澱んだ泥沼に潜る意味
【『人間は天使でもなければ獣でもない。だが不幸なことに、人間は天使のように振る舞おうと欲しながら、まるで獣のように行動する。』 Blaise Pascal(1623-1662)】
パスカルの三角形、人間は考える葦である、等で有名な、17世紀を生きたフランスの数学者・哲学者の遺した言葉である。
私はそれに続きを加えようと思う。この様に。
【『天使は人間でもなければ獣でもない。だが不幸なことに、天使はそのどちらでもないように振る舞うことを押し付けられている、そこに天使の意思は無い。無い筈である。私はこれまでそう思っていた。だが、違った。その例を見た。』】
というのも、これ、を私が見つけたからだ。とある地域の地層。遥か太古の、漆黒の灰の地層。生物の痕跡が一切存在しない、そして当然、人の痕跡なぞ存在しないとされていたそこから"これ"が出土した。
灰色の羽根が張り合わされて形成された表紙。中の紙は薄い灰色でかさかさとした触感。刻まれた文字は赤黒く澱んでいた。
出処不明作者不明。言語的アプローチも、科学的なアプローチも意味を成さなかったのだから。私はそれでも諦めなかった。どう足掻いても意味を成してくれない文字列に、必死で意味を付け続けた。
やがて。表紙前面に抉るように刻まれた、漆黒の文字にしっくりとくる意味を付けることに成功した。
『天使の叫び』
その中身は悲惨で救いのない話。絶望に満たされる話。この本に意味があるとは、多くの人は考えないだろう。
今は存在しない文字で書かれたこの本がもし、現生の人々が識別可能な文字で書かれていたとして。多くは、読み始めて耐えられなくなって本を途中で放り投げるだろう。一握りの読了した者は、三日三晩、どうしてこれを読んでしまったのかと後悔し、救いの無さに苦しむこととなるだろう。
だが、私はそうではなかった。
私は研究者だ。古の言語の。
運命だと思った。
私がこの本を手にしたことは。
私がこれを解読する能力があったことは。
これにある思いが込められていることに気付いたのは。
それを言語化しようとしたのは。
それを世に出そうとしたのは。
理由は至極単純だ。ふと、気になってしまったのだ。これを遺した者は、何を伝えたかったのか? そう一度考えてしまったとき、私は決めた。
さらに付け加えよう。
【『天使は人間でもなければ獣でもない。だが不幸なことに、天使は人間のように振る舞おうと密かに無意識に欲しながら、まるで人間と同じような過ちを辿る。自身の意志を、心を自覚したが故に。』】
悍ましいかもしれない。
心折られるかもしれない。
閉じたくるかもしれない。
投げ捨てたくなるかもしれない。
吐き気を催すかもしれない。
その日の夜、悪夢に囚われるかもしれない。
次の日も、その次の日も、苦しむかもしれない。
それでいて、何一つ得るものがなかったかもしれない。
ただ、読むだけなら。
考えてほしい。
没入してほしい。
掬い取ってほしい。
この本の文字の羅列の中に込められた、想いを。
その行為ははきっと、疫病にまみれた、腐臭を発する、汚染された漆黒の沼へ潜るようなものだろう。そう感じるに違いない。
だが、どうか、その泥の底に何があるか、掴んで欲しい。それは、私たち全てに向けての、過去からの重大なメッセージなのだと、私は思う。
~20XX 或る言語学者の見解~