心のご馳走
野営地である岩山の陰は、よく利用されているらしく地面はかなりやわらかかった。
すっかり日は落ちていたので、魔石灯を点けて急いで野営の準備に入る。
トールが二つ目の天幕に取り掛かっていると、何かが焼けるような匂いが漂ってきた。
振り向くと、赤い光を放つ火が目に飛び込んでくる。
しゃがみ込むソラの前に置かれていたのは、鉄製の四角い鍋のような物だった。
中には燃え立つ炭が置かれ、炎が舐めるように被せられた格子状の蓋を熱している。
「どうしたんだ、それ?」
「あ、もうちょっとまってねー。炭に火をつけるのひさしぶりで苦戦したよー」
近づいてみると鍋ではなく、どうやら持ち運べる焜炉のようだ。
大きさはムーが一抱えできるほどで、側面には取っ手を兼ねた空気穴が空けてある。
ただソラの荷物には、それらしい物はなかったはずだ。
問いたげなトールの表情に気づいたのか、少女は成長中の胸を得意げに張ってみせた。
「これ、じつは組み立て式なんだよ、トールちゃん。どう、おどろいた?」
「ああ、びっくりした。どこで手に入れたんだ?」
「ほら、鍛冶屋さんにいった時に。べんりだから使ってもっと広めてくれって」
そういえばトルックの武器工房を出る際に、ソラが何かの包みを手にして笑っていたことを思い出す。
武器ではないと言っていたが、その正体が野外調理用の焜炉だったとは。
「そうか。良いものをもらったな」
「うん。そして今日の主役はこちらです!」
ソラが手にしていたのは、べっとりと何かの液体に浸かった肉たちだった。
太めの骨が突き出しているのを見るに、足の部位のようだ。
「タパさんたちからの差し入れ、黒骸鷲のもも肉をじっくり秘伝のタレにつけこんでみました。ご協力は串焼き屋さんとユーリルさんです」
「私はちょっと口を挟んだだけで、支度のほとんどはソラさんですよ」
「そうなんですか。よく準備してたな」
「今回は奥地にいけるかなーって、はりきってみました」
「行けなかったら、どうするつもりだったんだ?」
「その時はもちろん、残念夕食会だよー」
そう宣言しながら、少女はいつもの屈託のない笑みを浮かべてみせた。
それから、少し離れた場所で天幕を張っていた案内人に話しかける。
「あ、サラリサさんもぜひどうぞ。ちゃんと五人分、用意してきましたからー」
「えっ、私も……?」
「はい、いつもお世話になってますしね。それにさっきも、トールちゃんを助けてくれたそうで。ここは妻として、しっかりお礼をさせてください」
「そ、それは……」
「まぁまぁ、遠慮なさらないで。ここはソラさんのお言葉に甘えてくださいな」
「そうそう。明日からは奥地探索だし、がっつりお肉食べてがんばりましょう!」
網の上に肉がのせられると、たちまち香ばしい匂いと音が立ち込め始める。
とたんに、天幕の中に転がっていた子どもが身を起こした。
猫のように目をみはり、鼻先を持ち上げてきょろきょろと首を動かす。
そして美味しそうな煙を上げる焜炉の存在に気づいたのか、飛び起きて猛烈な勢いで駆け寄ってきた。
「おにくまつりか!」
「お肉祭りだよー」
「おにく、おにく!」
「お肉、お肉ー」
背中に何度も伸し掛かってくる子どもに、ソラは誇らしげに顎を持ち上げる。
じわじわと焼き上がるもも肉を少女が器用にひっくり返すと、よだれを垂らしたムーの紫の瞳がキラキラと光を放った
「お肉食べたい? ムーちゃん」
「うん、くれ!」
「だーめ、もうちょっとのガマンだよ」
「ダメかー。あ、ここ、もうやけてるぞ!」
「ううん、まだまだー」
「まだかー。はやくやけろー!」
大はしゃぎの二人を横目に、ユーリルが敷布を地面に広げ、皿や食器を並べて食卓を整えていく。
トールとサラリサがそれぞれの天幕を張り終えるころには、発熱盤で温められたシチュー鍋も負けじといい匂いを漂わせていた。
「おつかれー、こっちも焼き上がったよ」
「ううう、トーちゃん。もう、ムーはまちくたびれたぞ」
「先に食ってても良かったんだぞ」
「だーめ、やっぱりみんなで一緒に食べないとね」
きっぱりと言い切ったソラは、皿に移したもも焼きをテキパキと配っていく。
