くすぶる煙
「それでルートが違うって気づいて、引き返したってわけか」
「ええ、そのような感じですね」
「じゃあ、色々ってのは」
「はい、ご機嫌を損ねられたお嬢様は先にお戻りになりまして」
本当は四日間、入浴していない姿を見られるのを嫌がったせいだが、気を利かした執事は無難にごまかしてみせた。
それと風の獣を倒したくだりも、魔技を使った部分は伏せてある。
ゴダンらから南回りルートの激闘を聞き終えたトールは、顎の下を掻きながら考え込んだ。
「空から襲ってくる系統だと、うちは無理そうだな。ありがとう、参考になった」
近距離での戦闘手段しか持たないトールと、仕掛けた地面に触れないと発動しない魔技が最大の威力を誇るユーリルでは相性が悪すぎるモンスターたちだ。
ソラなら<固定>や<反転>を使えば対処は可能だろうが、一人で相手するとなれば使用可能回数の点で不安が残る。
「やはり北回りしかないか。ああ、そうだ。これ良かったら使ってくれ」
ぼろぼろになったゴダンの鎧を見て、トールは数枚の紙切れを差し出す。
それは先日、たっぷり集めておいた白硬銅の品札であった。
「これは……、頂いてよろしいのでしょうか」
「貴重な情報の礼だ。素直に心配できないお嬢様のために、早く新しいのを作ってもらえよ」
「……恐れ入ります、トール様」
ベッティーナの気遣いを一瞬で見抜いたトールに、ゴダンは小さく頭を下げた。
進むのに一日だった行程だが、帰りは二日以上もかかっている。
モンスターの解体に半日かかったのもあるが、ゴダンや双子たちの装備の損傷具合や怪我を考慮して歩みが遅れたのも事実であった。
実のところ道が間違っていると主人が言い出したのは、引き返すための名目に過ぎないと執事も十分に承知していた。
「……では、代わりにこれを受け取ってくれ」
「……幼い子がきっと喜ぶだろう」
「あっ、もしかして獣さんのお肉ですか?」
まだ居残って食事を綺麗に片付けていたソラが、双子が差し出した包みに目を輝かせる。
どうやら風の獣の話を、こっそり聞いていたようだ。
「……いや、あの獣は、臭いうえに筋張っていて食えたものではなかった」
「……これはもっと楽しいものだ」
「開けてみてもいいですか?」
「……うむ」
「あ、ソラ様、ここでは止めたほうが」
ゴダンの制止が一瞬遅れたせいで、ソラはあっさりと結び目をほどいてしまう。
汚れた布の中からゴロンと転がりでたのは、鳥のクチバシがついた骸骨……のような物であった。
「うわー、変てこでかわいい!」
驚きと好奇心が入り混じった瞳で、少女は黒骸鷲の頭部を見つめる。
しかし普通の人間には、そう思えなかったようだ。
「お待たせしま――ヒィィッ!」
引きつったように息を吸い込んだのは、ちょうど酒のおかわりを運んできた年若い女給であった。
テーブルの上に置かれた不気味な頭蓋骨へ目を見張った後、絹を裂くような悲鳴を放つ。
たちまち、元冒険者の用心棒たちが駆け寄ってきた。
そして貧血を起こして倒れかけた娘と、モンスターの頭部を交互に見てから、派手に吹き出して笑い始めた。
「なんで、そんなの持って帰ってきた!?」
「……土産だ」
「馬鹿か。いや、馬鹿だ!」
「ハハ、紛れもない馬鹿だな」
騒ぎはすぐに収まったが、店員から変なものは二度と持ち込まないよう注意を受ける羽目になった。
ちょうど良い頃合いだったので、そのまま酒宴はお開きとなる。
帰り支度をしているトールへ、急に真面目な顔になったゴダンがそっと近付いて耳打ちしてきた。
「ところでトール様は、案内人のガルウド様とは古いお付き合いの間柄だそうですね」
「よく知ってるな。まぁ、ここ数年は会ってなかったがな」
「……そうですか」
「アイツがどうかしたのか?」
「ええ、今回の案内で少し気になった点がございまして。僭越ながらご忠告をと」
「ふむ、聞かせてくれるか」
今回のガルウドの案内には、ゴダンたちの実力を必要以上に探るような振る舞いが見受けられたそうだ。
言われてみれば、サラリサにも不審な挙動があった点をトールは思い起こす。
「ご存知でしたか? ガルウド様の以前のパーティはすでに解散済みで、今は義妹のサラリサ様とお二人きりだと」
「そうなのか……、なら潜り込めそうなパーティを吟味しているとかかもな」
人のことは言えないが、あの年齢ではメンバーを新たに探すのは厳しいだろう。
しかしトールの受け答えに、ゴダンは顔を曇らせたまま首を横に振る。
「それが、何度も勧誘をお断りなさっているそうです」
「なら、理由は分からんな。俺が知る限り、人を試すような男ではなかったはずだが」
「わたくしの杞憂であれば良いのですが」
そう答えながら、執事は一段と声を潜めて思わぬ事実を明かしてきた。
「実はガルウド様の消息不明の奥様には、多大な死亡保険が掛かっていたそうです」