駒の行方
奥地をうろつくオークは、主に兵士と呼ばれるタイプばかりである。
群れの数は三匹から五匹。
基本装備は両手槍で、圧倒的な重量で突進し押し潰す戦い方を好む。
まとめて来られると、さすがに剣一本のトールでは止めようがない相手だ。
しかし、そういう時にこそ輝くのが阻害系である。
ユーリルの氷系魔技で接近を妨害し、たまに投げつけてくる槍はソラが処理する。
とくに武器を手放してくれるとその後の対処が楽なため、後半はできるだけ誘うような配置も工夫してみた。
結果として、遭遇したオークの群れは十六。
討伐証明で切り取った耳の数は、六十四個となった。
オーク一匹のスキルポイントは二十五で、討伐料は大銅貨二枚と中銅貨一枚だ。
奥地の最初の野営地から始め、周辺の岩山をしらみつぶしに調べていく。
地図の北東部分はほぼ埋めることができた一日となったが、残念ながら獣鬼の岩屋砦の発見には至らなかった。
天幕を残しておいた野営地に戻って一泊し、翌朝は早めに出発して追い風となった平野を半日で通り抜ける。
遅めの昼食後、時間に余裕もあったので、千刃ヶ原で岩甲虫を倒しながら馬車の停留場を目指す。
夕方に荒野を抜け出たトールたちは疲れ切ってはいたが、満足げな表情で帰路についた。
今回の探索の収入は、オークの討伐料が銀貨十六枚、岩甲虫が銀貨三枚。
さらに八等級の魔石を二十八個、硬白石十五個も持ち帰れた。
稼げたスキルポイントは、一人だいたい四百七十五点。
奥地への初到達と合わせて、なかなかの成果だった。
トールたちの下宿先に来客があったのは、戻ってきた翌日の夕方である。
「昔のよしみで、少しばかり話を聞いてくれないか」
「来ると思っていたが、まさか子連れとはな」
「ルー、よくきたな!」
小脇に包みを抱えたガルウドの足元には、しがみつくように幼い女の子が隠れていた。
ムーの声に目を輝かせて、いそいそと父親の背後から飛び出してくる。
そして頭に黒猫を乗せたムーの姿に、びっくりした顔で立ち止まった。
「にゃーこ?」
「クロってゆーんだぞ、こっちはシマ」
くるりと振り向いたムーの背中には、縞模様の猫がぶら下がっていた。
その様子に先ほどまでの不安げな顔が嘘のように、ルデルは楽しそうに笑い声を上げた。
猫と一緒に遊びだした二人を玄関に置いて、トールは訪問者を居間へ案内する。
椅子に腰を落ち着けたガルウドは、部屋を軽く見回しながら包みを開く。
現れたのは升目で区切られた板と、駒が入った袋だった。
黒と白の駒を盤上に広げながら、ガルウドは唇の端を持ち上げた。
「どうだ、一局?」
「ああ、手土産かと思えば駒盤か。やり方を知らん」
「そうか、残念だな。いい機会だし、覚えてみたらどうだ? 暇つぶしにもってこいだぞ」
「あいにく、潰すほど暇は余ってないんだがな」
「でしたら、私がお相手しましょうか?」
ふわりと優しい香りを放つカップをテーブルに置きながら、ユーリルが控えめな笑みを浮かべる。
「ほほう、腕に覚え有りかな、お嬢さん」
「いえ、少しかじった程度ですよ」
「あー、なんか楽しそうなことしてる! わたしも見てていい?」
「おうおう、好きなだけ見てくれ。観客がいたほうが盛り上がるからな」
ユーリルの横に腰掛けたソラは、興味津々な顔でテーブルを覗き込む。
まんまとガルウドの意図にのせられた気持ちになりつつも、トールは来客の隣に座った。
白を取ったユーリルが先手となり、駒を静かに動かした。
ほぼ間を置かずに、ガルウドが黒い駒を移動させる。
負けじと即座に白い駒が迎え討つ。