炙ったパンと丸芋のシチューも行き届いたのを確認してから、少女は嬉しそうに号令を下した。
「では、召し上がれ」
「うん、美味いな」
「あら、また腕を上げましたね、ソラさん」
「おいしい……」
無言でガツガツと肉を食い千切るムーの頭を撫でながら、ソラはうんうんと頷いてみせる。
「ねー、トールちゃん。ごはんを美味しくするのに、最高の味付けってなにか知ってる?」
「うーん、これ以上ないってくらい腹が減ってることとかか」
「あー、それもあるかも。でも一番はやっぱり、好きな人の笑顔を見ながら食べることだよ」
頬をうっすらと上気させつつ熱く見つめてくる少女に、トールはやれやれと顎の下を掻いた。
「さすがにそれはちょっと恥ずかしいぞ。歳食ったおっさんに求めるなって」
「えー」
「仲がよろしいのは素晴らしいことですよ、トールさん。そんな言い方をしてはいけません」
「はい、そうですよね。じゃあ、ムーの顔でも見ながら食うか」
「えー」
「なんだ、トーちゃん。これムーのおにくだぞ! あげないぞ!」
そんな感じで、賑やかに食事は進んでいく。
楽しそうな笑い声は、夜の帳が落ちた荒野に長く響き続けた。
片付けが終わったあとも焜炉の炭はまだ赤く熱を発しており、自然と皆は座り込んだままであった。
そこへ砂よけのフード付きの地味なローブを脱ぎ捨てたサラリサが、竪琴を手に戻ってくる。
「お返しの一曲を……」
「あ、サラリサさん、その格好可愛いですね」
白いひだが波をかたどるようについた演奏用の服に、ソラが弾んだ声を上げた。
よく見れば袖や襟もふわりとした仕立てで、細身のサラリサによく似合っていた。
「首飾りまで、揃えてらっしゃるのね」
「あ、これは……、私の家に伝わる物なんです」
蒼鱗族の女性が冒険者札を下げるのに使っていたのは、貝殻と真珠をつなぎ合わせた首飾りであった。
首元を覆う青い鱗の肌から浮かび上がるように、柔らかな輝きを放っている。
「いいなー。私もプレートを吊るす紐、もっと工夫しようかな」
「そうですね。もっと特徴があったほうが良いですよ。その髪飾りみたいな……」
「これ? にしし、これはトールちゃんが選んでくれたんだよー」
髪を縛る青いリボンを褒められたソラは、目を輝かせて答える。
その言葉に、たちまち二人が加わった。
「いいな、いいなー。ムーにもなにかないのか? トーちゃん」
「ふふ、贈り物ですか。良いですね。私も殿方からは久しく頂いてませんね」
じっと見つめてくるムーとユーリルから目をそらしたトールは、案内人へ苦笑いを浮かべてみせる。
早く演奏を始めてくれと訴えるその視線に、サラリサは小さく唇の端を持ち上げた。
「みなさん、本当に仲がいいんですね……」
そう呟くように漏らした後、奏士は軽やかに弦を爪弾いた。
溢れ出た音色に、全員の関心が即座に移る。
観客の注意を一瞬で惹きつけたことを見届けたサラリサは、ゆったりと竪琴を鳴らし続けた。
それは不思議な曲だった。
穏やかで心安らぐ音律なのだが、どこか物悲しさを含んでいる。
サラリサの奏でる音は焜炉で熱された空気にたゆたい、荒れ果てた岩と砂と風しかない地の彼方へと消えていった。
惜しみない拍手に頷いた女性は、一転して明るく弾んだ曲を奏で始めた。
それから次々と曲調を変えて、聴衆を魅了し続ける。
演奏は三十分足らずであったが、濃密で満足深い時間であった。
弾き終わったのだが、いつの間にか案内人にピッタリと寄り添っていたムーが離れようとしない。
よほど気に入ったのだろうか。それに満腹で眠くなってもいるようだ。
少しだけ困った顔になったサラリサだが、姪のルデルで幼子の面倒を見るのになれているせいか、あやすような口調で話しかけた。
「今日は私と一緒に寝る……?」
「……うん」
「良いのか?」
「はい、子どもは好きですから……」
その言葉で夕食は終わりとなり、それぞれの天幕へと引き上げることとなった。
深夜、初めて広々と天幕を独占していたトールだが、ふと誰かの気配に目を覚ました。
雲ひとつない夜空に輝く月のせいで、おぼろげに顔立ちは確認できる。
天幕を覗き込んでいたのは、薄衣をまとっただけの蒼鱗族の女性だった。




