戦争の事
八月十五日です
長く戦いの無い国に住んできました
既に戦いの中を生きた人達は減りました
船に乗り、飛行機に乗り、銃を手に
国の為にと命を懸けた人達は少なくなっていき
遠からざる未来、居なくなります
火の雨が降り注ぎ、業火の嵐の中を逃げ
そういう光景を目にした人は少なくなっていき
近い未来、一人も居なくなるでしょう
その時、その話を語り継ぐ事は出来るのでしょうか
次の世代へこの酷い出来事を、先代、先々代の人々が国の為にと命を懸けていた事を
戦争を誇ってはならない、しかし先代、先々代が命を懸け、命を落とした事を貶し蔑ろにすることも、あってはならないのではないでしょうか
語り継ぐ事は出来るのでしょうか
嘗ての出来事を忘れる事なく、知らないという者がいない程に
感色々言葉が足りなかったなと思ったので追記します。
先ず私は戦争体験者ではありません。
私の祖母が戦争の時代を生きた世代でした。
しかし田舎の山中の集落に住んでいたので私達が戦争といってイメージするような経験はしておりません。
ですが、箪笥の金具を持っていかれた、DDTというシラミ駆除の薬を頭からかけられた、畑から抜いた大根をそのままかじった、中国人の友人が学校にいた等その時代の話は聞いておりました。
私自身は沖縄県の地方にあるガマに行ったりと自分なりに戦争を知るための行動をしております。
行ったガマは当時のままほとんど整備されていないガマでした。自然の洞なので足元は凸凹としていて歩くのも大変でした。
真っ暗で、ライトで照さなければ何も見えませんでした。
案内して下さった方に当時の中の話を聞きつつ中を見て回ったのですが、当時の人達はいつ攻撃されるか分からない中こんなに暗く足元さえよく見えない所にいたのかと思った事を覚えております。
今回の詩は問いかける訊ねるような文にしていますがこれは誰が語り継ぐのか私が語り継ぐのかといった事が言いたかったのではありません。
表現の一つです。
もっと色々書いたほうがいいかなとも思いますが本文より後書きの方が長くなってしまったのでこの辺で。
ここまで読んでくださりありがとうございました。