新たな亜人
夜半過ぎに自分の天幕に戻ったサラリサは、肩の荷を少し下ろせたせいか朝までムーと一緒にぐっすり眠れたようだ。
翌日、スッキリした顔になった案内人は、ソラたちに昨日の行為を告白し再び頭を下げた。
これに対しその理由を聞かされた三人は、三様の反応だった。
「うーん、お姉さんの敵討ちのお手伝いか。むずかしいねー」
同情をもろに浮かべた顔で呟いたのはソラだ。
狭い村で育った少女としては、困っている人を助けるのは当たり前の行為である。
だが冒険者になって三ヶ月以上が過ぎ、安請け合いの危うさをソラはしっかり分かり始めていた。
自分にできることの少なさ、無力さを十分に知っている少女は、珍しくため息を吐いて反対を表明した。
「私は保留ですね。決めるのはもう少し、お話を詳しく聞いてからでないと」
ユーリルには、力を持つ者には持たざる者を助ける義務が生じるという考えが根底にある。
ただしその助力に、限度があることも深く理解していた。
少しだけ顔を曇らせた美女は、いつもの穏やかな口調で結論を先に伸ばした。
「サーねーちゃん、こまってるのか? たのみごとならムーがかぶと虫三びきかお歌三つでひきうけてやるぞ」
「安いな」
昨夜のごはんが美味しかったうえに、子守唄まで聞かされたムーはすっかりご機嫌なようだ。
深刻な顔のサラリサに寄り添って、その太ももを気安くペチペチ叩いている。
無邪気な顔で見上げてきた子どもを、蒼鱗族の女性は何も言わず屈んで抱きしめた。
この件は反対、保留、賛成と見事に分かれたので、あとは最後の一人の考え次第となった。
トールとしては現状、同情心はあるが、積極的に関わろうとする気持ちは薄い。
しかし中央ルートの奥に居座るモンスターを退ければ、奥地へ行きやすくなる可能性は見逃せないと打算的に考えていた。
今回の北回りルートは体力回復剤を使って強引に突破したが、その原料である千棘花の朝露を集めるのには、どうしても一回分の探索を諦める必要がある。
その手間を必要としないのは、かなりの魅力であった。
「ま、話はガルウドにも聞いてからだな。じゃあそろそろ出発するか」
気持ちを切り替えた一行は、荒野の奥へと歩き出す。
風がかなり治まった奥地は、高い岩山が散見する場所だった。
これのどれかに発生するダンジョンを見つけ出すのが、白硬級のお仕事である。
トールたちは岩山の一つ一つを見上げて、黙々と異常がないか確認し始めた。
何事も起きないまま、ただ日差しだけが強くなっていく。
そして午前中も半ば過ぎた頃、トールは岩陰の一つに珍しいものを見つけた。
人影だ。
かなり離れた岩山の陰に、たむろする数人の姿が遠目に確認できる。
当然ながら、ここにも同業者がいることはいる。
が、広すぎてめったに出会う機会がないだけだ。
挨拶でもしておくべきかと考えるトールの背後で、不意にムーがピタリと鼻唄を止めた。
「トーちゃん、いるぞ」
「そうか、近いか?」
「うーん、ちょっととおい」
「よし、<雷針>を頼む」
「らい!」
人影から目を離さず、トールはゆっくりと歩き続ける。
その視界に映る影たちは、徐々に身長を伸ばしていく。
ありえない大きさだと確認出来た瞬間、影たちはいっせいに動き出した。
同時にトールも地面を蹴っていた。
その両の眼は、こちらに向かってくる姿をハッキリと映し出す。
赤茶けた肌のところどころを覆うのは、針のように突き立った黒い剛毛だ。
爛々と光る眼球は肉に埋もれて、やや小さく引っ込んで見る。
長く伸びた鼻面に、乱杭歯がはみ出た大きな口。
間違いない。
事前講習で聞かされていた荒野の奥地にはびこる亜人種。
獣鬼だ。
背丈はトールの三割増しほどで、体重は五割増しだろうか。
その全身は、分厚い肉の塊そのものだ。
さらにオークどもは、屈強な体格に武装も加えていた。
丸太のような両腕が握るのは、太く長い無骨な両手持ちの槍だ。
それと赤みを帯びた金属製の腕環と脚環が、ざっと見る限り太い血管が通る場所にはまっている。
急所や首元も、同様に赤鉄の防具で守られていた。
一人だけ前に出たトールは、みるみる間にモンスターとの距離を詰める。
三体のオークは、わずかに鼻を鳴らして無謀な冒険者を迎え撃った。
先頭の一体が、長い槍を無造作にトールの足元へ向けて振り回す。
同じ亜人であるゴブリンと違い、体格に優れるオークは速度ではなく力を重視した戦い方を好む。
ただ力任せとはいえ、その巨体が繰り出す攻撃は、まともに受ければ骨ごと簡単に持っていかれてしまう。
もっとも、それは当たればの話だ。
両手持ちの武器ならば、すでに雷鳴三兄弟と毎週のように手合わせ済みである。
それなりの速度が出ていたトールの体は、いきなり地面に足を縫い留められたかの如く急停止する。
その寸前を、豪快な風切り音をともなった槍が通り抜けた。
初撃をやり過ごすと同時に、トールの身体は最高速に引き上げられた。
数歩の距離が、一瞬で失せる踏み込み。
懐に入り込んできた人間に対し、オークは余裕の顔で歯を剥いてみせる。
どこも肉厚なその身体は、薄刃の片手剣でどうにかできるものではないと自信があるのだろう。
事実、武技を伴わない攻撃では、傷を負わせることはできてもすぐに回復されてしまう。
だが、暴風さえも絶ち切ってみせたトールの剣だと話は違ってくる。
音速の上下斬り返し。
四度の斬撃が一息に加えられたオークの腕は、あっさりと肘から斬り落とされる。
驚愕を目の奥に宿したまま、モンスターは残った腕だけで槍を叩きつけた。
至近距離からのなぎ払いは、いかに身軽でも回避は難しい。
――<反転>。
ぐるんと上空へ折れ曲がった己の腕に、オークは思わず鼻息を漏らす。
その隙を見逃さず、トールの身体は鮮やかに槍をかいくぐる。
反対側に身を移し終え、同じくもう一本の腕も斬り飛ばした。
瞬時に両腕を失ったオークは、激しい怒りに吠え立てた。
いかに再生能力を有したモンスターであれど、失った部位を即座に生やすことは不可能だ。
一体目を半無力化したトールは、その背後に控える二体へ刃を向けた。
しかし一歩、間に合わなかったようだ。
オークどもは、持ち上げた槍をすでに放ち終えていた。
空を貫いて飛ぶ槍の先にいるのは、後方に残してきたソラたちだ。
強い亜人たちは、本能的に弱い個体を見抜く習性を持つ。
ゆえに平気で、前衛を無視して後衛に攻撃を仕掛ける恐ろしさがあるのだ。
トールが単独で前に出たのも、そうはさせまいと考えてのことだった。
凄まじい力で放たれた巨大な二本の槍は、情け容赦なくソラたちに降り注いだ。