって知ったの?」

「私も気になりますね。確か体に触れないと、技能樹の詳細は見れないはずだと記憶してます。いつ、サラリサさんとそのような仲に?」

「トーちゃん、どうした。また、あごがかゆいのか? よし、ムーがかいてやるぞ!」


 楽しそうに会話する四人の姿に、在りし日の光景が蒼鱗族の女性の心に去来する。

 恐ろしいモンスターを前に、肩の力が完全に抜けたサラリサは最高の演奏を披露し始めていた。


 ガルウドは砂塵の中にいた。

 周囲を荒れ狂う砂嵐のせいで、耳元は轟々と吹きすさぶ風の音で覆われてしまっている。

 他に分かるのは凄まじい勢いで飛んでくる小石が、盾にぶつかる衝撃くらいだ。

 兜の面頬の狭い隙間からは、立ち込める砂の壁は全く見通すことはできない。

 ――はずであった。


 不思議なことに今のガルウドには、自分の後ろ姿がハッキリと見えていた。

 鎧兜を身に着けた男が砂の中を足掻く様子が、遠くから見下ろすように視界に映っている。

 それはまるで窪地という盤上に配置された、駒の一つのようでもあった。


 この奇妙な光景は、一見あまり役に立たないと思っていた紫眼族の子どもの特性だと聞かされてガルウドは驚嘆した。

 少しばかり身体を動かすのに慣れが必要であったが、何も見えない状態よりも遥かにマシである。

 思わぬ砂塵の攻略法に、案内人は兜の内で呟いた。


「……なるほど、こりゃ要と言い張るのも頷けるぜ」


 現在の状況は中央に巨大な駒が陣取り、そこへ迫るのは盾を持った駒とその背後にぴったりと寄り添う剣を構えた駒だ。

 急に視界が少しだけ動いて、新たな手が盤外から指されたことが知らされる。

 ユーリルが<霜華陣>を近くに仕掛けたのだ。

 

