3-アクシデント そして……
――そして、現在
レフェリーのカウントが続く。
「スリー、フォー、ファイブ……シックス……セブ……ン……」
次第にその声が震えてくる。
「若〜! 立ってくださいよ!」
胴間声が響いた。洪天会の組員か。
「う……うっせーな!」
イラついた声。
対戦相手の松原は一つ頭を振ると、立ちあがった。
「カウント止めやがれ!」
「は、ハイィ!」
レフェリーは思わず飛び上がった。相手は自分たちの大スポンサーの息子である。ヘタな事すりゃ自分の首が危ない。
そして松原は俺を睨んだ。
「やってくれたな、テメェ。ツブしてヤルぜ!」
凄んで見せる。
見てくれは迫力があるが、その程度でキレるのは格闘技者としていかがなものか。
それに、その身体。
170cm台半ばではあるが、189cmの俺とやり合うには少々小柄だ。確かに鍛えてはいるが、筋肉のつき方もアンバランスだしな。どっちかというとボディビル的な、見てくれを優先した鍛え方だ。それに、刺青で気がつかなかったが、湿疹のようなものが胸にあった。そして、汗によって露わになった少し薄い頭頂部。
ステロイド、か。
確かに筋量増やすのには手っ取り早い手段だが……
やれやれ。
心中でため息をつくと、俺は無言で構えをとった。
「ケッ!」
ヤツはレフェリーの「ファイト!」を待たずに俺に殴りかかてきた。
腕を上げ、拳をガード。
数発受けたところで、大げさによろめいて見せた。
喜ぶ観客。
こうして適当に相手の攻撃を受け、そして適当な所で俺が“寝る”。少々アクシデントはあったとはいえ、シナリオ通りのシナリオ運びだ。
前半はお互い軽く攻防をしてみせたのち、後半で俺がある程度大技を連発し、ヤツを追い込む。そして俺が適当に自爆した隙をついて、逆転勝利。
そういう展開だ。
だが……そううまくいくかは分からん。コイツはその段取りを無視し、ひたすら殴りかかってくるのだ。
向こうのセコンドも何やら叫んでいるが、コイツは聞きやしない。
流石にイラつく。
このままガチンコでやっちまうか?
……まぁ、普段ならそうしたがな。だが、さすがに今回は社長や長谷川のこともあるので、流石に自重せざるを得ん。
とはいえ、このままじゃあまりにしょっぱい試合だ。どうしたものか……
「死ィねェぇやぁ〜〜!」
奇声を上げつつの上段回し蹴りが来る。だが、腰が入っていない。
その脚をキャッチすると、すぐさま後方へと反り投げた。
所謂キャプチュードだ。
「がはっ!」
マットに叩きつけられ、悶絶する松原。
そしてそのままフォール。
「ワン、ツー……」
あと一つでフォール負け。そこまでいっても反応がない。
仕方なく俺からフォールを崩してやった。
カウント2.9。
さて、どうしたものか……。
松原を見る。
しかしヤツは、呆然と天井を見上げている。自分に何が起きたか分かっていないのか。
受け身の練習もたいしてやっていないのかもしれない。これじゃ練習生よりもヒドいな。
……仕方ないヤツだ。
無理やり引き起こす。
そして、
「どうした? その程度かオラぁ!」
顔面を張ってやる。
「観客がざわめく。そして殺気に満ちた視線。
正直もう慣れっこだ。
構わずもう一発。
「ココはアンタの檜舞台だ。最後まで付き合うから、もうちょっと気張るんだな」
呆然とするヤツの耳元でそう囁いてやる。
「分かってらァ!」
と、ヤツが張り返してくる。
よしよし。ちょっと目が生き返った。
そのまま張り手の応酬。
観客も盛り上がってきたな。
「行くぜオラァ!」
わざと大ぶりなパンチ。
それをヤツは易々と……いや、かなり必死にかわした。結果として紙一重。まぁ結果オーライか。
そこに反撃のハイキック。
俺はもんどりうって倒れた。歓声が上がる。
そして、わざとゆっくり立ち上がり、カウント9で構える。
再び「ファイト!」の声。
さぁ、ちょっとはハデな技を見せてくれよ。折角プロレスや格闘技の記者まで呼んだんだろ? リング際に陣取ったヤツらの顔を見てみなよ。まだ盛り上がりが足りねェってさ。
再びヤツの打撃が俺を襲う。
パンチ、キックのコンビネーション。
その中段の蹴りをさばき、掌底のカウンターを入れてやる。そしてそこからの浴びせ蹴り。
それを受けて吹き飛ぶ松原。
だがすぐに立ち上がり、俺に向かってくる。
そこにタックル。そしてスープレックスを狙べく、背後に回る。
だがヤツもニーリフトで迎撃。
すかさず俺はサイドスープレックス狙いに移行する。
そうした攻防を続ける事数分。
観客も盛り上がってきた。
そろそろだな。
俺は心中で胸をなでおろした。
さて、仕上げにかかるか。
掌打を放ちつつ、そのタイミングを伺う。
「オラァ!」
焦れたのか、松原は俺を突き放すとハイキックを放ってくる。
俺はその蹴りをいなすと、ジャンプからの縦回転後ろ回し蹴りを繰り出した。
「リャアー!」
フライングニールキックだ。
しかし、それはギリギリのところで空を切る。いや、切らせた。
ヤツの前髪が宙を舞う。
そして俺は無様にリングに倒れこんで見せる。
肩で息をしつつ、のろのろと立ち上がり……
ヤツが俺の背中をとった。そして腹をがっちりとフックする。
ほう。スープレックスか。
正直、俺とヤツとは身長で10センチ以上、体重でも十数キロの差がある。大丈夫か? とは思うが、やる以上練習ぐらいはしたんだろう。
なら、ハデに受け身してやるか。
ヤツは俺を上手いこと持ち上げ――俺も少々軽くハネて補助しているが――そのまま後方へと反り投げた。
俺はリングに叩きつけられ……いや、その直前に両腕でリングを叩き、衝撃を緩和。同時に大げさな音を立てて技の威力をハデに見せる。
「グッ……ウッ……」
俺は頭を押さえて転がり、リング中央へ。
そして、のそのそと立ち上がる。
再び俺の背後を取る松原。
「さぁ……行くぜェ!」
ヤツが観客に向けてアピールする。
これでフィニッシュか。まぁデビュー戦としちゃサマになったかな?
そして再び俺はリフトアップされ……
ン? 動きが止まった。このままブリッジで固めるにしても、ここで止まるのはマズ……
「⁉︎」
直後、俺の腰の下あたりで破滅的な音がした。
「うぐっ……あ゛〜〜」
そして絶叫。
俺を抱え上げたまま、松原は崩れ落ちた。
何が起きた⁉︎
ヤツは腰の背面を押さえ、転げ回っていた。
ギックリ腰か? それともヘルニアか? もしかしたら、アウターマッスルばかり鍛えたせいで筋力のバランスが崩れ、インナーマッスルがダメージを受けたのかもしれん。
おそらく、俺を抱え上げた時、無理な体勢だったんだろうが……
セコンドは指摘してやれよ。
……いや、そこまで知識あるヤツはいないか。
いわゆるケンカ屋とマッスルトレーナーしかいないみたいだしな。仕方ない。
それよりも、だ。
「レフェリー、何してる⁉︎ 中断だ! タンカを! いや、救急車だ!」
呆然と突っ立つレフェリーに叫ぶ。
ヤツは慌ててプロモーター席へと向かった。
騒めく観客たち。
さて……どうなる事やら。
俺はその狂騒を眺め、ため息をついた。