よどみなく二人の手が動き続け、ルールを全く理解していないソラが呆気にとられた顔でそれを眺める。
「こいつ、何しに来たんだって思ってるだろ」
しばらくは黙って勝負を見続けようと思った矢先、口火を切ったのはガルウドの方であった。
問い掛けられたトールは、少し悩んだ後で言葉を口にした。
「そうだな。頼みがあって来たようには見えんなと」
「うん、そいつはもっともだ。お、そう来たか」
盤上は白がかなり有利なように見える。
攻め込まれた黒の指し手は、嘆息しながら駒を一つ進めた。
「最初からいきなり頼んだところで、はいそうですかってならんだろ」
「だから、これか?」
「ああ、こいつで対局すると、人となりがかなり分かったりするんだよ」
「だそうですよ、ユーリルさん」
「あら、では私はどうですか?」
珍しく愉快げな表情のユーリルが、駒を手にしながら対戦者へ視線を移す。
白はなかなかの勢いで攻め立てているようだ。
駒盤を睨みつけながら、ガルウドは唸るように寸評を口にした。
「思慮深く慎重だが、攻め時には容赦ない。こりゃ、奥さんには絶対弱みを見せないほうがいいな」
「あら」
「ユーリルさんは、この家の大家さんで、そういう間柄じゃないぞ」
「ですよー。本妻はわたしだよね、トールちゃん」
「おっと、そいつは失礼したな」
ようやく駒を動かしたガルウドは、ちらりとソラを見やった。
「そっちのお嬢さんも結構やるな。目の動きが只者じゃない。こんな良い嫁よく見つけたもんだ」
「おい、手当たり次第に褒めるな」
「にへへ、これ以上ないお嫁さんだって、トールちゃん」
「いや、そこまで言われてないぞ」
コトリと駒を置く音が響き、盤の上は変化を遂げていく。
勝負を続けながら、淡々とガルウドは語りだした。
「俺にこれを教えてくれたのはセルセでな。二人で暇を見つけてはよく指したもんだ」
「意外な趣味があったんだな」
トールの記憶の中では、物静かでどこか儚げな印象しか残っていない。
「あいつは俺の十倍は強かったよ。ちゃんと理詰めで考えたうえで、先が読める女だった」
白い駒が黒い駒を押しのけて、盤外へ弾き出す。
守りの一箇所を崩されたガルウドは、顔をしかめて大げさに肩をすくめた。
しばし考え込んだあと、ポツリと呟くように頼んでくる。
「どうしても、セルセを取り戻したい。手を貸してくれないか?」
その言葉に、ソラが驚いたように顔を上げた。
ユーリルも、ゆっくりとまばたきを繰り返す。
まるで妻がまだ生きているかのような物言いに、意表を突かれたのだろう。
家の外からは、猫の鳴き声と子どもたちの笑い声が聞こえてきていた。
長い沈黙の後、不意に駒が置かれた音が響く。
とたんにユーリルが、感じ入った声を上げた。
「あら、そんな手が」
どうやら後少しまで追い詰めていたところを、スルリと躱されてしまったらしい。
入れ替わりで長考に入ったユーリルに対し、とぼけた口調でガルウドは話を続ける。
「どうだろう? 中央が空くのなら、お前にも得るものは大きいと思うが」
「だとしても、相手にしなきゃならんのは、大勢が挑んで敵わなかった奴だろ。俺たちじゃ手に余る」
「おいおい、剣だけで荒風の邪霊を斬り殺した男がなに弱気なこと言ってんだよ。正直、お前が初めてだよ、そんなこと成し遂げたのは」
「下手な持ち上げも止めろ。別に奥地へなら、北からでも行けたからな。わざわざ、危ない手を選ぶ意味はない」
「でも、それには相当の時間がかかる」
千棘花の雫取りに探索一回分を費やした事実は、やはり筒抜けであったようだ。
わざとらしく眉を持ち上げたガルウドは、ユーリルが動かした白い駒をあっさり自分の黒い駒で押し退ける。
