子どもの希望、大人の事情
荒野から戻ってきた次の日の夕刻、トールは探求神殿へと足を伸ばした。
前に頼んでいた薬品が出来上がっていると、オードルから連絡をもらったからだ。
それとついでにムーを迎えに行く用事も兼ねていた。
朝はユーリルが付き添ってくれたのだが、今日の夕食は手の込んだ料理のようでソラともども手が離せないとのことだった。
薬房の扉を軽く叩くと、どうぞと返事が返ってくる。
中を覗いたトールを出迎えたのは、テーブルで向かい合うオードルとムーの二人だった。
「あ、トーちゃんだ!」
「いらっしゃい。お茶はいかが? ちょうど今、淹れたてだよ」
「ありがたく頂きます。うん、どうしたんだ、それ?」
湯気の上がるカップを抱えながら振り向いた子どもの額には、大きくバツ印が描かれていた。
墨で書かれたようで、黒々と目立っている。
「これか? えーと、ムーはいま、なんだっけ……」
「反省中だよ」
「そうそう、ふかくはんせーちゅうだった」
「何をやらかし……って、それか」
問いかけの途中で、トールはテーブルの上に置かれた物に気づく。
口元だけクチバシになった白い頭蓋骨。
双子の荒野土産である黒骸鷲の頭部だ。
「持ってきちまったのか。そりゃ不味いな」
「ああ、幼少組の教室が大騒ぎになってね。悲鳴が上がるわ、気絶もするわでたいへんだったよ」
「ご迷惑をおかけして申し訳ない」
ムーの横に腰掛けながら、トールは子どもの頭を優しく撫でた。
脅かそうと故意にやったのなら叱るべきだが、おそらく単純に級友に見せたいがための行動だろう。
今朝、骸骨を見た時、ソラと同様に大喜びしていたムーの姿を思い返して、トールは小さく息を吐いた。
瘴地へ行けばいくらでも出会えるモンスターであるが、普通の暮らしをしていればまず遭遇することはない。
せいぜい街道を移動する際に、迷いでた数匹に襲われる程度だ。
冒険者として歩みつつあるムーは、幼すぎてその辺りの差異を理解するのはちょっと難しいだろう。
だがこういった乖離が引き起こす問題は、今後も生じてくる可能性が高い。
「なぁ、ムー」
「なんだ? トーちゃん」
熱いお茶をすすっていた子どもは、紫色の瞳をくりくりさせてトールを見上げてくる。
やはり本人は反省と言われても、何が悪かったのかよく分かってないようだ。
「これからはここに何か持ってくる時は、トーちゃんかユーリルさんに良いか訊けよ」
「ソラねーちゃんは?」
「うーん、ソラはたまにうっかりするからな」
「わかった! トーちゃんとユーばあちゃんだな」
機嫌よく答える子どもに頷いたトールは、香草茶のカップをオードルから受け取りつつ事件のあらましを尋ねる。
「それで怪我人とかは?」
「いや、皆、驚いただけで、とくに大したことはなかったよ」
「気絶した子は?」
「ああ、元から体が弱い子でね。熱が出たので大事を取って休ませただけさ」
少しだけ安堵が顔に出たのか、薬房の主は小さく笑って言葉を続けた。
「大丈夫、嫌われたりしてないよ。その子は人気者だからね」
「そうなんですか」
「こっち側の子にとって、冒険者は憧れだからね。その首の札がある限り、人が離れることはないよ。それにね」
一息入れた灰耳族の女性は、腕を伸ばしトールと同じようにムーの髪に触れる。
「こんなに愛らしいうえに、素直で良い子なんだ。人に好かれるのも仕方がないさ」
「ムーはモテモテだからなー。トーちゃんもムーのこと好きか?」
「ほら、調子のんな。反省中なんだろ」
「あ、そうだった。ふかくはんせー!」
本人は神妙なつもりだろうが、目をつむって頬を軽くふくらませる姿は確かに愛らしい。
思わずトールは指で、その膨らみをつついた。