 とたんに嵐砂の巨人は、膨大な魔力を放った人物に反応して動き出す。

 このままだと窪地の縁にいる後衛たちが、砂嵐に呑み込まれてしまうのは間違いない。

 それを食い止めるのが、盾士の役目だ。

 ――<鉄塊骨>。


 即座に解放された闘気が、ガルウドの身体を骨の髄まで鉄の如き硬さに変える。

 さらにこの武技の本領は、多大な敵対心をモンスターに抱かせる点であった。


 風の音が一気に高まり、巨人はその場に足を止める。

 そして、激しく渦巻く風の腕を高く持ち上げた。


 その動作をムーの視界を通して確認しながら、ガルウドは残しておいた闘気を解き放つ。

 ――<岩杭陣>。

 大地より呼び出された土塊は、たちまち盛り上がり壁を形成する。

 ただし出来上がった位置は、ガルウドたちの背後であったが。

 迫りくる暴風に備え、盾士は強く歯を食いしばった。


 振り上げられたモンスターの腕に、ソラはまばたきもせず見入っていた。

 昨日よりも間近で見るそれは、ありえないほどの大きさを誇っている。

 天に向けて伸びる巨大な柱。

 集まった空気のゆらぎで、空そのものが歪んでいるかのようだ。


 ソラの視界の中で、砂と風の塊が大きくたわむ。

 次の瞬間、それは地面に向けて急速に動き出した。


 ギリギリまで。

 寸前まで我慢。

 限られたその一瞬を見極めた少女は、己を信じて魔力をほとばしらせる。

 ――<反転>。


 竜巻の拳が、いきなりねじ曲がったように方向を変えた。

 トールたちから少し離れた地面へ、そらされた腕がズンと叩きつけられる。

 その場所で待ち構えていたのは、氷結の罠であった。


 耳が痛くなるような音が、窪地に響き渡る。

 同時に巨大な氷の柱が、白い砂煙を押しのけて屹立していく。

 またたく間に腕を半ばまで凍らされたモンスターは、甲高い軋んだ音を放った。


 時を置かず押し出された窪地の空気が、突風と化して斜面を駆け上げる。

 砂塵の壁は容赦なくソラたちを呑み込もうとしたが、急にその動きを途中で止めてしまった。

 ピタリと<固定>された砂風の様子に、少女は満足げに頷いた。


 そして慌てて視線を、窪地の底へ移す。

 そこには背後に作った土の壁に背中を預け、無事に突風をやり過ごしたトールたちの姿があった。

 ホッと息を吐くソラの前で、モンスターは平然と動き出す。


 凍りついた腕の先を気にも留めず、巨人は丸めていた胴体を伸ばした。

 たちまち新たな風が集って、右腕は元の長さを取り戻す。

 ただしその腕は、明らかに以前よりも細くなっていた。


「空気は冷えると嵩が小さくなるんですよ」


 いつもの笑みをたたえながらサラリと教えてくれたユーリルの言葉が、ソラの頭の中に浮かんでくる。

 トールたちの作戦を信じて、少女は眼の前の相手にありったけの集中力を注ぎ込んだ。


 八度目(・・・)の<霜華陣>を唱え終えたユーリルは、深々と息を吐いた。

 少なからず魔力の多さには自負があったとはいえ、ここまで連続の詠唱は厳しいものがある。

 魔力を回復する<賛美歌>がなければ、とうに意識を手放していただろう。


 しかしその成果は、着実に現れつつあった。

 すでに巨人の背丈は、元の半分近くまで縮んでいる。

 もっともその代償として、辺り一帯は冷気にすっぽりと包まれてしまっていたが。

 おかげでムーなどは、ぴったりとユーリルの太ももに抱きつく有り様だ。


 懐かしい凍えた空気の感触に、灰耳族の女性の耳先が楽しげに踊った。

 トールとともに考えた作戦は、ピタリと思い描いていた図にはまっているようだ。


 ガルウドが武技を惜しみなく使って、巨人を窪地の中央に釘付けにする。

 視界を遮る厄介な砂塵は、ムーの<感覚共有>で対処。

 盾士がモンスターを引き付けてくれるので、ユーリルは遠慮なく魔技を放つことができる。

 腕の振り下ろしはソラが受け持ち、さらに<霜華陣>へと誘導する役割まで担ってくれている。

 そしてあっという間に枯渇しそうな魔力は、サラリサが補ってくれるという流れだ。


 全員の能力を完璧に引き出し使いこなしてみせたトールのセンスに、ユーリルは下腹が熱くなっていく感触を久々に味わった。

 作戦前に案内人と交わした言葉が、唐突に脳裏へ蘇る。


「惜しいよな、あいつ。駒盤を覚えりゃ絶対に良いところまで行くぞ」

「ええ、本当にもったいないですね」

「あんたが勧めたらどうだ? 上手い人間と遊ぶと楽しいもんだぜ」

「ふふ、お褒めいただきありがとうございます。そうですね、今度誘ってみましょうか。ご一緒にガルウド様もいかがですか? 先日は少し気持ちを削がれたご様子でしたので」

「ああ、いいねぇ。もう一回指したいが……。いや、約束は止めておくか。これ以上は守れそうにないしな」

「そうですか、とても残念です」

 

 九度目の<霜華陣>を発動するため、ユーリルは神官杖を持ち上げた。

 この氷系魔技の使用可能回数は、一時間に五回までである。

 では、なぜそれ以上の回数を唱えられているのか? 

 種を明かすと、単純なからくりだ。


 使用可能回数は、魔技を最初に使った瞬間から時間がカウントされだす。

 そして一時間以内に残り回数分を使い切れば、制限がかかり使用できなくなる仕組みである。

 これは言い換えると、最初の一回を使ってから一時間が経つと、どのような状況であれ使用可能回数は元通りになるということだ。


 なので、まず最初に<霜華陣>を一度だけ適当な場所に使っておく。

 あとはじっと、時間が過ぎるのを待つだけだ。

 そして制限時間が残りわずかになった時点で、戦闘を始めたというわけである。

 そうすると残り四回を使っても、すぐに制限が解けて連続で使えるようになるというやり方だ。

 これは時間制限のないダンジョンの迷宮主戦で、よく使われる手段でもあった。


 勝利を意識したユーリルだが、その耳先が大きく震える。

 頭上から響く大気の震えを感じとったせいだ。


 ガルウドが夕刻を避けて、勝負を翌日に持ち越したのには理由がある。

 その時間帯は、風が非常に荒れるからである。

 特にこの場所では、警戒する必要があった。

 だが、いかに危険な時刻を避けようとも、発生する可能性は零にはならない。


 激しく空が歪み、重さを増した風が急激に集まってくる。

 そして限界に達したところで、それは天を破って地上へ墜下する。


 瞳を見開くユーリルの目前で、突如発生した破れ風は弱りきっていた巨人の体を直撃した。



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【コミカライズついに145万部!!】
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