断裂の空撃
「いつだ?」
「わかりません。気がついたら……」
手を伸ばしたトールに、サラリサは途切れた縄の端を差し出してくる。
すっぱりと断ち切られたようで、ほつれらしい跡は見当たらない。
おそらく、弾き損ねた小石がぶつかったのだろうが……。
湧き上がる苦い思いを胸中に押し留めながら、トールは素早く思考を巡らせた。
砂嵐に入り込んでから、すでに数分が経過していた。
目の前にぽっかり開いた空間以外は、視界は全て砂塵で覆い尽くされている。
声を張り上げてみたところで、荒れ狂う風が打ち消してしまうだろう。
縄を<復元>しようにも、片方が離れすぎていれば認識外のため不可能だ。
それに無理な理由はもう一つあった。
逡巡するトールの耳に、またも異音が飛び込んでくる。
凄まじい速さで飛来する三つの小石。
二つを同時に斬り上げて弾き飛ばすが、最後の一つが間に合わず肩に食い込む。
骨の髄まで響く重みに、トールはわずかに顔を曇らせた。
幸いにも新たな革鎧のおかげか、小石は鱗の上を滑るように斜め後ろへと消え去る。
だが布地の服なら、間違いなく貫通していたに違いない。
<苦痛緩和>に感謝しながら、トールは静かに息を吐いた。
先ほどの石つぶてだが、どうやら荒風の邪霊は竜巻状の体を使って、地面から吸い上げた小石を撃ち出しているようだ。
問題はそれが無差別な点である。
少なくとも全方位に十個以上の石が飛んでいくのを、トールの眼はしっかりと捉えていた。
はぐれたソラたちが被弾する姿を脳裏に描き、胸の鼓動が一瞬で高まる。
荒くなりかけた吐息をいつもの呼吸で沈めながら、トールはたった一人残った案内人に話しかけた。
「あれを倒す。手を貸してくれ」
「わかりました……」
硬くなった表情のままサラリサは頷いて、トールと自分を結んでいた縄を奇妙にねじる。
とたんに束ねていた部分がバラけて、一気に二人を結ぶ縄が長くなった。
まるでこうなることを予見していたような結び方であったが、トールは何も言わずモンスターへ視線を戻した。
今、最も優先すべきことは、ソラたちの安全確保である。
そのために<復元>が露見することさえ、気にしてはいられない。
ヒュンと風切り音を立てる石を続けざまに斬り落とし、トールは五歩の距離を一気に詰めた。
白砂を含んで揺れる竜巻に、硬い刃を走らせる。
みじんの手応えもなく、剣はその体をすり抜けた。
次の瞬間、竜巻は低く轟く唸りを発した。
――ようにトールには聞こえた。
数個の石つぶてを至近距離で食らった体は、耐えきれずに後方へ弾かれる。
「トールさん!」
大きく跳び退ったトールだが、勢いを殺しきれずたたらを踏んでよろける。
おそらく折れたであろう肋骨を<復元>で戻しながら、縄を掴んで焦った声を上げるサラリサを手で制する。
「大丈夫だ。それより、あれを倒す方法を知っているか?」
「でしたら、まずは私の歌を」
安堵した顔になった奏士は、いつの間にか手にしていた竪琴を奏で始める。
たちまち、白魚のような指で弾かれた弦から軽快な音が溢れ出す。
恐怖を消し去り身体能力を向上させる<武勇曲>。
砂嵐の中で凶悪なモンスターと対峙するには、最も相応しい曲と言えよう。
「私の経験では、あと十五分ほどでこの嵐は終わります。あの邪霊は石を飛ばしてくるだけなので、それをひたすらしのぎきれば……」
「聞こえてなかったのか? あれを倒す方法を訊いている」
「け、剣だけでは無理です。体が大きすぎて精霊核の場所が特定でき……」
「そうか。なら小さくすればいいな」
ようは赤水の邪霊の時と同じである。
ただしあの時とは違って、ソラの援護はない。
間合いを詰めると近距離からの石つぶてを避けきれず、剣が届かぬ位置まで後退させられてしまう。
不意に曲調が替わった気がして、トールの注意がわずかにそれる。
一拍子置いて、馴染みの低い風切り音が飛来した。
またも素早く刃が応じて、石たちを弾き飛ばす。
そしてサラリサが奏でる調べは、気がつくと元の調子を取り戻していた。
「……音の高さが変わるのか」
モンスターが石つぶてを撃ち出す寸前、竪琴の音色が変わることに気づいたトールは深く息を吸い込んだ。
予兆が分かるなら、対処はできる。
それに奏士の曲のおかげなのか、身体にはあふれるほどの力がみなぎっている。
そして覚悟もとうに決まっている。
次の石つぶてが撃ち出された瞬間、トールはすでに地面を蹴っていた。
突っ込みながら振るった刃で小石を跳ね飛ばし、刃が届く間合いへと踏み込む。
空気を一度、斬ったところで意味はない。
だが数度、斬り返せばそこに空気の断裂は起こる。
横一閃。
返す刃が、再び同じ場所を通る。
さらにもう一度。
目に捉えることもできぬ速さで、行き来する剣身。
曲調が変わる。
とっさにトールは、その身を地面すれすれに伏せた。
頭上を通り抜ける音を聞き終えて、またも身体を起こす。
すでに<復元>で、失った体力は元に戻っている。
疾風と化した剣が竜巻を切り裂く。
刃が作った空隙を、何度も剣がたどる。
「そんな……うそみたいな……ことが……」
案内人のサラリサは、目の前の信じられぬ光景をただ唖然と眺めていた。
凄まじい速さで振るわれる剣は、邪霊の体をまたたく間に切り刻んでいく。
刃が引き起こした断裂で、竜巻の影響が届かぬ部分が次々と増えては消え失せる。
あの男は、それを剣一本でやってのけているのだ。
今まで散々、常識外な行為を見せつけられてきたサラリサだが、それを悠々と上回るトールの動きに体の芯から震えがこみ上げてくる。
剣は止まらない。
通常であればあんな重たい物を、何度も振り回せるように人の体はできていない。
だが、とうに数十回と剣は動き続けていた。
そしてついにサラリサの手が止まり、曲は静かに終わりを告げる。
同時に天高くその身を誇っていた竜巻もまた、空気に溶けるように音もなく消滅した。