とたんに子どもは、空気を吹いて笑い出す。
「もう、じゃましちゃダメ!」
「はは、すまんな」
「お、なんか盛り上がってるな」
賑やかな会話の途中に声を割り込ませてきたのは、トールの顔馴染みでもあり意外でもある人物だった。
荒野の案内人であるガルウドは、奥の潜り戸から顔を出してオードルに呼びかける。
「先生、起きたみたいです。見てやってくれますか」
「ああ、分かった。後は任せて」
立ち上がったオードルは、そそくさと奥の部屋に向かう。
入れ替わるようにテーブルに来たガルウドは、向かい側の椅子に腰を落とした。
そしてわずかに目を細めて、トールたちを静かに眺める。
その視線を受けながら、トールは不意に現れた冒険者仲間が場違いな薬房に居る理由に思い当たる。
「もしかして、奥で休んでいる子は……」
「ああ、俺の娘だよ」
「それは済まなかった」
「いや、倒れるのはよくあるんだよ。きっかけは何であれ変わりゃしねえさ」
「そうか。ついててやらなくていいのか?」
「……このところ、あんまり会ってなくてな。何を話せばいいのかサッパリだ」
チラリと反省中のムーへ視線を寄越したガルウドは、羨ましそうに唇をかすかに歪ませる。
それからトールの目に浮かぶ疑念に気づいたのか、肩を大げさにすくめてみせた。
「俺の話を聞いたんだろ」
「ああ、良くない噂があるようだぞ」
「大体は本当のことだ。セルセが行方知れずになって大金が転がり込んだのも、アイツを探すためにパーティを解散したのもな」
問いたげなトールを遮って、中年の冒険者は言葉を重ねる。
「先に進みたがっているのに、俺の都合で荒野に残ってくれとは言えんだろ。保険金で馬車も買っちまったしな」
「そこまでしたのか」
「ああ、……あの子にはどうしても母親が必要なんだ」
消息が途絶えたのは三年も前の話だ。確実に生きてはいないだろう。
だがきっぱりと言い切ったガルウドの目には、狂気じみた輝きは宿っていなかった。
その言葉に宿る決心に、トールは己のかつての姿を思い出した。
役立たずと呼ばれたスキルへ、ただひたすらに全てを注ぎ込んだ日々を。
まだ諦めきれていない父親の姿に、トールは無言で首を縦に振った。
男が一度決めたことは、誰かに言われて簡単に止まるものでもない。
「そうか、無理はしてないか?」
「セルセを見つけるために腕の立つ連中を探しているんだが、ちょっとやりすぎちまったせいで、局からは何度か注意があったな。ま、気にすることじゃない」
「依頼を出さないのか?」
「金がないし、並の奴らじゃ厳しいんだよ」
「そうか……」
「大丈夫だぜ、トール。あんたが最初に案内してくれた日、冒険者の心がまえを早めに見つけろって教えてくれたな」
「ああ、言ったかもしれんな」
「俺はそれが覚悟だと理解したぜ。命をかける覚悟だ。だから――」
「ぷふぅぅうううう。もうダメだー」
トールがその意味を問おうとしたその時、急にムーが激しく息を吹き出す。
いきなり大きな音を立てた子どもに、二人の視線が集まった。
「うー、はんせいって、たいへんだな」
「いや、息を止めるのが反省じゃないぞ」
「なー、おっちゃん、ルーのからだなおったか?」
トールの訂正をあっさり聞き流して、ムーは無邪気に尋ねる。
驚いた顔になったガルウドは、唇の端を持ち上げてながら答えた。
「いや、まだだ。まぁ、もう少しの辛抱だけどな」
「そっかー。これ見てもダメだったか」
「もしかして、それで持ってきたのか、その骸骨」
「うん、ルーが見たいって。おっちゃんのいるところのヤツだからなー。おっちゃんといっしょがいいって言ってたぞ」
その一言にガルウドは目を見開いた後、無言で歯を強く食いしばった。




