17-ニンゲン風情の意地
ゆらり、とヤツが立ち上がった。
心なしか、その身体が一回り大きくなった様にも見える。
『ひゃひゃ……』
ヤツはその顔にいやらしい笑みを浮かべた。
『い〜いイッパツだったゼェ。ムリヤリキメさせられてたケド、よーゥやく目が覚めたゼ。にしテも……ココが異世界ってヤツかぁ〜?』
「何……」
初めてまともな台詞を聞いたぞ。コイツにしては、だがな。
松原やら、あの細身の男やらの周りをウロチョロしていたが、ただあの奇妙な笑い声を上げるだけだったヤツが。
今のヤツが、その本性か。
『ひょほ〜〜! また……ま〜た人が殺せるぜェ〜〜。ココにゃマッポも家裁もねェんだろォ⁉︎』
……コイツ。
噂を聞いた事がある。残虐な殺人事件を起こした少年を、出所後洪天会のフロント企業が拾ったと聞いた事がある。そもそもその親父が組の関係者だったとか。
それが、ヤツか。
クスリでアタマがブッ飛ぶヤツはたくさん見てきたが、素の方がアレなのは初めて見たぜ。
『ひゃひゃっ、オンナもいるじゃネーか。あぁンときみたいニよぅ、オトコはボコッて、その目ノ前で……』
聞くに堪えない様なコトを喋ってやがる。
俺自身、胸を張って善人と言える様なモンじゃねぇ。だが……それでもコイツの存在は許せねぇ。
『け……ケイゴ、アイツ、怖い……』
アスリの怯えた声。
「下がっていろ。コイツは、俺が倒す」
理屈じゃない。勝機など、関係ない。コイツは俺が倒さなければならない。
『ひゃほ……ナイト気取りかぁ〜い? 前にもそンなヤツはいタぜ〜ェ? でも、どーなったか、知りてぇかイぃ?』
「黙れ」
踏み込み、顔面に拳を一発。
『ぴょはっ!? やぁる気かよォっ! ニぃンゲン風情のマまでっ!』
大きくよろめいたものの、さしてダメージを受けた風でもなく、ヤツは嗤った。
チッ、確かにヤツの言う通りだ。あんな化け物に喧嘩を売っても勝てる訳がない。
だが……俺の心の奥底で、誰かが叫んでいた。
こいつを倒せ、と。
あるいはそれは、俺の魂の声なのかもしれない。
腰を落とし、構えをとる。
呼吸を整え、精神を統一。
と、微かに胸のあたりで熱い“何か”が生まれた。
それは小さな塊となりゆっくりと下方へと降りていく。鳩尾、丹田、そして尾てい骨。そこから脊椎を通って脳天まで駆け上がる。
そして、何かが“開いた”。
「……おぉっ!」
踏み込み、今度はヤツの腹に拳を叩き込む。
『ぴょはっ!?』
ヤツの身体がくの字に曲がった。
「フンッ!」
すぐさまその顎先にヒザ蹴りを一発。ついで棒立ちになったその膝に、前蹴りを入れてやった。
イヤな音とともに、蹴りを受けた膝が妙な方へと曲がった。ヤツの上体が、大きく揺らいだ。
よし。
ジャンプ。
そして空中で身体を横に倒しつつ、後ろ回し蹴りを放った。
フライングニールキック。
俺のカカトが、奴の脳天を打ち据えた。
『ぴょぎゃっ!』
ヤツが頽れる。
そして、頭と膝を抑え、転げ回っている。
『……やったの?』
アスリの声。
「いや……まだだ。下がっていろ」
この程度で倒れる様な輩じゃあるまい。
『ぴょひょ……』
奇妙な笑い声をあげつつ、ヤツは身を起こした。
そして砕けたヒザ関節に手をやると、ゴリゴリと音を立て、無理やり元に戻す。
『ひょへ……タぁマんねェぜ、この痛み。手前ェにも味あァわせてやロうかぁ?』
「……!」
やはりな。たいして効いてなどいない。それどころか……痛みを快楽に変換できるほど、脳内麻薬が溢れているのか?
本能的な危機感を覚え、バックステップ。
直後、先刻まで立っていた地面に、ヤツの両の腕が突き立っていた。
『ひょ……避けやがッたかァ? でも……これでぉ終ワりじゃねェぜ?』
ヤツの背中にかろうじて残っていたマントが伸びる。そしてそれは、ヤツの身体を包み込んだ。その姿は、まるでサナギの様だ。
まさか、変態でもするのか?
いや……違う!
マントに包まれ紡錘形となったヤツは、高速で回転しつつ、俺めがけて突進してくる。
「チッ!」
さっきよりも速い! が、何とか寸前でかわす。
『ぴょひょ……すばしッこいヤぁツ。ケド……今のオレは一味違ウぜ〜ェ!』
ヤツが大きく口を開け、息を吸い込む。
……何だ?