「お前はなぜか、急いで階級を上げる必要がある。そうだろう?」
旧友の鋭い問い掛けに、トールは無言で顎の下を掻いた。
サッコウ副局長と交わした約束は、半年でAランクのストラッチアたちに追いつくというものだった。
しかし獣鬼の岩屋砦の攻略は、長い時は半年以上もかかる場合がある。
つまり今、発生中のダンジョンを見逃せば、次は数ヶ月先になる可能性が高いのだ。
古い付き合い故か、そんなトールのひそかな焦りまでも見抜かれていたようだ。
「確かにその通りだな。しかし、あえて危険な――」
「何かをなすのは、それ相応なものを支払う必要がある。違うか?」
ユーリルの手が再び動き、黒い駒が盤上から消え去る。
しかし、それは誘いであったようだ。
障害物が消えがら空きになった中央を、ガルウドの駒が一気に駆け上がる。
たちまち盤上の攻守が逆転した。
「これは、お見事ですね」
「と言っても、曖昧な言葉だけじゃお前が動かないのは、百も承知だ。だから、特別な報酬を用意した」
「おー、とくべつだって! トールちゃん」
「たぶん、お前が喉から手が出るほど欲しいと思ってるものだぞ」
「もったいぶるな。何を寄越す気だ?」
一息溜めながら、ガルウドは黒い駒をユーリルの陣地へと進ませる。
すでに勝利を確信したかのような手つきだ。
そして焦らすように間を置いてから、ぽつりと答えを告げた。
「馬車だよ、馬車」
「…………そうきたか」
自前の馬車があれば、予約に振り回される恐れは一切なくなる。
間違いなく、今もっとも欲しているという指摘は過言ではない。
短く息を吐いたトールは、諦めた口調で返答した。
「分かった、引き受けよう」
「本当か?!」
「ただし条件はつけるぞ。現地で確認して、無理と思えば手は引かさせてもらう」
「それで十分だ。でも、退治しないなら馬車は渡せんぞ」
金貨数十枚の馬車を、簡単に手放すと言い切るほどだ。
断ったところで、何度でも頼んでくることだろう。
それなら条件を決めて、取引に応じたほうが時間の節約にはなる。
覚悟を決めたと口にしていたガルウドを思い返し、トールは静かに顎の下を掻いた。
「ふぅ、これでようやく角が磨けるな。肩の荷も下りたぜ」
「おい、気が早いぞ。まだ確定じゃないからな」
「あ、これで詰みですね」
「分かってるって――えっ?」
いつの間にか、盤上の情勢がすっかり変わっている。
慌てて視線を戻す黒の指し手だが、すでに結果は出てしまったようだ。
「あ、あれ?」
「ふふ、久しぶりで楽しかったです。ありがとうございました」
「あそこから引っ繰り返せるのか……」
その後、夕食の誘いを断ったガルウドは、娘を連れて意気揚々と帰っていった。
今日はサラリサと三人で、食事に出かけるらしい。
去り際になぜかトールの肩に手をかけて、無言で首を横に振る仕草をしてみせたが。
「どうでした? ユーリルさん」
「ええ、思わず本気が出てしまいました。お強い方ですね」
「そ、そうですか。ソラはどう思った?」
「その……、あの人の奥さんって三年も前に行方不明なんだよね」
「ああ、そのはずだが」
「もしかしたら、ちゃんと諦めるきっかけがほしいのかなって」
もっともな言葉に納得しかけたトールへ、ユーリルがサラリと否定してみせる。
「そういった人には見えませんでしたね。駒盤を通しての印象でしたが」
「人となりという奴ですか」
「ええ、たいへん粘り強くて、そう簡単に手を引く方とは……」
少しだけ遠くを見るような目をしたユーリルは、気にかかる言葉を続けた。
「それにもう一つ、まだ何か隠してらっしゃいましたね」