そう思った直後、
「!」
ヤツの口から炎が噴き出した。
「ウオッ!」
慌てて飛び退く。
が、一瞬遅れて炎に包まれる。凄まじい熱だ。
それでも、服や髪が燃えずに済んだのは、ダニエルの“加護”のおかげか。
『ひょっほ〜! 見ぃよウ見まねだが、案外うまクいったぜェえ?』
慌てて炎を振り払う俺を見、ヤツが嗤った。
周囲に視線を走らせる。
どうやらエセンが炎魔法を使っている様だな。それを見て真似したのか。
『“治癒”!』
アスリの治癒呪文。
ありがたい。だが、それもあと何度もつかはわからない。早く決着をつけねば。
だが、どうする? あの身体能力に加え、飛道具か……
『ひょハっ? 回復魔法ってェヤツかァ? ウゼぇナ。……予定変更ゥ! ソイツを先にヤぁっちまうかナ』
ヤツはアスリに視線を向けた。
そしてまたマントを体に巻きつけ……
「チッ!」
俺はアスリの前に立ちはだかる。そして、
『ヒょは〜!』
紡錘形の“錐”を正面からまともに受ける。
凄まじいばかりの回転で腕が弾かれる。そしてその先端は、俺の腹に……
「ぐぅっ!」
『ひょひょ〜、かぁかッたな、マぬケがァー。図ぅ体の割にすばしっこいヤツだが、よぉうやク捕まえたぜェ〜』
『ケイゴ!』
ヤツの嘲笑。そしてアスリの悲鳴。
「ぐっ、あぁ……」
チッ……罠か。いや、両方を狙っていたのかもしれんな。
いや、そんな事を考えてる場合じゃない。このままじゃ……
ダニエルの“加護”すらも容易く貫き、俺の腹を抉る“錐”。
俺を貫き、そして背後のアスリにも襲いかかるであろう。
だが……このままでは、死ねん。
「お……おぉ……」
胸の“お守り”が、またかすかな熱を帯びた。
神仏に祈る俺じゃないが……ここは神の実在する世界。
“お守り”はその“力”を発揮し、俺を護ろうとしてくれるのか。
『ひょ?』
今まさに俺を貫き通さんとしていたヤツの動きが鈍った。
「ぬぅ……」
“熱”を帯びた両腕がヤツを掴み、その回転を止める。
強引に腹から引き抜くと、頭上に高々と担ぎ上げる。さらにジャンプ。
そして、
「ぬりゃあっ!」
『ぴョぎゃっ!?』
パイルドライバーの要領で、ヤツを錐の先端から地面に突き立ててやった。
ヤツは指先、あるいは頭から地にめり込む。
しばらくは動くこともできまい。
が、追撃は……無理だな。それどころか……
腹を押さえ、頽れる。
大量の血が傷口から溢れる。間違いなく内臓も傷ついているだろう。これでは……俺ももう、長くはない。
悔しいが……
『“治癒”! ……また、血が……』
アスリの声。
魔法の効果が半減した状態では、致命傷からの回復は難しいだろうな。それに、姫巫女達も魔物への対処で手一杯だ。倒しても倒しても、“門”から溢れてきやがる。
これでは、もう……
『……我々を見くびってもらっては困りますな。……“大癒”』
と、その時、聞き覚えのある声が響いた。同時に暖かな光が俺を包む。
あの声は、ローベルトか。
ふと見ると、観客席に見知った顔があった。
大神殿で執務中と聞いていたが、この事態を知って駆けつけてきたのか。
『左様。何とか間に合いましたな。アイーシャ! 魔物は私が相手をするので、門を閉じてくれ!』
指示を飛ばすと、ローベルトはアリーナに降り立った。
『大丈夫ですかな? 女神の加護を受けてきました故、これで傷はほぼ塞がったのではないですか?』
ふと見ると、傷のあった箇所はすでに新たな皮膚で塞がれていた。
すさまじいばかりの“力”だ。死の淵からここまで回復するとは……。
「ありがたい。これでまた、戦える」
『しかし……あなたは素手。此奴相手にどう戦われる?』
ローベルトが問う。
俺の答えは、決まっていた。
「それは勿論……この四肢で、だ!」
拳を握ってみせる。
『……なるほど』
ローベルトはやれやれ、と言いたげに首を振る。
しかし彼は、俺の答えを知っていた様だ。
「敬吾さん、アレを使う時だよ。“ジャガーの戦士”になるんだ!」
ダニエルの声。
ああ、そうか。この“お守り”、か。
…………。
そうだな。今使わなくて、何時使うのか?
俺はポケットから“それ”を取り出した。




